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寵愛〜隻眼の王の華嫁は二度、恋をする〜

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 数年来、南方では梅雨時に雨が降らず、実りの秋にろくな収穫がなかった。そのため、何年も飢饉が続いて深刻な状態が続いている。現地の事情は一切考慮されず、今まで同様に年貢を取り立てられ、農民たちの窮状は深まるばかりだ。今や農民たちの国王や高官たちへの怨嗟の声はいずれ暴動が起きるのではないか、と懸念されるほど高まっている。
 セリョンの身体が我知らず震えた。
 確か先刻、上座に座っている若い男は?国王殿下?と呼ばれていたはず。この国で?国王殿下?と崇められる人は一人しかいない。
―でも、あの人たちは南方の村に課す税を更に重くすると話していたわ。
 セリョンの頭は忙しなく回転する。
 一体、どういうことなのだろう?
 思い乱れるセリョンをよそに、ムミョンは上座の若い男と戸曹判書を冷めた眼で睥睨した。
「ホン、そなた、生きていたのか!」
 上座の男が愕きも露わに叫び、戸曹判書を睨めつけた。
「一体どういうことだ、戸判。そなたはあの夜、朕に言ったではないか。ホンの息の根を確かに止めたと」
 戸曹判書は蒼白になっている。
 セリョンは最早、言葉がなかった。ここまで来れば、部外者のセリョンだとて、おおよその事情は理解できる。
 国王は不当に南方の農村に増税を課そうとしたところ、弟王子に止められた。ゆえに、良からぬ計画に共謀している戸曹判書と図って王弟をひそかに始末しようとした―。
「チ、殿下。これはきっと何かの間違いです。刺客は断言したのですぞ、世子邸下には確かにとどめを刺したと申しました。何より、私は邸下の亡骸まで見たのです!」
 国王らしい若い男がギリッと悔しげに歯ぎしりをした。
「愚か者めが。そなたはホンの死体とやらを真に見たのか?」
「見ましたとも、見た―」
 言いかけた戸曹判書が絶句し、肩を落として悔しげに呻いた。
「殿下、世子邸下の亡骸を私は真実検分致しました。それに間違いはございません。さりながら、亡骸の顔は元の顔が判別できぬほど無残に潰れておりました。ただ、纏っていた衣服が紛れもなく世子邸下であったために疑念も抱かず」
 国王が怒鳴った。
「そなたは謀られたのだ。そなたが見た骸はホンではなかった!」
 ムミョンが嘲笑うように言った。
「この期に及んで仲間割れは見苦しいぞ」
「最早、これまで」
 戸曹判書が呟き、叫んだ。
「出あえ、出あえ、曲者だ、国王殿下に仇なす不心得者が侵入したぞ」
 存外に張りのある声が響き渡り、いずこから湧いたと思しき私兵がわらわらと現れる。簡易な甲冑を身につけているが、官軍ではない。
 国王の唇がニヤリと笑みの形を象る。彼等の意図は明らかだ。この機に乗じて、ムミョン―いや、世子イ・ホンを今度こそ亡き者にしようというのだ。だが、ここで誰もが予期せぬことが起こった。
 戸曹判書がホンの前で跪いたのだ。
「この朝鮮には新たな王が必要です。そして、その新しき君主こそが世子邸下、あなたさまなのです。心底から民草を労られる世子さまは間違いなくこの国の闇を光に変える聖君となられるでしょう。臣、パク・テギルは新しい国王殿下に心から忠誠をお誓い申し上げます」
 芝居がかった科白で恭しく言上するのには、セリョンも呆れた。この男はいつ今し方、現王に同じ科白を言ったばかりではないか。その舌の根も乾かない中に、はや世子に忠誠を誓うとは。変わり身の速さもここまで来れば、見事というか滑稽でしかない。
 戸曹判書が顎をしゃくった。
