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 ロザリオはその時、彼以外に離れの屋敷を襲っていた五人の部隊を――と言うよりも彼らは、遊撃手という名の使い捨てだった――強引な転移術式で現世に送り返していた。
 ロザリオはこのことを姉に伝えようと本館に足を踏み入れ、その惨状に絶句した。
 折り重なるように倒れているのは、屋敷に招かれた上流階級のサキュバスたちだ。それから、ラピスの家に仕えていた使用人達も殺されている。
 ロザリオはその様に思わず座り込みそうになった。
 そう、大怪我ではない。死んでいるのだ。それはサキュバスにとって、魔族にとって、きわめて異常なことだ。
 戦争があればこれと同じような光景は見ることが出来る。しかし、ごく一部の脆弱(ぜいじゃく)な肉体を持つ種族以外、大抵の傷からは数日で蘇生(そせい)する。
 だがここにある光景は、戦場で見られる光景ほど凄惨(せいさん)ではないのに、全員の魂が消えており、有り体に言えば、死んでいた。
(まだ――、伏兵が居たんだ)
 それが何人かは分からない。だが、これだけの数のサキュバスを殺せるだけの力があるんだ。
 ロザリオはそれに恐怖し、そして、次の瞬間、自分の姉への心配が爆発した。
「お姉様!」
 思わず叫び、猛ダッシュで階段を駆け上がる。いつもはなんてことないはずなのに、酷く長い階段だ。ロザリオはそう思った。
「お姉様!」
 そう叫んでエヴァンスの部屋の扉を観音(かんのん)開(びら)きに開ける。
 ――――――。
 食われていた。
 一人の男がしゃがんで、むしゃむしゃと咀嚼(そしゃく)する音を立てながら、臓腑(ぞうふ)を貪り食っていた。
 男は全身にエヴァンスの腸を巻き付けるようにして満足そうな表情をしている。
「い、いやあああああああああああああああ!」
 その悪魔より遙(はる)かに悪魔的な光景にロザリオは思わず叫びを上げた。
 その声に男は視線を上げる。
 ぐるぐるとカメレオンのように出鱈目に目が回り、そしてぴたりとロザリオに焦点が合う。
「くそッ! まだベトコン女が残って居やがったかッ!」
 そう言って、男は、エヴァンスに突き刺していたナイフを引き抜いた。引き抜くときに「うっ――」というエヴァンスの呻きが聞こえた。ロザリオはその声に、あんなになってもまだ生きていてくれたという安堵と、あんなになってもまだ生きているのかという恐怖を覚えた。
 男はゆっくりと血に塗(まみ)れた穢らわしい茎をズボンに仕舞うと、ゆっくりと壊れた人形のような挙動でナイフを掲げた。
「死ねええええええッ!」
 男が突っ込んでくる。冷静さを欠いたその攻撃は、武術の経験者ならば、その巧拙(こうせつ)にかかわらず当たらなかっただろう。
 だが、ロザリオはそうではない。ロザリオは、とっさに砦の魔術を展開する。
「 , ―― Arx(アルクス). Magia(マギア).」
これは本来、籠城戦(ろうじょうせん)などの大規模な防衛戦をする時に、魔力改造を施された破城槌(はじょうつい)や投石機(とうせっき)、攻城塔(こうじょうとう)などを防御する非常に高い防御能力を持った魔術だ。ロザリオはその魔術をごく限定的に使用した。
 本来、一対一で使用するにはコストパフォーマンスが悪すぎる魔術だが、エヴァンスを打ち倒した男の能力は未知数である。その恐怖がロザリオにその魔術を選択させた。
 男は突撃の途中で壁にぶつかったように動きを止めた。
「チッ! 小癪(こしゃく)な真似しやがってよォ!」
 不可視の壁に男は一瞬狼狽するが、すぐさま激昂(げっこう)に顔を歪ませ、ナイフを振るった。ナイフに付与された『魔術無効化』が不可視の壁を削った。しかし、完全に打ち消すには至らない。
 それはいくら火が水に弱いと言っても、コップ一杯の水で火事を止めることが出来ないのと同じことだった。
 ロザリオはひやりとする。もしも、下位互換の対人用防御魔術を使っていたら、その一降りで無力化されていただろう。
 ロザリオは油断なく男に近づくと、すっと左手を掲げた。
「 , ―― Coitus(コイトゥス). Magia(マギア).」
 ロザリオの口から呪文が紡がれる。もう、ロザリオには手加減をするつもりも、人間界に返すつもりも無かった。
 姉をめちゃくちゃにされた怒りが理由ではない。
 ――恐怖。
 ただ圧倒的な恐怖のために、ロザリオはその魔術を行使した。
「死ねえええええええ!」
 男はそう言いながらナイフを振るう。その攻撃が不可視の壁に衝突するかに思われた瞬間に、その魔術そのものが解除される。男は予期していた手応えが唐突に無くなったことで、バランスを崩す。ロザリオはガードするように両掌を広げ前に突き出す。
 振るわれたナイフがロザリオの服を破いていく。しかし、それは彼女の肉体を傷つけるには僅かにリーチが短かった。男の顔をロザリオの両掌が覆う。
「――う」
 男は何かに耐えるような表情をした。そして次の瞬間、
「うわああああああああああああああああ!」
 男は両足をがくがく振るわせ、両手を、天に許しを請うように掲げながら、叫んだ。そして、ロザリオのことなど忘れてしまったかのようにその場から動けなくなっていた。
 男の動きが止まったことを確認したロザリオはエヴァンスの方へ行き、筆舌に尽くしがたいほどに無残にされた彼女を抱え上げる。
 そして、そのまま出口に向かって歩く。
「お姉様、今、手当てをいたします」
 そう言ってエヴァンスに話しかけるが、聞こえないのか、聞こえていても返事を返すことが出来ないのか、或いはその両方か、エヴァンスは何も言わなかった。
 男は立ったまま激しく痙攣していた。
 サキュバスの、ひいては淫魔族そのものの根源でもある最も純粋で強力な魔術。それがこの性魔術だ。この魔術は淫魔族の最も根源的な魔術であり、由来が古い分強力なものだった。多少の魔法耐性装備程度では到底防ぐことが出来るものではなかった。。
「うわああああああああああああああああ!」絶叫に似た悲鳴が室内に木霊する。
 
 ロザリオは男の横を通り過ぎる。
「そのまま、人の身には耐えきれない快楽に悶えながら、
 ――――死んでください」
 そう言って扉を閉めた。
 男の敗因は、
 男は三日間、立ったままで生気が果てて、死んだ。
 三日後にロザリオが再び底を訪れたとき、男の死体は半ばミイラになっており、腐りかけて黄色く変色し、それに群がってきた小蝿が産み落とした蛆虫(うじむし)で酷い有様だった。
 胸元にあるペンダントだけは、銀色の光を失っていなかった。そこには八桁の番号とアルファベットと『Maria Sharkrose』という名前が刻まれていた。



------------------------- 第9部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
幕間・確約

【本文】
 ロザリオが話す内容は衝撃だった。
 まさか人間の手によってとは。寺井は驚きを隠せないと同時に、ある種の納得を味わっていた。エヴァンスが自分に向ける敵意じみた感情。それは全て、その出来事に原因があるのかも知れなかった。
作品名:著作権フリー小説アレンジ 作家名:西中