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短編集75(過去作品)

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 最初こそ怖くてしばし点滅している電話機を見つめていたものだが、今では入っているはずのないメッセージを再生しながら、服を着替えたりしている。元々規則的な生活をしないと気がすまない成田は、コンビニで何かを買ってきた時でも、軽いものでも料理をするようにしている。
 家でも何かをしていなければ気がすまないタイプであるが、それでも、せっかちというわけではない。余裕をもってやることを信条としていて、あまり上手ではないなりに、料理もこなしている。それでも、
「誰が来ても、作ってあげられるだけの腕かも知れないな」
 と、一度同僚をもてなした時に、話してくれた。
「いやいや、そんなことはないさ。学生時代からやってるからね」
 気持ち的にはまんざらではない。確かに学生時代からの一人暮らし、毎日とまではいかないまでも、時間のある時は大抵自分で作っていた。
 学生時代の方がある意味忙しかったかも? 友達付き合いが一番大切だった大学時代、いろいろなやつもいたもので、相手の都合など考えずに、自分の主張を押し通すやつもいた。本来なら相手にしなければいいのだろうが、彼から学ぶものも多かったので、そうもいかなかった。適当にではあるが、無理にも付き合ったりしていたのだ。
 あまり呑めない成田が、居酒屋に付き合わされることも結構あった。
「僕はあまり呑めないから」
「いいんだよ、お前は食べてれば、俺はお前と話をするのが好きなんだ」
 と、居酒屋へ引っ張っていくのだった。
 彼は確かに無理に酒を進めたりしない。それだけに話もしやすいが、私にとっても吸収するところが多いので、願ったり叶ったりではあった。時間的にも約三時間、無理な時間でもない。話し始めるとあっという間に過ぎていく時間なのだ。
 毎日の日課で、テレビを見ることはあまりない。どちらかというと見ているというより流れているという感じであろう。「ながら」が性に合っているのか、テレビをつけて、音を聞きながら料理をしたり食事したりする。以前はステレオをつけていたが、映像があるのとないのとでは雰囲気的な明るさも違う。元々バラードや静かな曲を好む成田は、音楽を聴く時は違う時と決めている。
 一人になりたい時の自分の部屋は最高である。最初の頃こそ寂しくて、仕事を終えてからまっすぐに帰るのが嫌だったが、別に行くところがあるというわけでもなく、ついつい人に付き合っていた。時間の使い方が分からなかった時だ。
 実際に最初の頃は家具といってもほとんど揃っておらず、ビデオデッキすらなかった。十四インチ型のテレビに、ラジカセ、まるで二十年近く前の新入社員の一人暮らしのようだった。しかし、少しでも揃ってくると家に帰るのが楽しみになる。引きこもっているわけではないが、溜めておいたビデオを見るのも楽しみの一つである。もっとも掃除など好きではないので、適当に散らかっている方が落ち着くみたいで、最初の頃こそ会社の同僚を呼んでいたが、すっかり最近では呼ぶこともなくなった。
 それだけに部屋の中から漏れてくる冷たい空気を感じている。一瞬であっても、寂しさが中から勢いをつけて出てくるようだ。
 まわりのことが済んで落ち着いてくると、ゆっくりとソファーベッドに座ってテレビを見る。集中しているわけではなく、座るといっても半分横になったような感じで腰掛けながらのだらしない恰好をしばし楽しんでいた。そのうちに襲ってくる睡魔に勝てない成田は、そのまま寝室へともぐりこむ。あまりにも疲れている時は風呂にも入らず、着替えだけして布団にもぐりこむ。そこまでない時は、風呂から上がって布団に入ると、後は読書の時間であった。
 たっぷりと一時間はかけようといつも思うのだが、よくもって三十分がいいとこ、すぐに眠くなってしまうのだ。睡魔に負けてしまうのも眠れないよりはよく、心地よい眠りへの序奏曲なのだ。
 テレビ番組でもそうなのだが、読む本もそれほど考えながらだったり、深い意味のあるような本は読まない。ティンエイジャーがよく読んでいる軽めのミステリーなどが多い。それだけ「ながら」生活が身に沁みているのだろう。
 しかしそれでも規則的な生活である。きっちりと午後十一時頃には眠りに就き、朝は六時前に目が覚める。まだ夜明け前なのだ。
 カーテンから漏れてくる朝日を感じるようになるまで、成田は布団から出ようとはしない。以前であればそれほどゆっくりと布団の中にいると、再度睡魔に襲われそうなのだが、あれは数ヶ月前のことだった。夢から覚めていくのを感じながら、忘れていく夢を、
――忘れたくない――
 と感じるようになったからである。
 夢というのは目が覚めて意識がハッキリするに反比例し、忘れていくものである。しかも、
――忘れたくない――
 と思えば思うほど、記憶の忘却は待ってくれない。完全に意志に逆らっているのだ。逆らわれた意志も意地になる。
――今度は絶対に忘れるものか――
 と考えるが、急激に目を覚まさなければならない状況に陥るから、忘れるのもあっという間なのだ。余裕のない目覚めに、少しでも余裕を感じることで、少しはどんなことだったか後で思い出せるようになるかも知れない。今の状況だと、思い出そうとしてもどんな内容のことだったかということ以前に、シチュエーションすらまったく覚えていないというありさまである。
 思い出したい夢を時々見ることがある。しかし、目が覚めて思い出したい夢だったと感じるのではなく、かなり後になってからのことだ。むしろ、まったく違う夢を見たはずなのに、目が覚めていくにしたがって、以前に見た夢を忘れていった時の感覚がよみがえってくるかのようなのだ。何とも不思議な感覚である。
 そんなことがあってからであろうか。成田はいつでも夢を思い出せるように、なるべく頭の奥深くに封印されないように、余裕を持った目覚めを考えるようになった。
 不思議なことに、こっちの方が目覚めはいい。理屈から考えれば確かにそうなのかも知れないが、どうも朝起きる時にゆっくりしていると、そのままもう一度睡魔が襲ってきて起きれなくなってしまうように思えて仕方がないのだ。バタバタすることでパッチリと目を開けることができる。せっかちなところがあると思っている成田らしい。
 真っ暗な部屋で目が覚めると、電気製品の明かりだけが点灯している。緑の電気、赤い電気、さまざまである。台所にいけば、きっといっぱいそんな光景が見れそうだ。
 目が覚めるまで見つめている天井はいつも同じ高さというわけではないように感じるのはなぜだろう?
 体調の良し悪しに関係していることだろうか?
 成田は、目が覚める途中でいつも考えることだ。同じ光景ばかり毎日見ていると、却ってそう感じるのかも知れない。
 部屋にいて一番寂しさを感じるのは帰ってきた時に部屋から漏れてくる冷たい風というよりも、むしろ朝起きてから本当に目が覚めるまでの時間である。確かに部屋に帰ってきて来た時というのも寂しいのだが、仕事をして帰ってきたという充実感が身体に漲っているのだ。疲れてはいるものの、身体は心地よい。それだけに、億劫になることはあっても、寂しさとは少し違うものである。
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次