めいでんさんぶる 2.幽霊兎の葬送曲
遅いテンポだが木製の廊下に一歩踏みだし、次に何か引きずる音が続く。
やばい、向こうが歩いてきてる。
私は背中に悪寒を感じながらも声を上げずにスカートの端を掴んでダッと走り出す。
どうしよう何処に行けばいいのやら。
厨房に行ってもとめさんは買い出しでいない。佐遊御さんはきっと戻っているだろうけど何処にいるのか分からない。三井さんも同じ理由で駄目だ。
しかたない。ひとまず外に出てしまおう。
向こうで何か重い物がストンと地面に落ちた音がした、が今は構っている余裕はない。
まっすぐの廊下を曲がってから一息入れる。
ここからさっきの場所までは100mもある。
角からそっと顔を出して様子を伺ってみる。
やば、何かいるよ!
私はそこまで視力は良くないのではっきりとは見えないがさっき手だけが見えていたのが今は少し進んだ所に下に白い何かがいる。
はっているのかゆっくりだけどもぞもぞと動いていて……、
や、やば! 壷の置いている台まで近付いてきていて手を伸ばしている!
このままじゃ壷が落ちて割れてしまう。割れたのが幽霊の仕業なんて三井さんには言えないよ。
ではどうするのか? 割れてしまったら研修どころではなくなる。しかし行くと呪われたり、もしかして殺されるかもしれない。
悩んでいる時間はない。
私は決心した。
━━今からあそこまで走って壷を守る!
「そこの壷割っちゃ駄目ー!」
私は決心して5秒後にはスカートの端を掴んで廊下を全速力で幽霊の方へ駆けていた。
ぅぅうううぅぅぅ
幽霊が壷の乗っている台を軸にして立ち上がろうとしているのか、その度に台に乗った壷は揺れる。
「だから駄目って言ってるでしょ~っ!?」
台が大きく揺れ、壷が右往左往に傾いてバランスを崩し、空中へと放り出される。
ここからあそこまで20m程。
私はさらに力を込めて走る。
壷は床との距離を縮めながら80度、70度、果てには60度まで傾く。
こっ、このままじゃ間に合わない!
私は覚悟を決めて角度を定めて手を伸ばし飛び込むようにジャンプ、つまりはスライディングを繰り出した。
壷は床から20cm、10cm。
私の手は壷まで40cm、30cm。
ま、間に合わない!
私はさらに水泳のけのびみたいに顔を伏せてさらに手を伸ばす。
もう私には見えない。後は神のみぞ知る……。
…………
………
……
…
壷の割れる音は聞こえない。
確かめに顔を上げると私の手の上には傾いた壷。
それに手にのしかかる重みが私に安心感を与えてくれた。
「よ、良かった……」
ミッション、クリア。コングチュラレーション、私。
壷をとりあえず床に置き、スライディングの状態から立ち上が━━、
「ひぃぃぃっああっっ!!」
幽霊の事すっかり忘れてた。
私は慌ててその場から10歩程離れて様子を伺った。
「ううぅぅぅ……」
幽霊は顔はつっぷしたまま右手だけを相変わらず伸ばしている。
髪の毛はまるで老婆の白髪みたいに真っ白だけど……制服を着ているのはどうしてだろう。どうやら女性みたいだけれど。
もしかして、もしかすると。
「幽霊、じゃない?」
……うーん、でもよくよく考えれば幽霊は実体が無いのだから台に触るなんて事は出来ない? だとすれば生きてる人間だよね?
