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「私はお姉様の怪我を治しました。目や胴体を傷つけたのが、そのナイフではなかったためか、何とか魔族治癒魔術で直すことが出来ましたが、両手足は――」
 ロザリオはそう言って、目を伏せた。
 しかし寺井はその話を聞きながら、にわかには信じられないような話だとも思っていた。退魔組織だなんて虚構(フィクション)の話のようだ。
 それが顔に出ていたのだろう。ロザリオは「少々蛇足かも知れませんが」と前置きして、説明を始めた。
「そちらの世界にそういう組織があるというのは確かに信じられないことかも知れません。ですが、新興の宗教団体なんかはよく魔界に手を出してくるのですよ」
 ロザリオはそう言ってため息を吐く。
「もう一つ言えば、恐らくその男は、戦争で狂った男だったのでしょう。何も分からずに魔界に飛ばされて、そして見えない敵兵と戦っていたのです」
 なんだか寺井はだんだん気分が悪くなってきた。なんだか自分たち人類は悪魔よりもよっぽどおかしいような、そんな言いしれぬ不安が覆い尽くしそうだった。
「世の中には、そう言う悲しい争いがあるものなのですよ」
 ロザリオはふと目を伏せる。思慮するように数秒。
 そして、|Lapis Evans' manias pedds(ラピス・エヴァンスの手足)と書かれた石碑に手を掛ける。
 石碑は表面がつるつるとしていて、ロザリオの持つカンテラの光を反射していた。
「この石碑はお姉様が『ヴァルハラに旅だった手足を弔うために』と作らせたものなのです。ヴァルハラ。死者の館。そちらの世界では北欧神話における世界の終末の時に、闘う、死した兵士の御霊をその時まで留めておく場所です。お姉様はきっとこう考えたのでしょう。
 『自分の手足ほど優れたものならば戦乙女が欲しがっても仕方がない』と。
もっとも、お姉様はこれを作らせてから、ここに来たことがありませんが……」
 ロザリオはそう言って石碑から手を離す。
「さあ、そろそろ、お夕食の時間ですよ」
 ロザリオは努めて明るくそう言って、手に持ったカンテラを掲げる。気付けば窓からの光はほとんど無くなっていた。
カンテラの中には蛍のような黄緑色の光の群れが在り、辺りを淡く照らしていた。


 寺井が夕食を食べ終え、あてがわれた部屋に戻る途中だった。
 ――きゅるきゅる。
 静かな稼働音が後ろから聞こえた。
「少し、話がある。客人」
 寺井は振り返る。冷淡というよりは怠惰な静けさを秘めたエヴァンスの瞳が、そこには在った。
「どうか……しましたか……」
 寺井はどう接して良いか分からないという雰囲気を隠せない。
「ついてこい」
 エヴァンスは有無を言わさぬ調子でそう言って、電動車椅子の踵(きびす)を返す。寺井も少し躊躇ったがそれに従った。

 エヴァンスは寺井を自分の部屋に連れてきた。そして、エヴァンスは少し危なげな調子で電動車椅子からベッドに飛び移る。
「隣に来い」
 エヴァンスは寺井に命令する。その命令は魔力でも込められているかのように――或いは比喩ではなく、実際に込められているのか――寺井の脳に響き、寺井はその通りにした。
「客人は私の過去を聞いたのだな?」

――どくん。

 寺井の胸が嫌な脈動をした。

「ロザリオを追いかけて、塔に向かうのが見えた。あそこに行けば、没年が同じ墓石に気付くだろうし、気付けば、何があったかをロザリオに聞かなければ、好奇心の強い猫のような客人は満足できまい」
 エヴァンスはそう推理を披露する。
 ほとんど完璧な推理に寺井は舌を巻く。
「……不公平だとは思わないか?」
 エヴァンスはそう言って小首を傾げる。髪だけは重力に一切逆らわずに垂れている。逐一、その動作は艶やかだった。
「私は過去を暴かれてしまったというのに……客人はその過去を隠している。これほどに不公平なことがあるか」
 エヴァンスは、寺井の方を見るでもなく、そう言った。どことなく言い訳がましくも思え、寺井は反応に困る。
「何のことでしょう?」
「とぼけるのか? 私の身体は確かに一般受けは良くないだろうが、あそこまで過剰な反応を引き出すのは難しいだろう。露骨な傷口があるわけでもないしな」
「俺は……あんたの餌なんだろう? 餌の過去が知りたいだなんておかしいじゃないか?」
 エヴァンスはその冷たい瞳を寺井に向ける。
「別に知りたいのではない。ただ、私だけがその過去の傷跡をさらけ出してしまっているのは、おかしい、そうだろう?」
 一理あるなと、寺井はそう思った。しかし、
「そんな、淫魔の不文律に付き合う義理は、別にないぞ」
「知性を持った生き物の不文律だ。耳を塞いでいるのに聞かされたというのならそんな『不文律』に付き合う義理はない。だが、客人は恐らくだが、自ら聞いたのだろう? なら、話すのが筋じゃないのか? 自分の傷も見せるべきじゃないのか?」
 魔術の知識もなければ、それを感知するような能力も無い寺井には、その言葉が、ただの言葉なのか、それとも魔術的な暗示なのかは知る術はなかったが、その言葉をもっともだと思った。それが本当に自分の意志なのかは分からない。だが、話さなければならないなという気持ちには逆らえなかった。
「……それもそうだが……」
 しかし、決断は付いても、言葉が口から出てこない。
「必ず、話します……だけど、今は未(ま)だ……」
「話せないのか?」

 寺井はこくりと頷く。
「仕方あるまい。だが、私が客人の精を食らうまでには、……話して、貰うぞ」

「……ああ、分かった……。約束しよう」
 エヴァンスはその言葉を聞くと、ふふっと、ほんの僅かに唇に弧を描いた。
 寺井は驚く。それまでその家の名が示すように、石仮面のような無表情を貫いていた彼女が、笑った。
「もう、帰って良いぞ。お休み」
 エヴァンスはそう言うと、這うようにしてベッドの上を進み、シーツにくるまった。
 その直後、魔法が解けたように動けるようになり、
「……おやすみなさい」
 と言って部屋から出た。


------------------------- 第10部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
十三、雷の売女(をとめ)

【本文】
十三、雷の売女(をとめ)

 同時刻。淫魔族自治領、屹立(キツリツ)の黒金(クロガネ)の摩天(マテン)


その部屋には、漫画やライトノベル、アニメや映画のDVDと言った、何とも貴族らしくない、ミスマッチなものばかりが並んでいた。模型フィギュアも並べられていた。

その者はインターネットに接続して掲示板に書きこんでいた。

「えっと『魔界で魔王みたいなことやってるけど質問ある?』っと。んで、こうして……こうして『暇だから答えるよ』とにゃ」

 部屋の主たる一人の女性がカタカタとパソコンのキーボードを叩いていた。

「なになに? 『一度病院行った方がいい?』心配してくれてありがとにゃ

ふふふふと唇の端から気味の悪い笑みを零しながら、F5キーを叩く。F5キーというのはいわゆるショートカットキーで、これを押すとインターネット上のページが更新されるものだ。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中