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寵愛〜隻眼の王の華嫁は二度、恋をする〜

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「恰好つけるんじゃねえ。それとも、今し方のはほんのまぐれ当たりか? 二度目はねえから、怖じ気づいてるのかい」
 わざと挑発するように言うと、ムミョンが綺麗な眉をつり上げた。
「なるほど、そこまで言うなら、相手をしよう。ただし、二度とまともに歩けない身体になったとしても、俺は知らない」
 ムミョンがまた木刀を構えようとしたその時、セリョンが彼の前に飛び出した。
「止めて、ムミョン。そこまでにして」
 セリョンは、両腕をひろげてキョンボクの前に立ちはだかった。
「キョンボクは今まで誰と勝負しても、負けたことがないの、だから、あなたに負けて気が立ってるだけ」
 そして背後のキョンボクを振り返った。
「キョンボクももう止めて。今の勝負は誰が見ても、あなたの負けよ。だから男らしく潔く負けを認めてちょうだい」
「フン、女に庇われるとは情けないヤツだ」
 ムミョンが唾棄するように言った。
「何だとォ」
 案の定、キョンボクが血相を変える。今にもムミョンに飛びかかってゆきそうな剣幕である。
「止めて、ムミョン。あなたらしくもない」
 セリョンが縋るように見つめると、ムミョンはつと視線を逸らした。
「判ったようなことを言うな。俺らしさって、一体、何だ? お前は俺の何を知っているからと、そんなことを言う?」
 その囁きは本当にか細い囁きであったため、すぐ側にいたセリョンとキョンボクにしか聞き取れなかった。茫然とするセリョンを残し、ムミョンは踵を返し後を振り返りもせずに去ってゆく。
「何だ、あいつ。とことん感じの悪いヤツだな」
 キョンボクがいつしか傍らに立っていた。ムミョンの鮮やかな立ち回りにまだ興奮して頬を染めた妓生たちが口々に彼のことを話しながら、妓房に戻っていく。その華やかな衣装の後ろ姿を見送りつつ、セリョンは茫然と立ち尽くした。
―判ったようなことを言うな。俺らしさって、一体、何だ? お前は俺の何を知っているからと、そんなことを言う?
 先刻のムミョンの科白が今も抜けない棘のように胸に刺さっていた。
 確かに彼の言うとおりだ。自分は彼のことを何も知らない。なのに、あんな言い方をしたのは良くなかった―。
「セリョンが気にすることはねえ。嫌な野郎だぜ、正体不明で下手すりゃ、くたばっちまうところだったのをセリョンに救われた癖に、何だ、偉そうに。あんな恩知らずのヤツの言うことなんざ、気にすることはないさ」
 セリョンはキョンボクを微笑んで見上げた。
「ありがとう、キョンボクはいつも私を励ましてくれるのよね」
 キョンボクはセリョンより四つ年上の二十歳である。十歳の時、翠翠楼に売られてきた。彼は平民ではなく、元は隷民だ。身分は違うけれど、彼とセリョンは幼なじみであり、兄と妹のような関係でもあった。
 セリョンが何かヘマをして女将に叱られ、物陰で泣いているときでも、キョンボクはいつも励ましてくれたのだ。
「ヘヘ、俺にできるのはそれくらいしかないからさ」
 キョンボクが十八になった二年前、長い年季が明けた。その時、セリョンは女将を説得してキョンボクを買い取った証文を破棄するようにしてくれたのだ。元々、女将も人を家畜のように売買する制度には嫌悪感を持っていたことから、キョンボクの奴婢証文は焼き捨てられ、彼は自由の身となった。
 加えて、女将はキョンボクに知り合いの若い娘を娶せようとまでしてくれたが、それはキョンボク自身が丁重に断った。
―女将さん、俺は生涯、結婚はしません。ずっとセリョンの側にいたいんです。
 彼はひそかに女将にセリョンへの思慕を打ち明けた。
―セリョンは私の娘であり、お前には主筋だ。幾らお前が自由の身になったとしても、高嶺の花であることは変わらない。
 女将は敢えて身分の差を彼にはっきりと告げた。こういう場合、曖昧な言葉で逃げるより、いっそはっきりと指摘した方が当人も諦めがつくものだ。
 しかし、キョンボクは真摯な面持ちで言った。
―判ってます。俺は一生、セリョンにこの胸の想いを告げたりはしません、ただセリョンの側にいて彼女の幸せを見届けたいだけです。
―セリョンはいずれ嫁に行く。他の男のものになったセリョンをお前は黙って見守ることができるのか?
