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 それで竹刀を振るえるのかと疑問に思うほど腕が細く、道着の上からでも分かる中性的な体つき。身長も、平均よりやや小さい寺井よりも更に十センチほども小さかった。これなら色々な場所に子供料金では入れるだろう。
 寺井はそんなことすら思った。
 故に、油断がなかったと言えば嘘になる。
 スポーツにおいて、体格差は勝敗に関わってくるほどに重要な要素だ。
 多くの格闘技に体重制限があるのもそのためである。体格の差を跳ね返すには、それだけ十分な実力が必要になってくる。まるで拒食症の女性のような腕かいなに、自分を超える力や、速さがあるとはとても思えなかった。
 故に、その小さな剣士の繰り出す高速の剣に、対処が遅れた。
 気付けば一本を取られている。
 試合は三本先取制。 まだ終わりではないものの、寺井はその速さに焦った。
 仕切り直され、試合が再開する。
 焦りが寺井の勘を鈍らせ、身体が不用意な踏み込みを選択する。力比べならば負けない。そんな風に思い、鍔競り合いに持ち込もうとした。
 その瞬間、竹刀が巻き込まれる。
 細腕から産まれたとは思えない大きな回転力トルクに巻き込まれた竹刀は、一瞬のうちにその剣尖を床に叩き落とされた。そして、彼は同時にその竹刀を強く打った。
 地面に接地した竹刀を強く打ったときの反動で、彼の竹刀は跳ね上がり、その勢いを載せた強烈な突きが喉に突き立つ。
 防具越しにも伝わる強烈な衝撃に、思わず踏鞴たたらを踏み、咳しわぶいた。
 寺井は、何も出来なかった。
 速さだけではない。力も兼ね備えた敵。
 もはや、寺井に冷静さなど無い。
 勝負は既に決まっていた。

 悔しい。その想いが原動力になり、竹刀を振るう。そんな時に、始業三十分前の鐘が鳴った。道着から制服に着替えないといけないのでここまでだ。
 寺井はそう思い、竹刀を持って一つ伸びをすると、それをいつものように壁に立てかける。
 かさりと、何か物音のような気配を感じ、寺井は振り向く。そこにはクラスメイトの石村桜がいた。
 段差があるせいで彼女の頭の位置はいつもより低く、寺井の胸ほどまでしかなかった。
「お疲れ様。自主練習?」
 そう聞いてくる。首を傾げ、スポーティーなショートカットが頬の上に流れる。その艶かしさに内心ドキドキしながら、寺井は少し照れたような笑いを浮かべた。
「石村さん、……いたのか。いやね、この前の大会で西高の奴に負けたのが悔しくてね……」
 頭を掻きながら寺井は恥ずかしそうにそう言った。
 石村桜とは、クラスで、同じ図書委員だったことがきっかけで話すようになったのだが、何となく彼女は他の女の子と違っていて、話しかけやすい雰囲気を持っていた。
「言ってたね。女の子みたいな相手にやられたって」
 その『女の子みたいな相手』という言葉に心が大きく抉られる。
 見るからに非力そうな、学年も一個下の相手に破れた。その事実は思いの外、寺井の中で重くなっていた。
 そこでふと、寺井は、
「そんなことよりどうしてこんな所に?」
 そう訊ねた。
 剣道場は生徒昇降口からは離れているし、正門からは校舎を挟んで正反対の場所にある。剣道部以外ほとんど来ない場所に、彼女がいるのは少し不思議だった。
 その質問を投げつけられ、彼女は僅かに目線を逸らす。
「いや、最近こっそり練習してるって聞いてね? 邪魔しに来ようかなって」
 彼女はそう言って、スポーツドリンクを投げて寄越した。寺井はそれを小手をしたまま器用に受け止める。
「いいのか?」
「がんばってるでしょ。ドリンク一本くらいおごっちゃる」
 と恥ずかしそうに言って目を逸らした。
 それまでも何度か話したことはあったが、委員会の仕事関係ではない話をしたのは、恐らくその時が初めてで、女の子から何かを貰ったのも、ほとんど初めてのことだった。

 *

 石村桜は変わった女子だった。
 そんな第一印象を抱いたのだが、寺井には具体的にどう変なのかは上手く説明出来ない。
 彼女は、流行のものには興味がないと言った調子で、かといって勉強ばかりしているいわゆるガリ勉タイプでもない。
 女子の友達が多いという訳でもなければ、孤立しているでもない。かといって男子と仲が良いのかと言うと、特別そんなこともない。
 頭はほどほどに良く、酷く苦手な教科もなければ、百点、九十点という点数を叩き出せるような得意教科があるわけでもない。テストでは概ね平均点と同じかやや高いくらいの点数だと寺井は聞いていた。
 平凡、平均と言えばそれまでなのだが、『完全に平均的な人間』なんて言うものは逆になろうとしてなれるものではない。
 ほぼ完璧に平凡であるということは、非凡なのだ。
 だから、寺井が彼女に変わった女子という印象を抱くのはその非凡な平凡性のためだった。
 いや。
 彼女の属性なんて言うのは、寺井にとってさして大きなものではない。彼女が変わっていようが、平凡であろうが、そんなことはたいした問題ではなかった。
 彼女と話しやすい。
 話すのが楽しい。
 それが寺井にとって大事なことだった。

 *

 彼女は、常にここではないどこか遠くを見ているような目をしていた。少し目を離せばその彼女が見つめている世界に神隠しされそうな、そんなどこか儚い雰囲気があった。それはいわゆる影が薄いというのとは別種の、存在感の薄さでもあった。
 非凡なまでの平凡さも、その儚い印象を強くしていた。
 もしも、彼女が教室から唐突に消えるようなことがあっても、クラスの中で本気で悲しむ人がどれだけ居るのだろうか。決して彼女は友達が少ない訳ではなかったが、本気で付き合っていた友達は恐らく、ほとんどいない。悲しむ者も多いだろう。
 だが、『本気で』という一言を付けると、それだけでもう怪しい。彼女は、『親友』に当たる人物はいないと寺井に語っていた。
 彼女がクラスから消えても平均点は一点も動かないだろうし、一月ほどもして落ち着けば変わるのはクラスの人数くらいのものだろう。
 彼女は、まるで、自分が何時消えてもいいように振る舞っているようにも見えた。

 だから、そんな彼女が、寺井と付き合う事になったのは、恋人同士になったのは、僥倖ぎょうこうのような出来事だったのかも知れない。

 *

「男の人と付き合った事なんてないから、どうしたら良いのかなんて分からないよ?」
 彼女はそう言って、寺井の告白を受け入れてくれた。
 もしかしたら、それは悲劇の始まりかも知れなかった。
 もしも、寺井と桜が恋人同士にならなければ、
クラスから桜が消えても、きっと寺井はほんの一月ほどでその悲しみを忘れることが出来ただろうから。



二十三、武器
 奇妙な目覚めだった。
 鼻の奥がつんとするような、悲しみにも似た郷愁が
身体の内側で渦巻いている。
 酷く、寝汗をかいている。エヴァンスは、額に手を当ててそれを拭おうとして、そこに来て初めて自分の身体から四肢がなくなっているのだということを思い出した。
 いつもと同じ夢だと思っていた。手足を捥もがれ、愛する者と引き裂かれる、その夢はいつもと違い、手足を捥がれる場面は登場しなかった。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中