短編集 くらしの中で
その三
私も同級生も皆子育てに忙しい30代を迎えた。
夫は少しずつ我が家に馴染んで来ていて、男が居ない引け目を挽回してくれた。近所の百姓達とも会話するようになってから私も地域で住みやすくなっていた。
小学校へ入った長女は学校が楽しいと言い、友達からも好感度100%で私も鼻高々だったが、二年後次女が入学し小学校中学年の頃から登校を渋り始めた。
次第に級友から疎外されるのを見るのは親としてとても辛かった。
仲良くしていた友達の親は次女と遊ぶのを拒否させ、その時は私も子供も随分辛い思いをしたが、学校全体で見守っていただいて何とか卒業し中学校に入学した。
結果を話せば長いことになるが、中学の半ばで本格的な登校拒否が始まった。それ以後の我が家はてんやわんやの数年間を過ごした。
家に籠ることのないようにとの夫の判断で、県外にアパートを借りてフリースクールに通わせた。それが功を奏して本人も自信を取り戻し、当地の高校へ入学した。
その時のフリースクールのボランティアの大学生諸氏の心遣いは感謝しきれないものがあった。高校入学を機に学校に近いアパートに引っ越しをしてから家主さんと晩御飯を食べてもらうことになった。その年にご主人を失くされた60代の方でとてもよくしていただいた。
順調ではなかった高校生活だったが二年生に進級した半ば、諸々の経過の後やむなく退学した。その後の方針として県内の予備校へ入れて大検に挑戦させた。
その間私は大学の心理学の教授が来ておられるカウンセリングを受けるため月一の日帰りで海を渡って或る個人病院へ一年間通った。
次女はカウンセラーから五年ぐらいかけてゆっくり取れば良いと言われていた大検に一発で合格し大学への進学を目指すことになった。
予備校を探すも、一般の学校では無理だと判断したので、フリースクール的な予備校を探し県外に下宿させて通わせた。一年後その学校経由のアメリカの大学へ何人かと一緒に入学した。
空港からアメリカへ出発の日には東京の大学へ遊学中の長女も来て、夫と私の三人が次女を見送った。
私は新しく買ったツーピースを着ていた記憶がありその模様まで覚えている。家族が寄り添って見守った出発であった。
作品名:短編集 くらしの中で 作家名:笹峰霧子