魔導姫譚ヴァルハラ
ドローミが宙を奔る。
「キミの相手はボクだって!」
ドローミが刀に絡まった。
アカツキはその場を動けない。動くためには刀を捨てなくてはならない。
「生きていたのか!」
「目の前の出来事が現実だよ」
シキは鼻を押さえたまま片手でドローミを手繰り寄せた。
抵抗するアカツキだが、その躰が少しずつ引っ張られていく。
そして、ついにシキとアカツキは一メートルのところで互いを見つめた。
アカツキは怪訝な顔をした。
「俺様は今まで負けたことはおろか、苦戦したことすらない……貴様なに者だ?」
「なんでも屋シキだよ」
「人間……ではないな?」
「さあ」
「それどころか……」
「それ以上いったら握りつぶすよ。キミだって付いてるんだろ?」
妖しく微笑みながらシキは鬼気を放った。その妖しさは、アカツキを優っている。
さらにシキは続ける。
「それにしてもなんで気づいたの?」
「…………」
「だんまりしちゃイヤだよ。キミのその着物、魔導装甲機体だよね。その〈ムゲン〉の能力が関係あったりするのかな?」
「お互いくだらない詮索だ」
アカツキは刀を捨てて蹴りを放った。
長く伸びた美脚はシキの胴を捉えていた。シキもまだ躱していない。
しかし外れた!?
狙いを誤ったわけでも、相手が避けたわけでもなかった。
轟音と共に艦内が大きく傾いたのだ。
《緊急事態ばっかりなんだけど、正体不明の物体と衝突した模様。今スクリーンの出すから見て!》
壁の一面が巨大スクリーンになり、そこに海中の様子が映し出された。
炎麗夜は首を傾げた。
「見えないぞ?」
ケイも同じような顔をした。
「魚一匹いないけど?」
だが一瞬、蛇の尾のような影が映り込んだ。
アカツキの首に鎖を巻き付けながら、シキは隠した鼻の下で苦笑いを浮かべた。
「久しぶりに見たよアレ」
再び艦内が揺れた。艦内と言うより、ベヒモス全体が揺れているのだ。
《あ……言いづらいんだけど、正体不明の生物に巻き付かれた模様》
またスクリーンに影が映った。
「きゃっ!」
叫び声をあげたケイの瞳に映った大海獣。
炎麗夜の輝きが少し弱くなった。
「な……なんだいあれ?」
その正体を知っている者がひとり。
「間違いない、リヴァイアサンだよ!」
シキが叫んだ。
艦内が一気にざわめき立ち、叫び声が次々とあがった。
恐ろしい大海獣が現れ、危機的状況なのはケイにもわかるが、その名前を聞いた途端こうなったことは理解できなかった。
「リバースさんってなんですか?」
聞かれた炎麗夜が答える。
「生きた伝説だよ。ニホン近海にいるとは聞いちゃあいたけど、この広い海で鉢合わせなんて悪夢だねえ。本気出しゃあ、ニホンを沈められるって噂の魔獣さ。〈ノアインパクト〉はこいつらのせいって噂だね」
また艦内が傾いた。傾いただけでは済まなかった。そのままゆっくりと天地がひっくり返る。
そこら中から絶叫があがった。
今まで必死に自分と戦っていた風鈴だったが、足がその場から離れてしまったと同時にバリア消滅した。
躰を振り回されるこの事態の中でも、シキはアカツキをしっかりと鎖で拘束していた。顔面に至っては超乳でクラッチしている。
「あぁン、顔動かさないで!」
「好い乳だが、俺様の求めている柔らかさではない」
「あっ……口動かすなんて……んふ……」
覆い被さって抱き合っている二人を見下ろす二人の白い視線。
「お楽しみのとこ悪いんだが」
「信じられない……まさかこんなところで?(たしかレズなんじゃなかったっけ?)」
炎麗夜とケイが続けてしゃべった。
立っていた二人がバランスを崩して床に手をついた。また激しく揺れたのだ。
《完全に操縦を奪われちゃったみたい。浮上を試みるけど、ヤバイかも夜露死苦(よろしく)!》
エレベーターのような浮遊感がした。
ギャァーーーッス!
この世のもとは思えない咆吼が外から響いてきた。
《ダメっ、引きずり戻されるッ!》
ゴォン! ゴォン!
艦内に響く外からの打撃音。
《限界限界、もう限界だってば! ベヒモスも暴れ苦しそう……無理矢理〈カイジュ〉されそう……ああっ》
最悪の事態が起ころうとしていた。
騒ぎ出す女たち。
ケイはベヒモスの口の方を指差した。
「水漏れ……なわけないよね。うん、唾液唾液!」
海水が少しずつ流れ込んできていた。まだそれほどの量ではないが、あの口が一気に開いたら……。
この危機を回避する方法はないのか?
「ボクのグレイプニルなら、リヴァイアサンも捕らえることができるんだけど」
シキの視線は目の前のアカツキを見て、すぐに床を転がっていたモーリアンに向けられた。
「アカツキ姫はボクが天敵みたいだから離れられないし、肝心なグレイプニルはあっちのモーリちゃんに使っちゃってるし」
「俺様はここで死ぬわけにはいかない。抵抗しないと約束してやる」
アカツキと同じくモーリアンも誓った。
「死んだら任務も遂行できない。私も抵抗しないと誓おう」
二人の言葉を鵜呑みにするわけにはいかないだろう。
シキは普通の鎖でアカツキを肉が食い込むほど縛り上げ、炎麗夜に任せた。
「ちょっと見張ってて」
次にシキはモーリアンを普通の鎖で縛り直し、炎麗夜の前まで引きずってきた。
「二人も任せて悪いけど、見張ってて。じゃ、ボクがんばってくるから」
急いでシキが駆け出した瞬間だった、示し合わせたようにアカツキとモーリアンが鎖を引き千切った。
「ここで死ぬ気はないが、俺様には使命がある」
「同じく。私もここで死ぬ気はないが、任務は最後まで遂行する」
二人は床に落ちている自分の武器に向かって走り出した。
炎麗夜は見張れとは言われたが、ケイを守っていて動けない。さらに敵は二手に分かれてしまったのだ。
急いでシキが戻ろうとしたが、それは叶わなかった。
ベヒモスの口が一気に開いたのだ。
海水の壁が襲い来る!
それはあまりに無力だった。
すべては一瞬にして呑み込まれた――叫び声すらも。
作品名:魔導姫譚ヴァルハラ 作家名:秋月あきら(秋月瑛)