「殿下をお守りせよ。長らく民を苦しめた前王を捕らえるのだ」
 もちろん、ここで戸曹判書が言う?殿下?とは現王ではない、イ・ホン、つまりは世子を指す。
「おのれ、貴様、朕を裏切るか」
 国王が額に青筋を立てるのに、戸曹判書が澄まして言った。
「忠臣は常に時局を見誤らぬものです。既に、あなたさまは天に見放された。この上は潔く縛にお付きなさるが良い。せめて王らしく見苦しい様をお見せなさいますな」
 ムミョン―いや、そろそろイ・ホンと呼ぶべきか―が皮肉げな笑みを浮かべた。
「パク・テギル。そなたの俺への衷心は見上げたものだと褒めてやりたいところだが、生憎と俺は兄上のようにあっさり騙されるほどのお人好しではない。そなたの処遇は追って決める」
「なっ」
 戸曹判書が蒼褪めたかと思うと、乾いた笑い声を立てた。
「愚かな方だ。先ほど私が申し上げたことをもう、お忘れですか? 賢い者は時局を読むのを過たずと申します。私を味方につけておけば、あなたさまは何の労苦もなくして玉座につけたでしょうに。みすみす運を逃されるとは」
 捨て台詞を吐いた戸曹判書が叫んだ。
「お前ら、この若造は精神に異常を来しているのだ。この者が世子さまだというのは真っ赤な偽り、さっさと始末するのだ」
 鶴の一声で、それまで王に刃を向けていた私兵たちが一斉にムミョンに剣を向け変える。
「さて、愚かなのは、どちらかな」
 ムミョンは挑発的に言うと、腰に刷いた長剣の鞘を払った。構えた剣先が月明かりに鈍く光り、飛びかかってくる私兵を次々に鮮やかに切り伏せる。 
 相も変わらず、彼が剣を揮う様は、流れるようで、舞を見ているかのようだ。それでも、彼が剣を振る度に血飛沫が飛散するのがこれは舞などではなく血生臭い闘いなのだと告げている。
 ムミョンが向かってくる最後の私兵を切り伏せたそのときだった。はるか後方から矢が唸りを上げて飛んでくるのに気づき、セリョンは悲鳴を上げた。
「ムミョンっ」
 その声にムミョンが咄嗟に身をかわし、矢は彼の身体ぎりぎりのところを通過していった。どこかにまだ私兵が残っていたのだ。
 安堵のあまり涙ぐんでいるセリョンの耳を、かすかな怒濤が打った。物音や人声が混じったそれは徐々に近づき、やがて、広い庭に大勢の兵士がなだれこんできた。
 一様に身につけた甲冑から、内禁衛(ネグミ)だとひとめで知れる。内禁衛は王の親衛隊である。
 滑稽なことに、王にさんざん取り入っていた戸曹判書は、既にこの時、姿を消していた。大方、こそこそと一人逃げおおせようという算段であろうが、そうは問屋が卸さない。
 現に、ほどなく抵抗する戸曹判書を内禁衛の兵士の一人が拘束して連れてきた。
「ええい、放さぬか。私を誰だと思っているのだ」
 まだ、みっともなくあがいている小男がかつて朝廷で重きをなし、国政に携わった大臣かと思えば、あまりに情けない。
 この場に同席するようにと父親である戸曹判書から言いつけられた息子パク・テスは最後まで姿を見せなかった。父親に似て逃げ足が速い息子のことだから、危険を察知して父を救うどころか、我が身可愛さ先に逃げ出したのかもしれない。
 パク・テスのような小者が前王暗殺という大それた陰謀に荷担しているとは考えにくい。が、この息子自身、普段から女には眼がなく、気に入った若い女がいれば人妻であろうが平然と攫って陵辱の限りを尽くすなど、こと女関係においては悪い噂が絶えなかった。
 いずれにせよ、息子の方もただで済むとは思えず、何らかの罪に問われるに違いない。
 一人、室に取り残されていた王は放心の体であったが、内禁衛を見ると、よろよろと立ち上がった。
「よう参った。さ、朕をここから連れだし、王宮に連れ戻ってくれ」