 率直な問いかけに、キョンボクは深く頷いた。
―一人の女を真剣に愛するというのは、そういうことじゃないですかい?
 キョンボクにとって、セリョンは恋い慕う女であり、自由の身にしてくれた恩人でもあった。
 二人はしばらく人気のなくなった裏庭で立ち話をした。裏庭には深紅の椿が幾本も植わっており、今が盛りだ。艶やかな大輪の花がたわわについた様は見事としか言いようがない。綺麗どころが揃った翠翠楼という花園にも引けを取らない華やかさである。
「それにしても、ムミョンといったか、あいつは恐ろしく腕の立つ男だな」
 キョンボクが椿を見るとはなしに見て口にした。彼はしばらく首を傾げていたかと思うと、低い声で言った。
「もしかしたら、ムミョンは誰かに付いて剣術を習ったことがあるのかもしれないな」
「それは、どういうこと?」
「大体、あいつが運び込まれてきた経緯からして謎だが、俺たちとは住む世界が違う人間なのかもしれねえ」
「住む世界が違う?」
「うーん、あの隙のない身のこなしからして、訓練を受けた刺客とか間諜とか? いや、それも違うな。あいつには殺気はない。俺にもよく判らんが、セリョン、あんな危険な男には拘わり合うな。ろくなことはないぞ」
「そう、かしら」
 セリョンが力なく呟くと、キョンボクが彼女の髪の毛をくしゃくしゃと撫でた。
「兄ちゃん(オラボニ)の言うことは素直に聞くもんだ。俺はセリョンよりは、ちったあ世間を知ってるからな。確かに上男だ、俺が見ても、あれだけの色男はなかなか見かけねえ。男を手玉に取るのが商売のうちの妓生たちでさえ、ムミョンにはもうイカレちまってる。だが、どうも俺はあいつが気に食わねえな。いや、何も勝負に負けたからっていうわけじゃない、さっきも言ったように、何か得体の知れねえ深い闇のようなものをあの男には感じるんだ。悪いことは言わねえ。あの男にこれ以上、深入りしちゃならねえぜ」
 その言葉が心底からセリョンを思ってのものであることは、彼女にも判った。また、セリョン自身、先刻のキョンボクとの打ち合いでムミョンが見せた凄まじいまでの剣術は、彼がただ者ではないことを容易に窺わせた。
「マ、あんな輩には絶対に闇夜では出会いたくないな。俺なんざ、その場で真っ二つにされちまう」
 キョンボクが半ば本気、半ば冗談で笑いながら言うのに、セリョンも笑った。
 二人はそのまま裏口から妓房に入った。少し離れた場所から、ムミョンが二人を見つめていたことをセリョンは知る由もない。
 ムミョンは両脇に垂らした拳を関節が白くなるほど握りしめている。やがて、片手に持った木刀を構え、くるりと舞った。
 ―それは、さながら舞うと形容するのがふさわしい、華麗な剣さばきであった。軽やかに彼が空(くう)を舞った次の瞬間、樹についていた数多(あまた)の椿が一斉に地面に落ちた。
 彼は飽くことなく、着地したかと思えばまだ空を舞いながら次々と花を落としてゆく。ひと刹那の後。