短編集76(過去作品)
竹田は今までにそれほどたくさん夢を見たという記憶がない。夢を見ると鮮明に頭に刻まれたこと以外は忘れていくものだと思っているが、そのことに間違いはないと思う。しかし、目が覚めて、
――夢を見なかったんだ――
と思っても、それは本当に見ていなかったのだろうか?
見ているつもりでも、あまり印象が深くないので、見ていなかったと思っているだけではないかという考えが頭を擡げることがある。
逆の考えもしかりで、あまりにも印象深すぎて無意識に心の中に封印しようとしていたとも考えられないだろうか。夢を覚えている時というのは、たいてい朝起きると背中にじっとりと汗を掻いていて、目を覚ますにしたがって忘れようとする本能に意志が逆らうかのように意識が夢の中に戻ろうとする瞬間がある。それは忘れてしまいたくない夢がほとんどである。それは楽しい夢、心の奥が叫んでいるような夢、両方である。
だが、夢を見ていなかったつもりの時でも、忘れたくない夢を見た時と同じように汗を掻いている時がある。
――目を覚ましたくないな――
と思う時で、夢と現の間でさまよっている気分になる時がある。そんな時、見ていなかったつもりでも夢を見ていて、あまりにも信じたくないような夢のため、心の奥底に封印してしまおうと思うのだろう。
きっとまたいつか夢となって現われるだろうが、いつも無意識に夢として封印してしまうのだ。
そんな夢が人には一つや二つあるに違いない。
最近まで竹田もそんな夢の存在を意識していなかった。それを意識するようになったのは、どこかに出かけた時に、
「あれ、これどこかで見たことのある風景だな」
と感じることが多くなったことだ。そう感じると風景だけではない。その時の状況や描写が浮かんでくるのだ。まわりの風景だったり、太陽の位置だったり、まわりにどんな人がいるかなど、いつも同じ光景を思い浮かべるのだ。
まるで見てきたような光景、デジャブー現象のようである。
デジャブー現象とは、一度も行ったことのないところであるにもかかわらず、その光景を見た瞬間に、
「どこかで見たことあるような気がする」
と感じることであった。それが夢と密接にかかわっているように感じるのは、ごく最近になってのことだった。
目の前に座っている女性もしかりで、顔を見ていると感じる懐かしさとともに、何かの光景が連鎖的に思い出されてきそうなのだが、おぼろげで思い出そうと意識すればするほど、記憶が解き放ってくれない。
――きっとそのうちに思い出すだろう――
と思ってあまり意識しすぎないようにした。
最近の竹田は見た夢を覚えている。それには理由があって、同じ夢を何度も見るからだ。夢の内容がまったく同じシチュエーションというわけではなく、まったく同じであれば却って、すべてが重なってしまい記憶の封印に引っかかってしまうのではないだろうか。少しでも違うからこそインパクトがあり、
――どこかで感じた感覚―-
として記憶を引き出すことができるのだ。
ストレスというものをあまり感じることがなかった現実の世界だが、妄想のようなものがないとは言えないだろう。
いつもまわりの目を気にしている。ストレスを溜めないためには人から信頼されることが大切だと思っているので、人から信頼されるためには、絶えずまわりに目を向けていた。なるべくストレスを溜めないようにと考えながら、あまり必要以上の意識をしないように心がけていたつもりだが、本当にストレスが溜まっていないのだろうか。
最近見る夢のほとんどが、同じ夢ということは、以前に何かがあってそのトラウマを引きずっていると考えられなくもない。夢というものが潜在意識が見せるものだと考えるなら、ストレスやトラウマが見せる夢があってもいいだろう。妄想も潜在意識の範囲で夢となるのだ。
――殺人願望――
これが夢以外であれば、これほど恐ろしいことはない。夢であればこそ何度でも生き返り、その度に殺害するということがありうる。果たして竹田の最近いつも見ている夢は人を殺害する夢だった。
もちろん夢なので、最後まで見るということはない。いつも寸前のところで目が覚めてしまうのが夢の特徴。それは楽しい夢であっても、恐ろしい夢であっても同じことである。
――もう一度見たい――
と思ったり、
――もう二度と見たくない――
と思うのもどちらも記憶に残るであろう夢、しかし最近いつも見ている夢はその中間なのだ。だからといって、見たいのか見たくないのか中途半端というわけではなく、目が覚めてから、もう一度見たいと思うこともあれば、もう二度と見たくないと思うことも両方あるということだ。
――ああ、また見てしまった――
最初に感じるのがこの思いである。身体に感じる汗の気持ち悪さが目が覚めるにしたがって薄らいでくるのは汗が引いてくるからだ。
いくら夢の中でとはいえ、人を殺すシチュエーションはあまりにも鮮烈で、いつも見ているので、以前に見た夢の記憶がよみがえり、余計に鮮明になってくる。夢の中で以前の夢の全部を思い出すことは無理だとしても、シーンの一つ一つが記憶を呼び起こすこともある。
――前にも同じような夢を見たんだ――
夢の中で悟る瞬間である。
夢の中では普通はモノクロのイメージしか覚えていない。ドロッとした液体が身体から流れ出しても、見える色は黒にしか見えない。だが、相手の断末魔の表情を見ているだけで、それが鮮血であることはすぐに理解できる。
身体が萎縮して、動くことができない。断末魔の表情で近寄ってくる相手を払いのけようとするがかなしばりにあってしまって動くことができない。べっとりとついた鮮血を手で触った感覚が残ってるが、その瞬間に感じたのは、昔病院で見た金属の容器に入った、傷口の縫合に使った針と糸である。容器の中では明らかに真っ赤に染まっていて、そこだけまるで別世界の様相を呈していた。
その時である。夢なのに感じるはずのない匂いを感じた。金属が錆びつくような独特な匂い、それは明らかに血の匂いだった。そしてどこから匂ってくるのか病院の匂いだというイメージが頭の中に残っているおぞましいあのアルコールの匂い。
色にしろ、匂いにしろ、夢の中では感じることのできないものだと思っていた。それを感じるということは、やはり夢ではハッキリと感じていて、目が覚めてくるにしたがって、すべて忘れていくのではないだろうか。
夢の中で殺す相手はいつも同じなのに、殺し方は違っている。ナイフで刺し殺すこともあったり、首を絞めることもある。毒殺のようにすぐに結果が現われないで、気持ちがドキドキするような殺害方法もあった。
推理小説の読みすぎだろうか。
確かに学生時代から本といえばミステリーばかりを読んでいた。大学の頃などは読み漁ったと言ってもいいくらいで、夜寝る前に必ず読んでいた。
竹田は不眠症とまでいかないが、眠れない夜が続いた時期があった。別に精神的に重荷を背負っていたわけでもなく、ストレスを抱えていたわけでもない。気掛かりなことなど何もないのに、原因不明の眠れない病だった。
作品名:短編集76(過去作品) 作家名:森本晃次