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 エヴァンスはいつも座っている電動車椅子から食卓の椅子に座り換えていた。慣れた電動車椅子の座席と違い、食卓の柔らかな椅子は気持ちが良いのに、エヴァンスは何とも言えない座り心地の悪さを感じた。
 カテリナが、未だに残る絶頂の余韻で火照っているせいか少々顔を赤くしながらも、淡々とした口調で説明をし始める。
「淫魔五大貴族による集まり、通称貴族院の貴族会議にエヴァンス様は既に四回欠席されています。代理のロザリオ様が毎回委任状を手に貴族会議に出席しておられましたが、その信憑性と、エヴァンス様の生死が疑問視されています。そのため、今回の貴族会議にてその委任状の不採用が議決されれば、ラピス家が貴族院から除名される可能性があります」
 エヴァンスはそれを聞き、すっと眼を細める。
「除名……か」
 なにか感慨深げにエヴァンスはそう言う。それを聞いて聞かずか、寺井はおずおずと手を挙げた。
「どうした、客人」
「貴族がどうやらとか言われても……正直よく分かりませんので……」
「ああ、そうだな、ロザリオ」
 エヴァンスはそう言って、ロザリオに視線をやった。シャーロットはその視線に気付き、少し笑った。
「面倒くさがりなところはかわってないにゃ」
 エヴァンスはその含み笑いを無視した。
「はい。……寺井様、私から簡単に、この淫魔族自治領について説明致します」
 ロザリオはそう言って、おもむろに立ち上がると、壁に触れる。そして、ロザリオの指が何かを掻き出すように動いたかと思うと、まるでそこに書架があったかのように本が現れた。
「これは現在の淫魔族自治領を事実上支配している五大貴族についての本です」
 そう言って、席に戻り、テーブルの上で本を開くと、本から光の泡が湧き出す。本は映像資料用の魔導書のようだ。
その魔導書から出た光は空中に
地図を形作った。茶色の地図は少々凸凹した円のような半島を写し出した。ロザリオはふうっと指先に息を吹きかける。すると、指先が青白く光る。ロザリオがその指を地図の方に向けると、ちょうどレーザーポインタのように光の点が現れた。
「私たちが今いる場所がここですね。五大貴族はこの淫魔族自治領を分割して統治しています。統治というと小難しいですが、淫魔族は強い者が偉いという獣社会。要するに最も強く、実力が拮抗した五人なのです。
 東部の『生命の灼やける憤怒の摩天』に住むのが、火の売女をとめ、フランマ・ルイスを当主とするフランマ家。
 西部の『陽入る処の朱き摩天』に住むのが、石の売女をとめ、ラピス・エヴァンスを当主とする私たちラピス家。
 南部の『光満ち天界そら落ちる草原』に住むのが、運命の売女をとめ、フォルトゥーナ・ロザリンドを当主とするフォルトゥーナ家。
 北部の『屹立の黒金の摩天』に住むのが、雷の売女をとめ、トニトルス・シャーロットを当主とするトニトルス家。
 そして自治領を囲む『凪と逆白波サカシラナミの玄海うみ』に住むのが、歌の売女をとめ、カーメン・シーロップを当主とするカーメン家。
 この五つの家が淫魔族自治領を支配しているのです」
 青い光の点は、その地図を東西南北に走り、描かれている山や草原、海の絵のところでぐるぐると円を描いた。
 それを聞いて寺井は、
「今更なんですが、ここの家って凄いんですね」
 と率直な感想を述べた。金持ちの淫魔なのかという印象だったが、どうも文字通り五指に入る家だったらしい。
「ええ、それはもう」
 ロザリオはそう言ったが、その口調は少々物憂げな調子が含まれていた。
「それで、その五大貴族っていうのは十年に一度集まって、貴族会議っていうのをおこなうんにゃ。それで、まあ大まかな淫魔族全体の政策……と言ったら大仰おおぎょうにゃけど、これからどうしていくかっていうのを何となく決める会議があるにゃ。基本的には五人による多数決でね。
 そっちで言う選挙の代わりに決闘があって、任期がなくて、議員が五人しかいない民主制……みたいなかんじだと思ってくれればいいのかにゃ? そっちの世界の政治は詳しくにゃいからにゃんとなくにゃイメージにゃけど。
 にゅあ、人間と違って淫魔族はほっといても生きていくような種族にゃから、することなんて何もにゃいのにゃけどにゃ」
 シャーロットはロザリオの言葉を継ぐようにしてそう言った。寺井は言われたことを頭の中で整理してみた。五人が話し合って決める。それが五人が統べる土地の政策になり、全体に行き渡る。そういう体制のようだ。
「なるほど、よく分かりました」
 寺井はそう言って、軽く頭を下げた。
「それで、そちらの側近が六日後に迫った貴族会議でラピス家の進退を決める話が議題に挙がることを察知したというわけだな」
 エヴァンスがそう尋ねたのに、カテリナは応える。
「そうです。ラピス家が除名された後に後釜に座ろうとしているのは、フランマ家の推薦で鉄の売女をとめを名乗っている鍛冶妖精レプラコーン系の淫魔を中心としたフェルム家なのですが」
「なるほど。側近も鍛冶妖精系だからその話が耳に入ったというわけだな」
 エヴァンスはそう言って、頷くと、カテリナも「ご明察の通りです」と言って首肯した。
「なるほどな。しかし、私は見ての通りこんな姿だ」
 エヴァンスは軽く肘までの右腕を持ち上げる。きっとその動作は、両腕が残っていたなら両掌りょうてのひらを上に向けて、掲げる動作になっていただろう。しかし、実際には残された肘までの右腕が動いただけだった。エヴァンスはその肘の辺りまでしかない右腕を、すっと眼を細めて見つめた。
「五大貴族から除名されるのも無理はないだろう」
 エヴァンスはそう言った。だが、彼女のプライドが軋みを上げている音が、寺井には聞こえる気がした。それと同じ音を聞いたのか、シャーロットはわずかにぴくりと眉を動かす。しかし、表情は変えず、笑顔のまま、身を乗り出すようにして口を開いた。
「存命だということを示す事が出来れば、フランマ家も強くは出られないはずにゃ。その議題を取り下げることににゃるはずにゃ」
 シャーロットは真摯な眼差しをエヴァンスにぶつける。しかし、エヴァンスはその視線を躱かわすように目線を下げる。
「興味は無いな。元よりしがみついてまで守りたいと思っているものではない。
 ……確かに私が当主を務める時に貴族墜ちをしてしまえば、ラピス家という名家を没落させた者として歴史に汚名を残す事になるだろう。……しかし、それも致し方ないことなのだ」
 とぼそりと、それでいて拒絶の意志だけははっきりと表された言葉がエヴァンスの唇から零れた。
「逆に……、シャーロットさんはどうしてそこまでしてエヴァンスさんの貴族墜ちを防ごうとしているのですか?」
 寺井はそうシャーロットに訊ねる。寺井はエヴァンスを必死で立てようとしている様にも見えるシャーロットの言動に違和感を覚える。
 少なくとも、彼女たちの間柄は旧知の間柄であり、友好国、少なくとも中立国の代表同士でもあるという印象を受ける。ならば、それは何かしらの見返りを期待しての事なのではないだろうか? 寺井は特に政治や外交に詳しいということは無いのだが、無償でそこまでする意図が掴めなかった。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中