短編集74(過去作品)
次の日、智子は何となく今までせわしかった自分を思い返していた。時間にカチッとしていないと気がすまない性格。いつにも増して、その気持ちを強く持っていた。
裕也に抱かれたことで、トラウマが少し解消されたような気がする。すべてに繋がりがあり、きっと一つのことから起因しているに違いないのだが、それがハッキリしていなかった。だが、ハッキリといえるのは、その翌日からの智子には、まわりが違った目で見えるということだ。
――誰かに後ろから見られているような感覚――
それは、嫌なものではなく、むしろ見られていることで安心できるもの。一定の距離を保って智子を見つめているその目こそ、もう一人の自分だと思えて仕方がない。今までにもう一人の自分の存在は感じていたが、これほどハッキリと、一定の距離で自分を見つめていることを感じたのは初めてだった。
その日の智子は、仕事が思ったより捗った。安心感がこれほど、自分を自由に動かしてくれるという今さらながらに感じていた。
定時の午後六時が近づいてくる。今までであれば、帰り行く他の人を横目に見ながら、まだまだ仕事をしようと思う智子だったが、仕事にちょうどキリが付いた時間に自分の腕時計を見て、
――ちょうど、午後六時だわ――
と、少し感動に近いものを感じた。このまま仕事を終わるのが、一番キリがいいと感じた智子は、
「それじゃあ、お疲れ様でした」
とニコヤカに、事務所に響く声で帰ろうとしたのだが、まわりを見ると、キョトンとしたおかしな顔をしている。その目が会社の壁に架かっている時計に注がれているのを見ると、まだ定時五分前である。
時間にカチッとしていることで定評のある智子にしては、何たる失態。思わず、もう一度腕時計を見た。
何と、まだ定時五分前を示しているではないか、先ほど見たのは、思い込みだったのだろうか?
またしても、誰かの安心したような眼差しを感じた。もう一人の自分の目である。初めて感じたような気がしていたが、毎日感じている視線だと、今気が付いた智子だったが、
――私はいつも五分前を一人で歩いていたんだ――
それがトラウマに苦しめられることなく歩んでいくために、無意識に見つけた智子だったのだろう。
本当の自分はどっちなんだろう?
昨夜、裕也に抱かれている自分は一緒だっただろう。そしてきっとそのうちに、もう一人の自分と一緒になることがあるに違いない。なぜなら、今の智子は、もう一人の自分が五分後にいるということに気付いたのだから……。
( 完 )
作品名:短編集74(過去作品) 作家名:森本晃次