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寵愛〜隻眼の王の華嫁は二度、恋をする〜

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―他人の子を何もわざわざ育てる筋合いはないだろう。どこか適当なところに里子に出してやれば良い。
 が、女将には?他人の子?だとは思えなかった。恐らくは生後まだ半月も経ってはおらぬであろう赤児のつぶらな瞳を見た瞬間、失った小さな娘が戻ってきたのだと確信した。
 女将は誰の言葉にも耳を貸さず、赤児を養女ではなく実子として届け出た。それがセリョンだ。
 女将は赤児の時分のセリョンを思い出し、一人笑いを浮かべた。
「お前は昔から変わらない」
 セリョンが小首を傾げた。
「おっかさん(オモニ)は私が龍を連れてくるかもしれないと言ったけど、それはないでしょ」
「何でだい?」
 セリョンは大真面目に言った。
「だって、龍は王さまの化身だもの」
 この朝鮮では国王は聖なる獣、龍の化身であると信じられ、崇められてきた。
「それもそうだ。王さまがこんな小さな遊廓においでになったら、それこそえらい騒ぎだよ」
 女将もまた肩を竦め、親子は声を上げて笑った。
「仕方がない。お前の?一生に一度?には敵いっこないから、今回?だけ?は大目に見よう」
「本当! ありがと、おっかさん」
「ただし、条件があるよ」
「条件?」
 セリョンが眼を見開くと、女将が悪戯っぽく笑った。
「そう。あたしも皆の手前、胡乱な男をこのまま置いておくわけにはゆかない。だから、あの男にはちゃんと働いて貰う。うちは働きもしない輩にタダ飯をあげるほどの余裕はないからね」
 刹那、セリョンの可愛らしい顔が輝いた。
「判ったわ、あの男は体格も良いから、用心棒として雇ってちょうだい」
 廓では客同士のもめ事は日常茶飯事ゆえ、腕っ節の強い用心棒が多いに越したことはない。女将は満足げに頷いた。
「ああ、それで良い。ただし、あの男がお前の目論見どおり、優秀な用心棒かどうかは、このあたしがとくと見させて貰うよ」
「はいっ」
 セリョンは元気よく返事し、後は振り返りもせずに室を飛び出していった。
「まったく、あの娘と来たら」
 女将は笑いながら、娘の消えた扉の方を見つめた。が、ややあって、まだ若さと色香の残る面に気遣わしげな表情を浮かべた。
「それにしても、あの様子じゃア、あの男に相当もうのぼせ上がっちまってるようだね。はて、どうしたものか」
 かつて我が身も若かりし頃、烈しい恋に落ちた。身を焦がすような恋に落ち、愛しい男の子を身籠もった。けれども、恋をしていたのは自分の方だけで、相手の男は子どもができたと知った瞬間、去っていった。
―所詮、妓生は堅気の男にまともな相手とは見なされないのだ。
 苦く辛い恋から得た教訓だった。願わくば、娘には自分と同じ轍は踏ませたくない。セリョンには互いに愛し愛される幸せを知り、普通の恋をして人の妻となって欲しい。それが女将の長年の願いであった。
 大切な娘が得体も知れず、しかも何らかの厄介事に拘わっている怪しい男に夢中になっている。長年、妓房の女将をしてきた女の勘で、あんな胡乱な男に惚れると、ろくなことがないのは判っていた。
「とにかく、セリョンとあの男をこれ以上、近づけないようにしなきゃね」
 女将は溜息をつき、また視線を帳簿に戻したものの、何故かセリョンが室に来る前のように勘定に集中できなかった。

