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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Ivy

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二〇二〇年 八月
    
 駐車場でのキャッチボールは、真夏になっても、顔からマスクを外せなくなっても、変わらない。新田は、数か月前より少しだけ強くなった利史のボールを受けながら、六時を回らないように時折、マンションの壁で黙々と時を刻む時計に視線を向けた。家を買う話も、数年前にはあった。利子が賃貸派なのと、新田の職業柄ローンの壁があることから、立ち消えになって久しい。大きな白樺家にひとりで住む圭人を見ていると、何がどうやって自分の手元に転がり込んでくるか、分からないものだと思う。お腹に軽い衝撃を感じた新田に、利史が言った。
「あー、ぼーっとしてるー」
 体にぶつかったボールが地面に転がり、新田は慌てて拾い上げた。利史がグローブをはめたまま腕組みし、口をへの字に曲げた。
「仕事ー?」
「うん、ごめん」
 新田は投げ返して、罪滅ぼしのように長めにキャッチボールに集中した。六時を回ったところで片付けると、コンビニに行き、買い物リストに入れ忘れていた生姜焼きのたれを買った。今何か食べると本番の夕食で食欲が落ちる上に、仕事帰りの利子はすぐ察知するだろうが、利史の視線がソフトクリームのコーンから全く動かないことに気づいた新田は、結局二つ買い、二人で食べながら家に戻った。
 豚肉を炒めているところで利子が帰ってきて、利史が大きな声で『おかえり』と言った。利子は慌ただしく手洗いとうがいを済ませると、着替えてから台所に顔を出した。新田は、まな板の隣に出ている生姜焼きのたれを見ながら、言った。
「おかえり。買っといた」
「ありがと」
 利子はそう言ったが、反応に少しだけ間があった。コンビニでしか売っていない、少し割高なブランドのものだと気づいただろうか。新田はフライパンから視線を外したが、目が合った利子は少し笑っただけで新田の肩にぽんと触れると、利史の前に屈みこんだ。
「投げまくり?」
「投げまくった! お父さん、集中力切れてた」
 利子は苦笑いを浮かべると、一瞬新田の方を見て、また利史に視線を戻した。
「焼けたね」
「ほんまに?」
 利史は、自分の顔の焼け具合が一番の関心事に変わったように、鏡に向かって走って行った。利子はそれとなく後をついていって、二人で顔を見合わせながら合意したように、また台所へ戻ってくると、エプロンを巻いた。
「シェフ、仕上げ手伝うよ」
「お願いします」
 食卓では、利史の学校の話が九十パーセントを占める。新田は、コンビニで買った生姜焼きのたれに唐辛子が入っていることを見落としていて、その辛さに驚いた利史が少し目を丸くしたが、どうにかして箸は進んでいるようだった。夕食に続いて全員の風呂が終わり、利子がアラームをセットして、一日が終わった。それでも、新田がビールを飲もうとしないことに気づいた利子が言った。
「飲まんの?」
「ちょっと、整理しときたいことがあって」
 新田は、二十一年前の事件のことを、少し話した。利子はしばらく黙って聞いていたが、その反応は簡単に予測できた。
「それって、記事にするの?」
 売れれば。その簡単な言葉が、何度夫婦喧嘩の種になったか分からない。まだ、『記事にするの?』と言われている内は、神妙な顔をして首を傾げるだけだったが、『それ、記事になるの?』と言われたときは、言い合いになった。新田は、神妙な顔で首を傾げるだけにとどめた。利子は言った。
「ラーメンのやつ、奥村さんから来てたんちゃうっけ」
「来てたよ」
「受けてよ。太っていいから」
 利子は笑いながら言った。新田は、その様子を見ながら、声を落とした。
「うん。何か、いいことあった?」
 食卓で言わなかったということは、仕事の話だろうか。利子は仕事用の鞄から、入館証を取り出した。二枚に増えていることに気づいた新田は、もう一枚が『データセンター入館証』であることに気づいて、目を丸くした。利子は言った。
「ついに、元の現場に戻れた」
 住民課のデータ管理係。辞める前に利子が主査として働いていた部署で、派手な職場ではないが、様々なデータが集約される業務の要とされていて、重用されていた。復職してから事務方に回っていたが、立場は違っても元の部署に帰るというのは、利子の兼ねてからの望みだった。新田は言った。
「やったな。ご飯の時に言ったらよかったのに」
「仕事のことは、利史にはまだ分からんでしょ」
 利子はそう言って、入館証を宝物のように両手で持つと、鞄にしまった。新田が開いているノートパソコンの画面をのぞき込んで、顔をしかめた。
「また、こんな残酷な」
 圭人と会った後、繁華街に出向いたが、収穫はほぼゼロだった。昔と違って、パソコンを使った方が早く済む。殺人事件の記事に、インターネット上に出回っている、事件現場の写真。ほとんどは、当時の週刊誌が撮ったものだ。『閑静な住宅街に麻薬の影』という、見出し。住宅街で起きた事件ではないのに、大げさで、誤誘導するようだ。死体の身元は判明せず。何度も見たし、事件史のブログが数件触れているぐらいで、さほど注目はされていない。その内一件はよく調べていて、関連のリンクに別の事件の記事を載せていた。別の事件というのは、殺人事件ではない。しかし、もっと猟奇的だ。人の親指が、繁華街の側溝から見つかった。切断面は、鋭利な刃物で切られたというよりは、千切られたようにいびつだったが、工場地帯でもないのに、引き千切られた指が流れてくるというのは考えづらい。これも、『新田/永井ノート』を紐解けば、当時の記事が綴じられているはずだ。指の持ち主は、指紋から判明している。住所不定、職業不詳。バブル期にスポーツジムを経営していた経歴と、前科が一件。
 名前は、赤谷秀俊。
    
    
一九九九年 九月
    
 タミーは、壁にかかる時計と睨めっこするのをやめて、テーブル上にまとまったミントグリーンの粉を分けている女王の横顔を眺めた。夕方四時半。レンタルビデオ店のカードがガラステーブルとぶつかって、コツコツと足音のような音を鳴らしている。いつものことだが、今日に限っては、タミーの集中力を殊更に削いだ。夜、マリンちゃんが会うことになっている『O』の客。突然連絡を寄越してきた赤谷と、口紅で書かれた妙な指示。赤谷は、商売敵を突き止めたいのだろうか。手を切ればおしまいの話だし、それができない相手ではない。ただ、荒っぽいことになったら、力で敵わない相手なのは確かだ。あの、強い薬に慣れ切った堪え性のなさそうな目つき。細身で背は高く、左腕を埋め尽くす入れ墨の下には、深い切り傷のようなものが無数に走っている。タミーは職業を当てるよう言われ、勘で元自衛隊員と予想した。それが当たりだったらしく、男は言った。
『当てられたら、生かしとけませんね』
 それは、男の中では冗談だったようだが、タミーとマリンちゃんは一瞬だけ、生きてその場から出ることを諦めた。あの男が、うちの商品を薄めて流すような真似を、本当にするだろうか? 聞いてみてもいいが、その時は当たりでも外れでも、生きては帰れないような気がする。それに、その辺りのトラブルを察知するのは、勝男の仕事だ。もし見逃していたとすれば、それこそ何に金を払っているのか分からない。
作品名:Ivy 作家名:オオサカタロウ