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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Ivy

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 柏原は、河川敷の下で血まみれの赤谷の死体と格闘しながら、その体をどうにかして持ち上げたときのことを思い出していた。可奈を送り届けてから、夜十時に現場に向かうまでに、考え付いたことを全て終わらせておく必要があった。勘が生きていることを証明するための力試し。赤谷の死体は重く、皮一枚で辛うじて引っかかっていた指が千切れ、排水溝のグレーチングをすり抜けて、流れの速い水中に落ちた。何事にも初めてはあるが、死体を座らせる日が来るとは思っていなかった。『下に何置いてんねん』という、赤谷の最期の言葉。それは、柏原自身も気にかかっていた。
「トランクの下に色々敷いてたでしょう。俺は几帳面な性格なもんで、一体何を入れてるんかと思ってね」
 柏原が言うと、深川は答えなかった。村岡に辿り着くための手段。動きを作り出すための起爆剤として最適なのは、薬の供給を断つことだ。柏原は続けた。
「俺と赤谷を捕まえるのは、最初から決まってた。でも、ほんまはもうひとり押さえたかったんやないですか? 駒と問屋は押さえた。でも、ほんまに押さえたかったんは、製造元でしょう。白樺秀一が目の前で殺されて、あんたらの計画は傾いた」
 顔を破壊され、指紋を剥がされた死体。その目的は、身元の発覚を遅らせるということ。製造元が死んだと分かれば、警察の手が及ぶ前に、関係者は全員姿を消す。それを証明するように、ビニールシートの下には、子供の背丈ぐらいある巨大なハンマーが転がっていた。先端には、乾いた血と髪の毛。柏原は言った。
「身元が分からなくなるように、ハンマーでどついたんは、深川さんですか? それとも、溝口さん?」
「しばらく、筋肉痛やったわ」
 深川は笑った。柏原もつられて笑った。電話の向こうでも、その表情は想像できた。目の奥で相手をしっかり睨みつけて離すことなく、それでも声を上げて笑うことができる。
「あのハンマーはね、俺が預かってます」
 厳密に言うと、レガシィのトランクに転がっている。グリップ部に残った指紋は、深川のもので間違いない。柏原の言葉に、深川はようやく笑うのをやめて、言った。
「で?」
 柏原は赤信号で足止めを食らい、シフトレバーをニュートラルに入れながら言った。
「白樺圭人から手を引いてください。あの家に関わるのは、やめてもらいたい」
 深川はしばらく黙っていたが、笑い始めた。運転席には、最低限の愛想笑いで付き合う溝口が座っているのだろう。柏原が待っていると、咳ばらいをした深川は言った。
「分かった」
「よろしくお願いします」
 柏原が言うと、深川はしばらく黙っていたが、雑音が続いた後で、溝口が電話に出た。
「ザンバラさん」
 吐き気のする名前。柏原が続きを待っていると、溝口は言った。
「これからこの国で起きる殺しは、あなたの責任です」
 柏原は電話を切った。その組織の一員になったばかりだ。しかし、迷いはない。法の内側では、誰もあの兄妹を救えなかった。自分の殺したい相手を電話一本で殺せる時代。そうなればいい。それで、あの二人を救えるのなら。
   
 駅前の、全てが始まった路地。非常線が取られて日常に戻った事件現場を見ながら、深川はマイルドセブンの煙を宙に吐いた。副流煙を吸い込んだ溝口は、ひとしきり咳き込むと、言った。
「どうします?」
「白樺の家に行け」
「でも、さっき……」
 溝口は、思わず深川の顔を見た。深川は、その頭の中を見透かして、煙の中を泳ぐように首を横に振った。
「ひと言、メッセージを送るだけや。これに味占めんと、真っ当な人生を歩むようにな。溝口、そういう時の言葉として、何がいいと思う?」
「悪いことをしたら、捕まえるぞ。とかですか?」
「それでいこう」
 溝口が、納得したようにギアをドライブに入れると、深川は事件現場を指差した。溝口はクラウンをゆっくり発進させ、事件現場の目の前に助手席側が来るように、Uターンさせた。ドアを開けた深川は、後部座席に手を伸ばした。
「返すもんは、返しとかなあかん」
 死体が発見された場所に『骨』の文字を置き、深川はドアを閉めた。溝口は苦笑いを浮かべた。
「いたずらみたいですね」
 深川はうなずくと、眉間を押さえながら、今すぐに記憶から消し去りたいように、苦々しい口調で呟いた。
「いかにも、手癖の悪い中学生がやりそうなことやな」
     
     
二〇二〇年 八月
     
「自分は、どうしようもない子供でした。親があんなんやからとか、言い訳をするつもりはありませんし、殺人犯であることも事実です」
 圭人は、冷え切ったコーヒーカップに手を添えて、言った。新田が黙ったままでいると、手元のコーヒーカップを指差した。
「もう一杯飲みます? 帰ってもらってもいいですけど。僕はここから逃げることはないです」
「コーヒーは、もう結構です。ありがとうございます」
 新田は一旦言葉を切った。圭人の目を見返すと、言った。
「どういうわけか、みんなが可奈を痛めつけにかかる」
 圭人は、自分の心の内を透視されたように、目を大きく見開いた。表情を緩めると、言った。
「そうですね。どういうわけか」
 その理由は、誰にも分からない。ひっくり返す転機も、足元を掬うきっかけも。ただ、その積み重ねの結果、可奈は家庭を築いている。新田は言った。
「でも、圭人さんは、可奈さんを守ってきた。いや、今も守ってる」
 圭人は少し顔をしかめながら、首を傾げた。
「どうなんでしょうね。僕がここにいるということが、足かせになってる気もしますが」
 新田はそれを明確に否定するように、首を横に振った。
「全員が、敵やったんでしょう。この家ですら。それは圭人さんだけやなくて、可奈さんにとっても同じことやった」
 圭人が相槌を打つための言葉を選んでいると、新田は逆さまにポケットに入ったスマートフォンを取り出して、録音停止のボタンを押した。圭人が何か言うよりも先に、新田は記録を全て消した。
「味方は、ここにもいます」
 立ち上がり、新田は記憶に刻むように家の中を見回した。
「大学時代の思い出は、ほとんどがこの家で可奈さんを教えた記憶でね。自分の大学生活のことは、あまり覚えてないんですよ」
 圭人はまだ言葉を探せない様子で、椅子に釘付けになっていたが、ようやく立ち上がると、言った。
「結婚式のときは、スピーチさせられましたね。みんな、誰この人? みたいな顔してましたけど。前の家の者ですとか、言われへんじゃないですか」
 新田はその様子を想像して、笑顔を浮かべた。可奈はあの自信に満ちた目で、つかえながらも懸命に手元のメモを読み上げる圭人を、見ていたのだろう。玄関で丁寧に並べられた靴を履き、コーヒーの礼を言った後、新田は言った。
「今度ね、取材でラーメンを食べ歩くんですが、来月の週刊誌に載ると思うんで、また見てやってください」
「買います。どんなテーマなんですか?」
「もやしの量、地域別。ほな」
 新田はしかめ面で言うと、友達同士が別れるように手を振った。駅まで続く道の途中、奥村のメールを開いて、『腹空かしとくわ』と返信すると、今から体を絞るように、少し大股で再び歩き始めた。
    
作品名:Ivy 作家名:オオサカタロウ