Ivy
「ほな少数で、あうんの呼吸が成立するチームを作ろうとなるわけです。しかしね、お互いのことをよう知りすぎると、今度は情が絡んでくる。結局どないもならんのかということで、警察は抜けました。あの組織に身を置いてると、いざこざに止めを刺さないかん立場でおりながら、いざとなったら全く身動きが取れん。歯がゆいでしょう」
それが殺し屋を逆輸入するという話にどう繋がるのかは、ザンバラには理解できなかった。緑色に光るグラスを口に運ぶと、岩村は続けた。
「警察も、人間がやってる以上は、結局は我が身可愛さです。それやったら、人間をややこしいことを言わん機械に作り変えるのも、ひとつの手かと思いましてね」
「警察のできんことを、代わりにやるってことですか?」
ザンバラが言うと、岩村は苦笑いを浮かべた。
「どうでしょうね。情が絡まんと、やらんでええことまで、やってしまうかもしれませんが。事情はご理解いただけましたか?」
ザンバラが無言でうなずくと、岩村は言いたいことを一通り言い終えたように、小さく息をついた。
「お宅の尻尾を掴んどるのは、外事課ですか? いくつか、そういうことをやっとる部署があるようですが」
「外国人犯罪対策班」
ザンバラの言葉に、岩村はそれが死刑宣告だとでも言うように、少し身を引いて笑った。
「つまり、私は彼らの賞金首になっとるわけですか。いやあ、悪目立ちするもんやないですな」
「主義があるんでしょう。どうぞ、戦ってください」
ザンバラが言うと、岩村は首を横に振って苦笑いを浮かべた。
「お互い距離を置けば、済む話なんですが。まあ、そうも行かんか」
ショットグラスに満たされたカティサークを、ザンバラはようやく一気に飲み干した。その飲みっぷりを見た岩村は、少しだけ表情を緩めた。
「名前は知りませんし、言わんでもええですが、ザンバラさん。あなたはこのバーを抜けたら、家に直行して、荷物を全部集めて、タクシーで空港に行く。合ってますか?」
ザンバラは首を横に振った。
「いいえ」
岩村は、それが今までに聞いた中で一番興味深い回答であるように、口角を上げて笑った。
「そうですか、面白い男ですな。今ね、ひとつだけ不公平で気に食わんことがあるんですが、聞いてもらえますか?」
ザンバラが黙っていると、岩村はそれがどうしても耐えられないことのように、言った。
「相手は、村岡と私のことを知っとる。しかし、私は相手のことを知らん。名前にしろ、車にしろ。お互い知ってた方が得や思いませんか? 不幸な刃傷沙汰は避けられるかもしれませんから」
ザンバラは、自分が捕まっていた廃倉庫の場所だけ省略して、深川と溝口という名前と、二人が乗っているクラウンの特徴、そして、溝口が散弾銃を持っていたことを伝えた。岩村はグラスの中身を飲み干して、言った。
「なるほど。目がいいんですな。麻薬なんかより、私らの仕事の方が向いてるんちゃいますか?」
ザンバラが苦笑いで答えをごまかすと、岩村は続けた。
「今日ここで話したことは、この場所も含めて、全部言ってもらって構いません。もちろん、自分なりに端折ってもらっても結構です」
言い終えた岩村が、満足したように新聞を広げて読み始めたところで、ザンバラは自分が解放されたということを知り、タクシーで家に戻った。マンションのエントランスに着いたところで、自転車置き場から出てきたマリンちゃんが言った。
「ごめん、ここまで案内してって言われて」
村岡は、家までマリンちゃんを送って帰ったのだ。それも、本人の家ではなく、ここに。ザンバラは、小さくうなずいただけで、エレベーターのボタンを押した。
「ちょっと、上がっていく?」
マリンちゃんは、ザンバラの物まねをするように、小さくうなずいた。岩村と話したことは、半分も話せない。それに、家を知られている以上は、タクシーで空港へ行くという選択肢を封じられたのと同じだ。部屋に上がると、ザンバラはテレビをつけて、少しボリュームを上げた。スピーカーに近い位置に座ると、マリンちゃんを手招きした。
「なんて言われた?」
「なんも。ザンバラの家を教えてって、それだけ。なんでテレビの前に座るん?」
「盗聴されてるかもしれんから」
ザンバラはそう言って、ブラウン管の静電気と遊ぶように、テレビの画面をなぞった。マリンちゃんは、村岡という名前も知らないはずだ。なら、下手に情報を掴ませるわけにはいかない。
「聞いてると、転売の話はガセみたいやな」
ザンバラの言葉に、マリンちゃんは自分の心配事の半分がなくなったように、小さく息をついた。
「そうなんや。タミーは、勝男に調べさせてるみたいやけど」
「あの後、話したんやけどな。誤解を解きたいみたいな、そういう内容やったよ」
「隣で、新聞読んでた人?」
ザンバラはうなずいた。そこを端折ると、さすがに噛み合わなくなる。マリンちゃんは、噂程度に聞いていた怪談が自分の身に降りかかったように、首をすくめた。
「怖かった」
「せやな。マリンちゃん、サンプル様に会ったことある?」
ザンバラが言うと、マリンちゃんは首を横に振った。
「ないよ。タミーと赤谷さんしか知らんはずやで。ザンバラはあるん?」
「俺もないよ。でも、どんな奴か気になる。どっから尻尾掴まれるか、分からんから。いざってときは逃げなあかんやろ?」
ザンバラの言葉に深く納得したように、マリンちゃんは神妙な顔でうなずいた。そして、言った。
「カタギの人やって、聞いたことある」
数分も経たないうちに話すこともなくなり、ザンバラはマリンちゃんにシャワーを貸した。途中で意味ありげに呼ばれたが応じず、洗面所にタオルだけ放り込むと、入れ違いにシャワーを浴びて、床で眠った。朝、マリンちゃんを送り出したところで、道路の向かいで退屈そうに停まっているクラウンが、瞬きをするようにパッシングを繰り返した。寝間着のジャージのまま道路を渡ったザンバラがクラウンに乗り込むと、後部座席に座る深川が言った。
「楽しんだか?」
「いいえ。人間が嫌いになりそうですわ」
「お前は、元々人間嫌いやろ。ほな、手短に頼むわ」
ザンバラは、村岡がマリンちゃんを連れて入ったバーの場所を伝えた。運転席から振り返って話を聞いていた溝口がメモ帳にペンを滑らせ、同じペンの頭で自分の頬をコツコツと叩きながら言った。
「あの……」
深川は溝口に視線を向けると、その続きを補うように、ザンバラに言った。
「そいつ、名乗ったか?」
「岩村と村岡」
溝口は満足したように、メモ帳に視線を落とした。おそらくは、かなり前から目星がついていて、裏が取れつつあるのだろう。ザンバラの視線に気づいた溝口は、言った。
「色々、助かりました」
「これで終わりですか?」
ザンバラが言うと、深川が笑いながら首を横に振った。
「薄情な奴やな、赤谷はまだ山小屋でやせ細っとるのに。もっと簡単なお願いごとがある」
ザンバラはうんざりした様子で、両手を差し出した。
「もういっそ、捕まえてくださいよ。お宅らは、いつから調べてるんです?」
深川はザンバラが差し出した手を払うと、記憶をたぐるように視線を逸らせた。