  過去

 その日、翠翠楼の裏庭には、ちょっとした人だかりができていた。総勢二十名はいる妓生たちを初め、下働きの女中から果ては用心棒兼下男までもが居並び、物見高い視線を向かい合う男たちに送っている。
 その隣には、三匹の猫と二匹の犬までもが行儀良く並んでいた。いずれもセリョンが拾ってきた動物たちである。白と黒の斑猫、真っ黒な猫と虎模様の猫、更に茶色と焦げ茶の犬である。
 子を産むと困るというので、翠翠楼で面倒を見ているのはすべて雄ばかりだ。
 セリョンはこの可愛い?弟分?たちに?一?、?二?、?三?、?四?、?五?と名前を付けていた。いちいち考えるのが面倒くさいからという理由だが、こんな短絡的な名前を付けられた彼等も堪ったものではないだろう。もっとも、彼らは幾ら不満でも、けして口にはしない、いや、できないのだが。
 彼等の視線の先には、少しの距離を置いて対峙する二人の男たちがいる。一人は半月前、翠翠楼に意識不明で運び込まれたムミョン、もう一人は少年の頃から翠翠楼で用心棒を務めるキョンボクだ。
 二人ともに木刀を持っている。ムミョンが木刀を正眼に構えた。対してキョンボクは構えも何もあったものではない、握りしめた木刀を思いきり振り上げただけである。この時、少しでも剣術を会得した者がここにいれば、ムミョンの構えは正式に剣術を身につけたものであること、しかもかなりの手練れであることは即座に見抜いたに違いない。
 しかし、生憎とこの場には剣術の心得がある者など一人としていなかった。用心棒の男たちにせよ、多少腕に自信はあるとはいえ、正式な武術など知るはずもない。
 かつてないほどの緊張感が二人の若い男の間に漲った。ムミョンとキョンボクは一定の距離を保ったまま、じりじりと円を描くように回り続ける。
「とうりゃあー」
 ついに極限まで高まった緊張感に耐えかねたものか、キョンボクが甲高い声を上げ、ムミョンに打ちかかってゆく。いつもの彼からすれば、随分と声が裏返っている。
 さて、この勝負、どう転がるか?
 キョンボクは五人いる用心棒たちの中では最も若く、腕に自信がある。だからこそ、新入りの?洗礼?の相手役として選ばれたわけだ。その場に居合わせた者たちはムミョンという見栄えだけが良い色男があっさりと打ち負かされると信じて疑っていなかった。
 だが。次の瞬間、予想は大きく裏切られた。
 黄色い声を上げながら木刀を振り下ろしたキョンボクを見ても、ムミョンは顔色さえ変えない。ムミョンに向かって木刀が振り下ろされる―誰もがそう思った瞬間、ムミョンはサッと身体を反転し、構えた木刀で振り下ろされたキョンボクの木刀を弾き、ついでにキョンボクの腰をしたたかに打ち付けた。
「―っ」
 キョンボクが痛みと衝撃に顔を歪ませ、動きを止めた。これが真剣であれば、キョンボクは間違いなくムミョンに斬りつけられていたに相違ない。
 見事なまでの鮮やかな剣技に、一同は声もない。見物していた妓生たちから一様に
「ムミョーン、素敵」
 と、これまた華やかな声が上がった。
 いきなり現れたこの美しい男はセリョンの心だけでなく、翠翠楼の妓生たちの心をも一瞬で?んでしまっている。ただ美しいだけではない、玄人の遊女さえ魅了してしまうような得体の知れなさ、翳りがこの若者にはあった。
「も、もう一度」
 キョンボクが荒い息を吐きながら言うのに、ムミョンが首を振る。
「止めておけ。俺もそうそう手加減が上手くできるとは限らない。木刀とはいえ当たり所が悪ければ、取り返しのつかない大怪我をするぞ」
 ムミョンの息は上がっておらず、怪我が癒えたばかりとも思えない様子に、また妓生たちから、うっとりとした溜息が洩れた。
「素敵ねぇ」
「何て良い男かしら、カッコ良いのは見かけだけじゃないのね」
 ムミョンが平然としているのがキョンボクは余計に気に障ったらしい。彼はキッとした視線をムミョンに向けた。