北へふたり旅 61話~65話
昭和39年。東海道新幹線が開業したとき。
広い窓からの眺望が、乗客を魅了した。
窓は客席2列に1枚のおおきさで、幅は1460mm。
防音壁はほとんどなかった。
高架線から富士山や、浜名湖の景色を存分に楽しめた。
しかし。窓がおおきいのは初代だけ。
速度があがるにつれ、窓がどんどん小型化していく。
次世代型の新幹線・アルファエックスは、航空機のようなちいさな窓。
札幌まで路線が伸びても、高い防音壁と、ところどころ開いた小窓からでは
北の旅情は味わえないだろう。
「あら。よけい見えなくなっちゃうの?。どうしましょう。
やっぱり、飛行機に乗れる女になる必要があるかしら。あたし・・・」
「無理することはない。いまのままで充分さ。
それより道を譲らないと厄介だ。
うしろからすごい勢いで、中国人のグループやって来た」
妻がうしろを振り返る。
ひと車両を占領していた中国人観光客の一団が、けたたましい会話とともに
わたしたちのすぐ真後ろへ迫っていた。
あわてて妻が道をゆずる。
「シエシエ」の声に、「ブーヨンシエ」と妻が即座に返す。
ありがとうと言われたことにたいし、不用(ブーヨン・いらない)と、
謝(シエ・ありがとう)をつけると、ありがとうはいらないよ、
どういたしましての意味になる。
「おっ・・・いつの間に中国語を覚えたんだ?」
「研修生のトンに教わったの。
日本へやってくる観光客の中で、中国人がとくに多いと言ったら、
便利に使える言葉を、いくつか教えてくれました」
「あいつ。大学を出たと言っていたからな。
へぇぇ。中国語も堪能なんだ。あいつ」
「英語と中国語は理解できるの。
でも日本語だけがからっきし駄目。
どうなっているんでしょうね。あの子の頭の中は」
中国人の一行が函館と書かれた通路を曲がっていく。
そのさきは、在来線の函館行きホーム。
どうやらかれらの行先は、われわれと同じらしい。
(65)へつづく
作品名:北へふたり旅 61話~65話 作家名:落合順平