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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Unspeakable

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 美代子は、車が木の枝を踏む音を聞いて、無意識に窓の外に目をやった。日曜日の昼前だが、『労災成金』と遊びに行きたがる相手はいない。直斗は下松家の健也と仲がいいが、助けてもらったからといって、それを恩着せがましく理由にされて遊びに誘い出されるのは、億劫だった。健也は嫌ではなかったが、美代子がいると、武司が学校の延長のように何でも世話してもらえると期待して、後をついてくる。四年生に上がっても、武司は子供のままだ。何でも口に入れようとするし、大きな石を見つけると、必ず上に乗ってから飛び降りる。それは直斗も変わらないが、来年になれば卒業するだろう。美代子が、それまでぼうっと見つめていたテレビに視線を戻すと、直斗が言った。
「健ちゃん、来るかな」
 窓から外を見ていて、その目は期待に満ちている。美代子は横に顔を並べ、直斗の顔真似をするように目を細めながら言った。
「車では来ないよ」
 母のアルト。元は白なのに、お古のぬいぐるみのように少しだけ黒ずんでいる。縦長の石が車庫に置いてあって、華代はいつもその石にリアバンパーを軽く当て、定位置であることを確認していた。
「お母さん帰ってきた」
 美代子が言うと、直斗は気を付けのように姿勢を正した。華代が玄関の引き戸を開けると、言った。
「おかえりー」
「ただいま。あら、お行儀いいね」
 華代は鍵束を靴箱の上に置いて、靴を放り投げるように脱ぐと、廊下に上がった。
「健也くんと、公民館で会ったよ。遊びに行きたいって」
「行く」
「先にご飯ね」
 華代は直斗の頭をぽんと撫でて、台所へ入った。美代子はその後ろ姿を追おうとしたが、すでに右手に包丁を持っているのを見て、話しかけるのをやめた。直斗の頭を、華代と同じようにぽんと撫でると、直斗は笑った。
「みんなして、ぽんぽんする」
「それは、みんな直斗のことが好きだからよ」
 美代子は、窓の外に目を向けながら、言った。
「健ちゃんと、武司くんはどうかな?」
「なにが?」
「直斗のこと、好きだと思う?」
 美代子が言うと、直斗は強くうなずいた。食卓の上に置いてあるものを片付けながら、美代子はもう一度だけ、直斗の姿を目に留めた。昨日気づいたこと。足首に、軽く打ったような痕があった。あの傷は、いつ作ったものなのだろう。美代子が考えていると、いつの間にか棚の上に這い上った直斗が、そこから畳の上に飛び降りた。どすんと鈍い音が鳴り、美代子は巻き上がった埃を払いながら言った。
「ちょっと! なにしてんの」
「練習」
「なにを目指してんのよ」
 美代子は直斗の周りに舞っている埃を手で払うと、華代に言った。
「お母さん、直斗がやんちゃすぎる」
「男の子だからね」
 華代は料理の手を止めると、足の形に少しへこんだ畳を見て、顔をしかめた。棚を開けて、新品の青い手袋を取り出した。
「素手だと、手をついたときに怪我するから、手袋はめて。ひとつしかないから、なくさないでよ」
「止めないんだ」
 美代子が呆れたように笑い、直斗はそれを両手にはめて、ご飯を食べる時も外そうとしなかった。美代子は言った。
「お気に入りだね」
 直斗は、返事の代わりに、青色の手先を宙に掲げてうなずいた。
      
      
【現在 火災の二日前】
      
 三十六歳の誕生日は、町まで行って、若い頃から行きつけにしていたパン屋で祝ってもらった。それも、今年で最後になるだろう。来年の今頃に、その習慣を覚えていられる自信がない。意識して断ち切るのではなく、自然とそうなっていく。下松健也は、勝手に自分の持ち物になった家の外で、木に遮られてまばらに散った夕日の光から顔を背けた。治夫が体を壊したのは、健也が二十歳になったときだった。武司は十八歳になっていたが、生家の畑以外に居場所を見つけることができず、農機具がひとつ新しく変わっただけで、馴染むまでに数週間かかったぐらいだった。真由子も体が悪く、なし崩し的に家業に組み込まれた健也が一人前になるのを見届けるように、二十五歳の時に両方が病気で死んだ。そこから十年以上、人生に変化が起きることを徹底して拒否してきた結果、もはや自分の人生における他の選択肢というのが何だったのか、自分でも分からなくなっていた。弟を置いて出るわけにはいかないし、一緒に連れて行ったところで、どう順応させていいのかも分からない。その不安から引き戻してくれるのは、結局生まれ育った集落で、肩身は狭いものの、身の程を弁えてさえいれば飢え死ぬことはなかった。家の中に戻ろうとして健也が振り返りかけた時、車体の端がぼろぼろに錆びついたアルトが家の前で停まり、華代がドアを開けるのもまどろっこしい様子で降りようとするのが見えた。
「健ちゃん、家にいたの。探したのよ」
「華さん」
 健也は思わず名前を呼んだが、ドアの枠を掴みながら立ち上がろうとしている華代に駆け寄って、支えた。華代は立ち上がるのを諦めて、アルトの運転席へ横向きに腰を下ろすと、ドアを開けっ放しにしたまま健也に言った。
「急にいなくなっちゃうから。何かしでかすんじゃないかって、心配だったの」
 加賀谷家の裏をぐるりと囲む山の端には地下水が湧いていて、槙尾家と下松家には、その水をくみ上げる井戸がある。畑から徹底して距離を置いてきた槙尾家は、井戸を早々に埋めていたが、下松家は生活用水に使っていた。地下水の始点は林道から少し入った林の中にあり、健也は間伐に来た業者を案内しているときに、それを偶然見つけたのだという。公民館でばったり出くわした華代に、健也はそれだけを言い残して、その場を逃げるように立ち去った。華代は言った。
「転がして、そのままにしちゃったのよ」
 湧き場を覆うように横転したトラクター。古い年式で、四十年前に下松家から加賀谷家へ『献上』したものだった。健也は納得がいかない様子で、首を横に振った。
「うちがあげたトラクターを捨てるのは勝手ですけど、武司は小さい頃からあの水を飲んでたんです」
 井戸水は飲まないように。それは、華代も言ってきたことだった。しかし、井戸から上がってくる水は透き通っていて綺麗で、夏でも氷のように冷たかった。
「金属を体に入れると、頭がおかしくなるって」
 健也は呟いた。トラクターの車体は、半分以上が土の中に沈んでいた。あれを買ったときに家計に開いた穴は、結局塞がらなかったように思える。華代は、助手席を指差した。
「ちょっと、座って話しましょうよ」
 返事はなく、華代は暮れていく夕日に急かされるように、言った。
「健ちゃん」
 名前を呼ばれた健也は顔を上げたが、まだ意識がこちらへ向いていないと感じた華代は、もう一度名前を呼んだ。呼吸を整えて、目を見ながら言った。
「ほんとに、変なことは考えないのよ」
「……大丈夫です。でも彼岸だから、明後日、親戚が集まる」
 健也が言うと、華代は首を横に振った。加賀谷友彦、久実、息子の久也とその妻の麻衣、孫の順也。そして、娘の歩美。六人があの家に集まる。
「毎年の恒例ね。でも、どうするつもり?」
「トラクターの話をします。華さんだって、言いたいことあるでしょう?」
「私の家は、自業自得よ。貴弘があんな人だったから」
作品名:Unspeakable 作家名:オオサカタロウ