私の幽霊に関する知識はあまりないので自分に聞いても自分の答えは疑問系で帰ってくる。
とりあえず透けてもいなければ足もきちんと二本ある幽霊ではないかもな人に訪ねてみる事にした。
「あの、もしもし。聞こえますか?」
返事は無い。ただの屍のようだ。
「あの……」
「……な、…す………た」
ぇ、何か言った? 顔がうつぶせだからよく聞こえない。
私は思い切って彼女に近付き、肩を人差し指でとんとんと叩いてみた。
確かに触れるみたいだけど。
「た……て…い…」
また何か呟いたみたい。やっぱり聞こえない。
このままじゃ声も聞き取れないし彼女もきっとこの体勢じゃ苦しいだろうから思い切って仰向けにしてみよう。
手や足は相変わらず真っ白だけど体温は人並みにある。
顔を初めて見た時、左目に眼帯をしていて驚いたけれどそれ以外は私と変わらない位の普通の女の子だった。
耳を彼女の口に近付けると口を僅かに動かし、
「お腹が空きました。助けて下さい」
と聞き取ることができた。
どうやら空腹が原因で倒れていたらしい。
もうここまで来れば空腹のまま死んでいった若いメイドの霊、なんて言う人はいない。
「ご飯!? 今すぐ食べさせてあげるから!」
確かお昼はとめさんが作り置きしていったはず。
私は彼女をおんぶすると厨房まで急いだ。
「少しだけ待っていて。暖めるから!」
調理台の備え付けの椅子に彼女を座らせ、とめさんのメモの重り代わりだったクッキーを一応食べさせてから私は鍋に火をかけ始めた。同時にレンジも稼働させる。プチとめさんだ。
えーと、お皿にナイフとフォークを用意して、レンジの中をとってお皿に移して、ああ、コンロの方ももう良いかな。
必死だったからか驚く程テキパキと用意出来た、気がする。
「出来たよ」
ぐったりとしている白髪の女の子の前に料理の乗ったお皿を置き、ナイフとフォークを差し出すとむっくりと起き上がり、いただきますも言わないでもくもくと料理を食べ始めた。
色々質問したい事がたくさんあるけれどもう少し落ち着いてから聞くことにしよう。
お茶の用意をしてから彼女の向かいに椅子を用意して座る。
それにしても随分と変わった容姿をしている。雪のように白い髪と肌。林檎のように赤い虹彩を持った瞳と低めのツインテールもあってなんだか白兎みたい。眼帯は……怪我でもしたのかな。
しばらくして彼女はナイフとフォークを置いて私に顔を向けた。
「遅くなって申し訳ありません。助けて頂いてありがとうございます」
「いやいやっ! 私も最初は色々勘違いしてて早く助けてあげないでごめん! それにご飯作ったのだってとめさんだし!」
「聖良は新垣聖良(あらがき せいら)と申します。16歳です。……貴女様は初めてお目にかかりますね?」
新垣聖良、名前がセーラ、って外国人みたいな名前だけれど一応日本人、みたい。
「そう、研修で一週間ここにお仕えしてるんだ。名前は久隅茉莉。ぁ、タメ口でいいからね?」
私なんか初対面でいきなりタメ口。こう言っておかないと私の立場がないし、せっかく年が近いのだから是非お近付きになっておきたい。
「……茉莉さん」
聖良ちゃんは私の名前を確かめるように呟くと無表情チックな口元を少しほころばせた。
「あ、続けて食べちゃっていいよ。お茶もあるから」
うん、と頷くと再びナイフとフォークを手にとった。
朝、田井中さんが言っていた気がするけど確か聖良ちゃんはパーラーメイドで御主人様のお気に入り。
確かにパーラーメイドとしては申し文無い綺麗な子だけど、珍しいよね?
御主人様もどんな趣味をしているんだろう?
「因みに聖良は食いしん坊じゃないの」
「え?」
「昨夜から御主人様のお側にいて食事をとっていないだけで。聖良は食いしん坊じゃないの」
勘違いしないで、って事ね。
「うん。分かった」
……それにしても食事もとらずにお仕事だなんて、この仕事でそんな事してたらいつかは死んじゃうよ。
作品名:めいでんさんぶる 2.幽霊兎の葬送曲 作家名:えき