短編集75(過去作品)
会社に入って最初はまずどんな人がいるか、それが一番の不安である。好きになれそうな人、肌が会わない人、入社三ヶ月くらいで大体分かるようになってきた。最初は研修期間ということで、相手も遠慮して話していたが、そのうちに言葉の端々で出る感情を注意深く見ていると次第に分かってくるというものである。
直属の上司を見ていると、彼はまわりに流されやすいタイプのようである。自分に自信がないのか、どこか一本筋の通ったところを見つけることができないのだ。
彼を見ていると他人のように思えない稲葉であるが、それは彼が小学生時代、あまり自分というものを持っていなかった頃を見ているようで、ヘンな懐かしさがあった。
自分を持っていなかった小学生時代、因幡はいじめられっこだった。自分ではなぜ虐められるか分かっておらず、理不尽ないじめだと思っていた。だが、それも分かってくるとそのほとんどは自分に非があるのである。自分を持っていないとまわりが見えるわけもなく、相手にしている方も苛立ちを感じるようになる。それがいじめに繋がるのが小学生というもの、分かってみれば仲直りが早いのも当時の小学生のいいところでもあった。
私の幸運は友達に恵まれたことだ。いじめられっこだった私にも友達はいた。彼は私から見ても頼りがいがあって、
「どうしていじめられっこの僕なんかと遊んでくれるんだい?」
と一度訊ねたことがあったが、
「俺にはそんなの関係ないさ、自分が友達だと思えば、友達なんだよ」
と、これ以上ないくらいの単刀直入な答えであった。私はその時に、目からウロコが落ちたに違いない。
稲葉はいつも何かを頭の中で考えているような少年だった。それは今でも変わっていないが、考えることは悪いことではない。しかし単刀直入でストレートな考え方が実は一番自分にあっているのではないかと思ったのは、その時だった。それからはあれこれ考えても、最短距離で物事を見るようになったのだ。だからこそ、合理的な考え方をするようになったのだろう。
人間にはそれぞれ節目のようなものがあるのだろう。自分に自信を持つには、必ずどこかでターニングポイントが存在するはずだ。もちろん稲葉にも何度かあった。いじめられっこのまま大きくなったわけではない。
友達との出会いもその一つだった。そして中学時代に遊びでやっていたギターもその一つだった。たまたま修学旅行の余興でやれば、それを見たクラスメイトから、
「バンド組まないか」
と言われて、組んだこともあった。幸い中学高校と一貫教育の学校だったので、高校受験がないことで、バンドに専念することができたのだ。
それなりに充実した高校生活だった。そんな中で何度か彼女もできた。初めて女性を抱いたのもそんな頃だった。何も考えなくとも楽しい時期、それが青春だと思っていた。
だが、稲葉はそれほど単純な男ではなかった。楽しいのは楽しかったが、いつも何かを考えていて、言い知れぬ不安に苛まれていたのも事実である。もっとも何かを考えている以上、言い知れぬ不安のようなものが付きまとうのも、仕方のないことかも知れない。
小学生の頃、理論的なことを考えるのが好きだった稲葉少年は、算数の公式のようなものを思い浮かべていたように思う。すべてを数式の中で組み立てて考える。複雑な心理の存在しない小学生、それなりにいろいろな数式が頭に浮かんだ。それこそ、真っ直ぐな発想である。しかし、中学に入るとそうでもなくなった。数学というものを習い始めると、自分が一生懸命に頭を捻って考えていた数式が、あっという間の代数で解かれてしまうのだ。味気ないものだった。そんな意味で数式への興味は薄れ、数学がどうにも好きになれなかった。その頃からである。稲葉は勉強に興味を示さなくなっていた。
バンドを始めて感じたことがあった。
――自分が誰かと一緒でないと実力を発揮できないのではないか――
ということである。バンドを組むということは、自分がその一つのパートを担うということで、まわりがあっての自分でもある。しかし、最高の音楽を表現するには、それぞれが同じ気持ちになって一つのことへの達成感を共有しようと考えないと、なし得ないのではなかろうか。
より大きな一つのものを表現するためにいろいろな楽器を使う。それがバンドである。稲葉はそのままギターリストで終わる気はしなかった。もちろん、最初からバンドでプロになろうとまでは考えたことはなかったが、
――より大きな一つのものを表現したい――
という気持ちは、それ以後自分が作曲をしてみたいという夢に向って形成されていることを自覚していた。
――ものを作ることの素晴らしさ――
その考え方が、人生の中での壮大なテーマとして、稲葉の頭の中の中心に芽生えたのである。
自分の人生の中で起こるイベントはすべてそのための前奏曲であるかのように感じていた。彼女ができても入れ込むことはせず、いつも冷静に状況を判断していた。
「あなたって、どこか冷めたところがあるようね」
と女から言われたこともあるが、だからといって女は稲葉から離れようとしない。それも稲葉にとって自分に自信をつける一つとなったのだ。
――自分に自信があれば、より大きなことができるんだ――
と確信していた時期である。
稲葉はある程度増長していたことは自分でも分かっていた。一足す一が二ではなく、三にも四にもなる。そんなことを可能にできるようになるために、いろいろ頭の中を整理しているのだと考えていた。
――そのためなら増長大いに結構――
と思っていたが、果たしてそうだったのだろうか? 言い知れぬ不安がそこからやってきたのも事実である。
言い知れぬ不安について考えたこともある。いろいろ考えて大きなものを作ろうとしているわりには、
――自分のまわりが雁字搦めになっていて、狭い範囲でしか物事を考えられないのではないだろうか――
と考えていることである。
――逆に狭い範囲だから、まわりに拡がっていける余地があるんだ――
という考え方もある。確かにそうだろう。まだ精神的に発展途上の青春真っ只中、最初から完成された考え方など存在しないのだ。
当時の稲葉は、「芸術」という言葉に造詣を深め、「芸術家」であるということを自分自身で悟ことが一番大切だと思っていた時期である。
しかしコツコツ積み重ねてきた努力も、一度の失敗でそれが奈落の底に突き落とされることもある。
元々躁鬱症だという意識のない稲葉は、自分が自信の塊のような気がしていた。事実、作曲をしていて楽しかったし、自分のバンドでのオリジナル曲は自分が書いていた。アマチュアバンドとしてはなかなかではなかっただろうか。
作曲オーデションなどにも果敢に応募して自分の実力を試してみたりした。しかし、一度も入賞はおろか、佳作に入ることもない。何年も投稿しているにも関わらず一度として結果に現われないのだ。
それでもまわりは、
「お前の曲は素晴らしい。自信を持っていればいいんだ」
と言ってくれる。だが、そう言われれば言われるほど自分の中でのギャップが激しくなり、ストレスが溜まってくる。自分が分からなくなってきたのだ。
作品名:短編集75(過去作品) 作家名:森本晃次