著作権フリー小説アレンジ
「さってー、ここでしばしのお別れかにゃ?」
エヴァンスが馬車に乗り込むために、板を組み合わせて作ったスロープを馬車に掛けている時に、館の中からシャーロットが出てきた。
その背中には部屋に持ち込んでいたものらしき鎖の山を背負っていた。
二泊しただけなのになんであんなにたくさんの荷物持ち込んだのだろうか。寺井は理解できないと思うと同時に、あのくらいの荷物を持ち運ぶのは対して問題にならないのだということに気付き、改めて恐ろしいと思った。
やはり、ここに居るものたちは、人ではないのだ。
「なんだ、まだ居たのか」
エヴァンスがそう素っ気なく言い、
「それはひどいにゃあ」
とシャーロットが傷ついたと唇を尖らせてみせる。それから、ニコニコして手を振った。
「それではみんな、また四日後。てっぺんで会いましょうにゃ」
「シャーロット様!」
カテリナがシャーロットを呼ぶ。
「どうかご無事で」
「カテリナちゃんもね」
シャーロットはぐっと親指を立て、
「ぐっどらっく」
と言うと、小走りに駆けていく。それと同時に、いきなり周囲が暗くなる。寺井達の頭上には、黒い雲が現れていた。
「,―― DoRaGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOON!!!」
遠くから叫びが聞こえたかと思うと、身体を揺らす雷鳴と共に一条の雷がシャーロットの身体目がけて迸った。
辺りに白い煙が立ちこめたかと思うと、それは瞬時に強風に吹き晴らされた。
巨大な竜が現れ、もう一度強風を起こしながら羽ばたいた。
「で、でけえ……」
寺井は思わず感嘆を吐いた。その竜の姿は先日も見ていたが、翼を広げたスケールはそれを遥に超えていた。
シャーロットは上空で二三度旋回すると、別れを告げるように一度吠えて、東の空に向け飛び立っていった。
「さて、雷の売女も行ったことだ。私たちも行くとしよう」
「エヴァンス様、もしや、その人間も乗せるのですか?」
「ああ、そうだ。彼は客人だ」
「なっ……」
パトリシアは絶句すると、キッと寺井を睨み付けた。背景のようなものとして眼中になかった人間の雄。それを貴族のための馬車に乗せると言われ、パトリシアは良いようもない屈辱に襲われていた。
なぜ人間の雄という下等な存在を乗せなければならないのか。そんな思いが駆け巡り、嫌悪が産まれる。だが、自らの仕える者の決定に逆らうことは、パトリシアには出来ないことだった。
「く……」
パトリシアは悔しそうに顔を顰しかめて歯をぎりと噛んだが、寺井から目をそらし、
「――了承致しました」
と小さく言った。そして馬車の前に歩いて行く。
「そういえば、これって馬車なんですよね?」
寺井はふと気付いたように誰にともなく尋ねる。
「ああ、そうだ。大きいように見えるだろうが、これでも馬車だ」
「いや、そうじゃなくって……馬はどこにいるんですか?」
馬が牽く車、故に馬車だ。しかし、今この場所に馬など居ない。馬車と馭者ぎょしゃばかりがあっても馬が居なくては馬車は動かない。
「私だよ」
ぶっきらぼうな声が、馬車の前から聞こえる。
「私は半人馬ケンタウルスの淫魔なんだよ」
パトリシアはそう端的に説明した。
寺井はその意外な答えに驚く。ケンタウルスと言えば、馬の胴体と人間の上半身がくっついたような形の怪物、幻獣の類だ。そのビジュアルから考えると、パトリシアはどう見てもケンタウルスには見えない。
ロザリオは驚きに固まる寺井の背中を押して馬車に乗るように促しながら、
「収斂進化しゅうれんしんかです」
と言った。しかし、それだけでは寺井にはさっぱり分からなかった。
頭の中にクエスチョンマークを浮かべたまま、寺井は促されるままに馬車に乗り込んだ。
*
馬車の中はラピス家の屋敷と似た意匠の内装になっており、磨かれた床には細かなアラベスク調の模様があり、ランプが淡いオレンジの光を放ち、車内を照らしていた。
窓は前後左右にあり、矢張り内側からは見えるが外からは見えない、マジックミラーのような構造になっていた。
車内であるが、寺井が元居た世界で住んでいたアパートよりも広いように感じられた。長いソファが三つあり、寺井、ロザリオ、カテリナは各々好きなところに座る。カテリナが少し離れたソファに、エヴァンスはロザリオの手を借りて彼女の横に座る。寺井は、姉妹の向かいに座った。
「それでは頼むぞ、パトリシア」
その声は外にいるパトリシアにも聞こえたらしく、返事が返ってくる。
「了解した」
短いやり取りと共に、ゆっくりと馬車が動き出す。
馬車は初めこそ速度が遅いが徐々にそのスピードを上げていく。
ラピス家の屋敷から一歩出ると、そこから九十九折つづらおりの坂道が続いていた。木々はやや細くて背の低いものが多く、かなり長い間手が加えられていないようで、植物たちの生存競争が起こっている。多くの木々は交尾する蛇のように絡まり合い、しかし、愛を交わすではなく静かに命のやり取りをしている。
道は石畳が敷いてあるものの、石の隙間に余すところ無く草が生え、腰の辺りまで伸びているものもあった。
長きに渡り人が通っていなかったことを思わせる古道を、馬車は走る。
「さて、さっきの収斂進化という意味ですが――」
ロザリオがそう話し始め、寺井は車窓から見える木々からそちらを向く。
「そういえば寺井様は科学はお得意ですか?」
とロザリオが。寺井は少し曖昧に唸った。
「苦手ではありませんでしたが得意というわけでも……」
高校時代の理科は生物を取っていたが、テストの点数は平均よりやや高い程度だった。そもそもそれ以外の科学はそう詳しく無い。
「そうですか、ならば初めから説明しましょう」
と言い、ロザリオはゆっくりと語り始めた。
「例えば、海豚いるかという生き物が居ますが、海豚に吐いての知識が無く、海豚を初めて見た人は恐らく、大きな魚だと思うでしょう」
それは確かにそうだろう。寺井は頷く。
「ですが実際には海豚は哺乳類。魚類とは生物の系統から言って全く異なる種類の存在です。
もう一つ例えを出しましょう。例えば、空を飛ぶ動物には鳥とコウモリなんかが居ますが、それらは共に『前足』を変化させて翼を得ています。しかし、コウモリは哺乳類。鳥は鳥類。こちらも生物の系統が異なります」
ロザリオはそう言って両手を動かす。左右の人差し指で下から上に線を引くように動かしていく。
「異なる進化を遂げた生物が――」
そう言って左右の指はゆっくり離れていく。
「同じ目的のために、類似の形質を手に入れる進化をする」
離れた二つの指は再び上で出会った。丁度、木の葉の形になるような軌道が二本の指で描かれる。
「これを収斂進化しゅうれんしんかと言います」
ロザリオはそう言って立ち上がると、軽く両手を広げて見せた。
「この収斂進化は、魔族の間でも起こりました。もちろん、進化のプロセスなんかはそちらの世界の生き物たちとはやや違いますが、世代交代によって新しい形質を獲得するという意味ではほど同じと言っていいでしょう。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中