Ivy
岡崎はタミーの隣に立って、整然と並べられた大きめの包み紙を見下ろした。パケに分けられた姿しか見たことがなかったが、仕分け前の『商品』は荷物そのもので、これを今から分けていくという作業の手間を考えただけで、気が遠くなるのを感じた。
「これ、捌き切れるかな?」
岡崎が言うと、タミーは自信なさげに首を傾げた。
「時間切れになるまでに、できる限りのことはしたい。逃げるにも、金が要るし」
タミーは、上着を脱いでセドリックのボンネットの上に置いた。岡崎はその様子を振り返っていたが、顔を前に戻したとき、蛍光灯の光が届かない倉庫の奥に、白い車が止まっていることに気づいた。
「あれって、誰の車?」
岡崎が言い、タミーが振り返ったとき、暗闇がオレンジ色に光った。一発目は、岡崎の左足の膝下に当たり、骨を真っ二つに割って貫通した後、鉄製の柱にぶつかって鋭い音を鳴らしながら跳ね返った。岡崎は小さく悲鳴を上げると、足場を踏み抜いたようによろめいて、その場に倒れ込んだ。自分の足を弾が抜けていったということを頭が認識して、それは今までに人生で発したことがないような悲鳴に変わった。タミーは、咄嗟に作業台の影へ隠れたが、抵抗する手段がないことを悟り、フォークリフトまで走り、その陰に隠れた。銃声は一発も鳴らなかったが、地面に散った砂を踏む静かな足音だけが少しずつ大きくなり、タミーはフォークリフトの座席の上に放られた工具箱を開けて、モンキーレンチを手に取った。考え得る武器は、これぐらいしかない。呼吸を整えると、作業台を覗いた。
岡崎はセドリックまで後ずさろうとして、無事な方の足で地面を蹴った。銃で撃たれたという事実が頭に浸透するにつれて、それはあの元自衛隊員の男が見せる、精緻な笑顔に置き換わっていった。バンパーに手が届き、縋り付きながら体を起こした岡崎は、片足立ちで暗闇の方を向いた。薄暗い中に大柄なシルエットが姿を現し、その右手が持ち上がった。岡崎は言った。
「待って」
二発目は、岡崎の左目の真下から進入し、後頭部を不器用なスイカ割りの被害者のように破裂させた。セドリックのフロントウィンドウに穴が空き、貫通銃創から飛び散った血が後を追った。タミーは叫んだ。
「おい! 机の上に商品があるから、持ってけ!」
フォークリフトの車体を掴みながら立ち上がると、寝起きのように頭がぐらぐらと揺れた。セドリックのバンパーにもたれかかるように死んでいる岡崎の、無事な方の目。それがまっすぐこちらを見ていることに気づいて、タミーは吐き気を覚えながら思わず俯いた。
「おれはもう廃業する。全部やるから、その段ボール持って、出て行ってくれ」
モンキーレンチを捨てたとき、機械のような足音が近づいて来て、目の前で止まった。タミーは顔を上げた。銃口がうんざりしたように待っていて、少しだけ上下する腕の先にある顔に焦点が合ったとき、銃口がオレンジ色に光った。
二〇二〇年 八月
前回とは、根本的に異なる。しかし、出てくるコーヒーと、部屋の佇まいは変わらなかった。『これで、来るのは最後になると思います』。思わず、玄関でそう言ったのは、本当にそうしたいと思ったからだった。新田は、テーブルの向かいでコーヒーを飲む圭人に言った。
「今より、昔の方が治安が悪かった。そう思いませんか? よく、昔は良かったとか言いますけど。僕は正直、あの事件があった頃に四十代やったら、かなり怖がってたと思います。若くて向こう見ずやったから、危険に気づいてなかっただけで」
圭人はうなずいた。持論を呼び出すように、コーヒーカップを見つめてから、言った。
「振り返ると、色々ありましたね。ルールは緩かったような気もしますけど。今はどうでしょう。ルールが厳密な分、その周りが見えていないどころか、見ようともしない人間が増えたと、思いませんか」
そのまま記事に書けそうな言葉。今日は家に上がる前から、ずっと録音を続けている。新田は、圭人の手元に集中した。『今日は録音しないのか』と訊かれるのを待っていたが、圭人はそんなことは気にしていない様子で、コーヒーをひと口飲んだ。エアコンの風が止んで静かになったところで、新田は言った。
「若気の至りというやつが、許されてた」
圭人は口角を上げて笑っていた。
「そうですね。僕は随分色々と、許されてた気がしますね」
「ゲームセンターで、暴れたんでしょう。初芝さん、覚えてましたよ」
新田が言うと、圭人は笑った。
「あれね。カツアゲしてたの、私立の生徒なんですよ。金が欲しいんじゃなくて、痛めつけたいだけでね。晩飯代を稼ぎたいっていうなら分かりますが」
歪んだ正義感の持ち主。圭人は自分の言葉を、自分の行動の正当化に使っている。おそらく、その言葉は使い古されてきたのだろう。あの殺しで解放されて、それ以来日の目を見ずに、今日まで隠れてきたのかもしれない。新田は、高砂整骨院の方向を指差した。
「角に、整骨院あるじゃないですか。なんか、骨の字だけ不自然に新しくてね。そしたら、二十一年前のその事件のときに、盗まれて現場に置かれてたってことが分かったんです。犯人には罪の意識があるのかなと、僕は思いました。実際に、被害者は顔中の骨を折られてましたからね。それを巻き戻したい心理があったのかもと。学者じゃないので、分かりませんが」
新田が最後に気を抜いた表情で笑うと、圭人も表情だけで笑った。新田は、コーヒーカップから手を離して、続けた。
「僕の記憶は、情けないことに虫食いだらけでね。可奈さんにも話を聞きたいんです」
圭人は笑顔を消した。エアコンが仕事を再開し、モーターの音を鳴らし始めた。
「可奈は小学生でした。覚えていますかね」
「どうでしょう。子供時代の記憶といっても、忘れようのないものもあります。例えば、自分の両親が離婚したこととかは、記憶違いを起こさないでしょう」
新田が言うと、圭人はうなずいた。
「それは覚えてるでしょうね」
「可奈さんは、僕が教えてるときに、両親は離婚したと言ってました。でも実際には、お父さんは失踪したんでしょう」
新田の言葉を集中して聞いていた圭人は、一度宙に視線を泳がせると、時計を見た。
「この癖、覚えてます? 可奈がよくやってた」
「神経衰弱のときの、やつですか?」
「それを言われてから、僕は自分がカードをめくるたびに、可奈が時計を見ているのか気になって、ついつい顔を上げる癖がついてしまってね。気が散って、めくったカードを覚えられなくなったんです。後から聞いたら、それが目的やと。時計とカードの目を結び付けるような天才的な頭脳は、わたしにはないって、言ってました」
圭人は懐かしむよう目を細めると、遠回りを終えて、新田の質問に戻った。
「子供でしたけどね。嘘もつくし、虚栄心もあれば、プライドもある。今は、可奈は二つ隣の町に住んでます。夫に選んだ男は、まあ……、もうちょっと、他にいいのがおったやろうとは思いましたが。子供も二人いて、平和に暮らしてますよ。可奈に会って、具体的に何を聞きたいんです?」
新田は、体温を下回りつつあるコーヒーカップに一度触れて、言った。