未来は私らの手の中
当日の朝から麻衣子は不敵な笑みを浮かべっぱなしであった。一抹の不安を解消するためにも、裕子はとりあえず注意だけはしておこうと声をかけた。
「ちょっと麻衣子」
「なーに?」
ウインクまで飛ばされた裕子は可愛く言うなとすかさずツッコもうとしたが、麻衣子の全身から『一発しでかさせていただきますオーラ』が出ていることに気付いてしまった。裕子は普段見えないものが見える自分に戸惑った。
「ううん、なんでもない」
「ホントに? 言いたいことはハッキリ言った方がいいよ」
どこから言えばいいのかわからなかった。
それから裕子は一人手洗い場に行って泣いた。自分の無力が悔しかったから。
その後なんだかんだありつつも、裕子の心労をよそに説明会は始まった。運動部から順々に説明が行われていく。雑誌部はかなり後の登場ということになっていたが、舞台袖で待機している間も裕子は気が気でなかった。
(麻衣子の暴走を止められるのは世界で私一人きり。なぜなら他の人たちは麻衣子の本性を知らないからだ。なんでもクラスじゃ無口な眼鏡っ娘で通ってるらしいし。ここで私がやらなくて誰がやるというのだ)
と、心の中でしばし葛藤してから、ちらりと横目で麻衣子の様子を確認してみた。するとそこには何処かの怖い神父の如く眼鏡を光らせている少女が立っていた。
(こ、殺される…間違いない、今更ガタガタ言ったら銃剣で八つ裂きにされる)
裕子は全てを諦め、心の中で呪詛の言葉を吐き散らすだけにしておいた。
茶道部の説明が終わって、
《それでは次は雑誌部の紹介です》
放送部によるアナウンスが流れた。緊張の、そして運命の一瞬である。裕子は世界中の神々に祈りを捧げた。
(お釈迦様、観音様、仏陀、アッラー、主よ、どうか私の願いを聞いてください。もう古本屋で四時間近く立ち読みした挙句何も買わないで帰るとかもうしませんからぁ! どうか! 私のお願いを聞いて下さいませぇ…)
「さぁ行くよ!」
麻衣子が叫んだ。
そして二人が舞台袖から現れた。麻衣子は自信たっぷりに大股で、一方の裕子は世界の終わりを知らされたかのようにしょんぼりと。割と固い紹介が続いたためか講堂内は静寂に包まれている。麻衣子は舞台中央にセットされたマイクを勢いよく掴むと、
「諸君」
と、第一声を放った。
裕子はもしやと思った。まさかとも思った。しかし時既に遅し。麻衣子は自信たっぷりに、まるで魔界の軍団長のような口ぶりで続けた。
「諸君、私は雑誌が好きだ。この地上で発行されるありとあらゆる雑誌が好きだ(以下略)」
全員が沈黙した。時が止まったと言うべきかも知れない。麻衣子を除く全員が口を利くことも、まして身動き一つ出来なかった。
(神は死んだ…)
裕子は心の中で絶句した。
しかしそんな周囲の様子が麻衣子には見えていない。意気揚々と、そして延々と演説をかました後、
「言っておきますが即戦力になる逸材にしか興味はありませんよ。それと女子優遇の部ですから。そこんとこよろしく。以上雑誌部です」
と、言って締めくくったのだった。
この間裕子は傍らに立ち尽くして小刻みに震えていることしか出来なかった。それが彼女の精一杯だった。
正直あの様子じゃまともな紹介は期待出来なかったがまさかここまでやるとは・・・やはり私は麻衣子をなめていたのかも知れない、などと今更ながらに後悔していると、
「どうよ、バシッと決まったでしょ? これで新入生へのアピールは十二分だわ。後は新歓号の準備を急ぐだけね。今回は裕子がチーフなんだから頑張ってよね」
などと満面の笑みで言いやがるのだった。裕子はよっぽど『イカレてるのか? 病院に行くことをお勧めする』と言ってやりたかったが、極度の心労のためか結局言えなかった。
裕子はその後の記憶がはっきりしていない。麻衣子に引っ張られ講堂を出たような気はするのだが、気が付くと部室で虚脱状態に陥っていた。先輩たちになにやら怒られた記憶が有るような無いような。少なくとも裕子にとっての黒歴史がまた一つ増えた。
ちなみに裕子にとっての最大の黒歴史(高二現在)は、中一の時に古本屋で好きだった漫画のアンソロジー本を立ち読みしていた際に、メンズ同士によるラブシーンを発見してしまったことである。この日を境に一人の少女の運命の歯車は狂い始めた……のかも知れない。それらが偶然か必然なのかは誰にもわからないことではあるが。
そして再び場面は戻る。
形勢をすっかり逆転した裕子が続けた。
「とにかくマトモな手段で部員を獲得しなきゃ。他に全く打つ手が無いわけじゃないでしょ」
「ねぇよ」
間髪を入れずに麻衣子が呟くのとほぼ同時に、怒った裕子が下唇を捻り上げた。
「おいコラ、どの口が言ってんだ? ひょっとしてこの口かぁ? 明太子みたく取れたりしないのかなぁ」
「ふぉふぇんふぁふぁい、いふぁいふぁらふぉうひゃめふぇ(御免なさい、痛いからもう止めて)」
「あんまりナメたこと言ってると埋めるからね」
裕子はそう言ってから手を離してやった。麻衣子は頬っぺたを擦りつつ、
「最近の裕子って随分とバイオレントな路線に進んでるような気がするんだけど」
と、憎まれ口を叩いたが二人に完全に黙殺されてしまった。麻衣子は気まずい沈黙が訪れる前に咳払いをしてから言った。
「(バンドを)やらないか」
「「(こいつは…)」」
裕子、茜の両者とも麻衣子の言わんとしていることは理解出来たが、ここで素直にリアクションしてやるのは少しく面白みに欠けると、サッカーブラジル代表も使いこなせないような高度なアイコンタクトで、瞬時に互いの意思を疎通してからユニゾンで言った。
「「いや、そういう趣味無いし」」
「え、あれぇ? わかんなかったのかなぁ」
二人の思わぬ反応に麻衣子は戸惑った。この台詞は雑誌部では伝統的に用いられているもので、部長交代の際には『(部長を)やらないか』と近所の公園のベンチまで呼び出して言うのがお約束だった。
「二人とも本当は理解しているんでしょ? それなのに敢えてあなた方は私を欺こうというのですか。嗚呼、悪魔とはお前たちのことだ!」
とうとう訳のわからない逆ギレを始めた麻衣子を二人は徹底的にスルーする。事態が混迷を極めていく中で、突如としてドアが開かれた。
「おやおや、随分と楽しそうですね」
三人は『これが楽しそうに見えるなら眼科或いは精神科に行け』と叫びそうになったのを堪え、思わず声を揃えて言った。
「村松先輩!」
そこに立っていたのは村松直子(十八歳・コンタクト使用・黒髪超ロング・前雑誌部部長)だった。
「お久しぶりですね。皆さんお元気そうで何よりです」
そう言って柔和な微笑を浮かべた。容姿端麗・頭脳明晰なのに加えて抜群の気立ての良さを誇る彼女を三人は尊敬(若干は崇拝)していた。直子の登場によって先程までの喧騒が嘘の様に静まった。
「いやー、本当にお久しぶりですね。ささどうぞ座って下さい」
裕子は積まれていたパイプ椅子を一脚並べ、卓に四人が座れるようにした。麻衣子の一件以来上級生が訪れるのはおよそ五ヶ月ぶりである。直子は出されたお茶を一口啜ってから尋ねた。