小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

粧説帝国銀行事件

INDEX|46ページ/47ページ|

次のページ前のページ
 

竹槍


 
「でもやっぱりあれが本当なんだろうね。犯人はantidoteを使ったという」
 
とエリーが炬燵の向こうで起き上がって言ったが、瞭子にはその単語がわからなかった。「何を使った?」と問い返すと、
 
「アンチドート。だからアンチ・ポイズン(抗毒薬)だよ。日本語でなんと言うのかな」
 
「解毒剤?」
 
「それだ。ゲドッグザーイを使ったという。戦争中に日本が作ったシアンのゲドッグザーイがあって、犯人は銀行に入る前に飲んでたんだ」
 
「へえ」
 
「この新聞に書いてないの?」
 
炬燵の上に広げたままの新聞をつつく。瞭子が「あるけど」と答えると、
 
「でしょ? やっぱそれしかないよね。そんな薬でもない限りできるようなことじゃないよ。他の手品はまったくダメで、OSS(戦略情報事務局)が使える手として欲しがるなんてあるわけない」
 
「おーえす?」
 
「そうさ。こないだガンジーが殺されたけど、あれはピストルでズドンだったろ。やったやつはその場で捕まるかスイサイド(自決)するか」
 
「うん……」
 
「普通のアサシン(暗殺)はそうだけど、テギーンのやり方なら逃げられるんだ。スターリンやマオ・ツォトン(毛沢東)も殺せるし、コミー(共産主義者)のパーティー(集会)とかに入ってみんな殺すこともできる。ニガー(黒人)のインプルーブメント(地位向上)とかコロニー(植民地)のインディペンデンス(独立)とか言うやつらもみんな毒を飲ませて殺せる。ただしそれにはどうしてもゲドッグザーイが必要で、他に安全確実な手はない」
 
「えっと……」
 
「それがワスプのプロット(陰謀)なんだよ。アトム(原爆)では街ごと全部吹っ飛ばすから女子供まで死んじゃうけど、テギーンのやり方ならばターゲット(標的)だけ殺せるんだ。あの事件は実験でそれが成功したんだから人がこれからバタバタ暗殺されるんだって」
 
「そう……」
 
と言った。知らない単語が多かったが今のと同じような話は確かにこの新聞にあるし、ラジオのニュースもさかんに言ってる。
 
今はアメリカ陸軍の長官が日本を共産主義の防壁にすると公言している時勢だ。ソ連や中国が核を持つ前に千発の原爆を落としてひとり残らず殺してやりたい。だがそれでは証拠が残り、自分達が悪者になる。
 
それに全部殺さずとも、中枢の者だけでいい。そしてアメリカ内部の敵だ。革命だのなんだのといった言葉で民衆を煽り、今の社会を変えようとする者。
 
そんなやつらをうまいこと抹殺できる方法はないか――為政者はそう考える。自分達の地位を脅かす者どもだけをきれいに消せる方法はないかと。
 
かつての日本の帝国主義者も当然のようにこれを考え、完璧な方法を編み出していた。そう、帝銀の手口がそれだ。医学博士の名刺を持って殺したい者の許を訪ね、伝染病が出たからと言って毒を飲ませる。自分がまず飲んで見せれば相手は決して疑わず、それを飲んで死ぬだろう。ただしそれには前もって飲んでおける解毒剤が不可欠で、日本軍はそれを開発していたのだ。
 
ということが新聞に書かれ、ラジオも言ってる。瞭子も読んだし聴いていたが、戦時中に同じ者らが竹槍を持てば勝てるのだから日本は勝てると叫んでいたのと似たもののように思えてならずにこれまで考えてみてこなかった。
 
竹槍訓練をやらされた頃、瞭子は17歳だった。礼文華は海岸の町だったから、やらす大人は米軍が上陸場所に選ぶのはここだと怒鳴り散らしていた。大艦隊がやって来ても女の力で撃退できるのだとも。
 
それで竹を持たされて海に向かってえいえいやあとやったけど、本州と繋がってもいないあんな辺鄙な田舎町に上陸してどうするのやら。
 
瞭子はそう感じていたがやらす者らは本気なのがよくわかったし、疑問を口に出しただけでどうなるか知れたものでなかった。この事件でラジオ・新聞が言うことはあれと同じの気がしてならない。
 
解毒剤説に限らず事件の闇の組織による大量暗殺計画のための実験という話のすべてが。だから考えてこなかったのだが、しかしアメリカの新聞も同じことを書いてるのか。
 
なら話は違うのでは?と思った。この記事にはその解毒剤が軍の研究データとともに最近どこか闇の組織に渡ったらしき話があると書いてあり、ラジオもそんなことを言ってる。日本の報道ではそうだが、
 
「そっちの新聞ではそうなの?」と言った。「えっと、そのあんちどっとが米軍の手に渡ったとはっきり書いてあるわけなの? だからつまり……」
 
自分の英語力ではうまく言葉にできない。どうにか意を伝えるとエリーは、
 
「そうだよ。米軍のスパイ機関は戦争中からその情報を掴んでたんだ。二年探して去年ようやく暗殺法を研究してた日本人を見つけたのさ。日本の警察はもう知ってる。その記者が日本の刑事からじかに聞いた話だってちゃんと書いてあるんだよ」
 
「ええと……」
 
「そっか。日本の新聞はインスペクト(検閲)があって書けないんだね。でもこっちには関係ないもん。外国はどこもそう書いてんじゃないかな。イギリスもフランスも……」
 
「米軍の実験だって?」
 
「そう。アメリカじゃ政治家が、そんな計画があるのは国のシェイム(恥)だからきっと暴いて首謀者を法廷に立たせてみせるとか言っててね」
 
「えっと……」
 
「だから米軍がやったんだよ。そんな男が来たら自分も疑わず毒を飲んでしまうだろう、ワタシが毒で死んだ時はテギンジケンのやり方で暗殺されたと考えてくれと言う人間がたくさんいるのさ」
 
「アメリカに?」
 
「そうだよ。だから何よりもアメリカ政府が国内の邪魔な人間を殺そうとしている。その実験を日本でやったわけなんだね」
 
「ははあ」
 
と言った。やっぱりどこか話が変で、竹槍みたいに感じるところだらけな気がする。
 
けれど日本の報道よりは信じられる話のようにも。日本の新聞が書けないことが外国は書ける。解毒剤を日本が作り米軍に渡った事実があるというならその一部は正しいということじゃないのか。
 
そう思った。そして全部が正しくなくても別にわたしはいいんじゃないかと。
 
わたしはそこだけ正しければいいんじゃないのか。父が犯人でさえなければ他の事はいいんだから……陰謀話の部分は全部竹槍と同じイカレた与太でも。
 
そうだ、と思った。それどころか、別に薬が米軍の手に渡ったのでなくていいのじゃないか。日本軍が秘密に作った解毒剤があるという、それだけでわたしはいいのじゃないか。犯人はその薬を持ち続けてた人間で、犯行前に飲んでいたから青酸を飲んでなんともなかったのだ。
 
そんなものが父さんの手に入るはずないのだから父さんは犯人じゃない。似顔もシミも傷痕も、拾萬の金も関係ない。
 
小切手の住所もだ。それに名刺。松井という人と会って名刺を交わしてないなら父さんは犯人じゃない。
 
その理屈になるだろう。その博士が北海道をまわってたなら会っているかもしれないというのはわたしの想像に過ぎないじゃないか。普通に考えてそんなこと、宝くじ並みの確率じゃないか。
 
作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之