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寵愛〜隻眼の王の華嫁は二度、恋をする〜

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「心配するな。少し暴れたかったところだ。五日前のあの唐変木を伸したくらいじゃ、収まりがつかないんでな」
 唐変木というのはパク・テスのことを言っているのだろう。
「でも、他の人たち、皆強そうよ」
 特にあの禿頭の大男は、見るからに赤銅色に灼けて力仕事か何かをしていそうだ。腕の傷もやっと癒えたばかりなのに、大丈夫なのだろうか。
 ムミョンがセリョンの耳許で囁いた。
「勝利者には賞金が出るんだろ、俺が優勝して、そなたに晴れ着を買ってやる」
「ムミョンっ」 
 止めるのも聞かず、ムミョンは堂々と出ていった。四つ辻には縄で仕切られた簡易な土俵ができている。男たちはあの土俵で闘うのだ。
 固唾を呑むセリョンの前で、勝負は始まった。挑戦者はムミョンも含めて八人。ムミョンは順調に勝ち抜き、ついに最後の対戦となった。
 相手はやはり、あの蛸入道の大男だ。二人は小さな土俵の中で、構えの体勢を取っている。牽制し合っているのか、どちらも構えたままで動こうとしない。
 いつしか物見高い野次馬が集まり、土俵を囲んで幾重もの人垣ができていた。
 大男は上半身は何も身につけておらず、ムミョンは片肌脱いだ状態だ。厳しいまなざしを対戦者に向けるその横顔は精悍で、上半身はほどよく筋肉がついている。
 ムミョンが怪我をして意識がない間、セリョンは上半身裸の彼をよく拭いてやった。だから、今日初めて見るわけではないのに、何故か、彼が素肌をさらしている様を見ると頬が熱くなる。
 殊に幾度かの対戦で、ムミョンの小麦色の膚には真冬だというのに、汗の滴が光っていた。その姿が眩しくて、まともに見られない。その癖、彼から眼を離したくないという欲求もあるようで、今日の自分は何だか変だ。
 いよいよ最終の闘いの火ぶたが切って落とされた。まずは大男が動き、ムミョンに果敢に飛びかかってゆく。二人はもみ合いながら、土俵を転げ回った。一旦はムミョンが大男に押され、土俵の外に押し出されるかと思いきや、ムミョンはぎりぎりでとどまる。
―もう見ていられないわ。
 ムミョンが負けるのではないかと考えると、心ノ臓が口から飛び出しそうだ。セリョンが思わず眼を瞑った時、大歓声が湧き上がった。愕いて眼を開くと、大男が土俵の外で大の字に転がっている。ムミョンは真ん中で拳を固めて振り上げ、見物人の声援に応えていた。
「勝った!」
 思わず叫んだ瞬間、ムミョンがつかつかと歩いてきて、セリョンを抱き上げた。主催者の小柄な男が声高に叫ぶ。
「おっと、優勝者には可愛い新婚の嫁さんがいたようです。若ぇの、さては嫁さんに格好良いところを見せたかったな」
 最後は揶揄するように言うと、見物人からドッと笑いが洩れた。
 セリョンはもう恥ずかしくて貌が上げられない。ここで
―私はこの人の奥さんではありません。
 などと否定できる雰囲気でもない。
 ムミョンはセリョンを抱き抱えたまま、くるくると回りながら、なおも愛想を振りまいていた。
 ひとしきり後、セリョンは一人怒っていた。隣でムミョンが笑っている。
「まあ、そう怒るなって」
 セリョンがキッとなった。
「これが怒らないでいられる? 私はあなたの奥さんでもないし、恋人でもないのに」
 あんな大勢の前で抱き上げられて、おまけに新婚夫婦と間違われるなんて。
「それに、この牛、一体どうするの」
 ムミョンの手には綱が、綱の先には、のんびり周囲を見回すまるまると肥えた牛が繋がれている。
 ムミョンが牛を見て声を上げて笑った。
「まさか賞金が牛だとはな。賞金だっていうから、そなたに晴れ着の一枚でも買って贈ろうと思ったのに、とんだ見当違いだ」
「笑いごとじゃないわ。翠翠楼には牛は必要ないわよ」
 稲や猫ではなく、牛を連れ帰ったら、女将は今度こそひっくり返るだろう。ぶつくさ言うセリョンを気にする風もなく、ムミョンはしきりに視線を周囲に巡らせていた。
 突如、彼は少し離れた場所にいる家族連れに近づいていった。
「ちょっと兄さん」
 気安く呼ばれ、声をかけられた三十ほどの職人風の男は眼を見開いている。彼の傍らには女房らしき女が五歳ほどの男の子の手を引いて立っていた。
 女房の腹は誰が見ても判るほど膨らんでいる。恐らく産み月も近いのではないか。
 ムミョンは膨らんだ女の腹を見て、良人らしい男に笑いかけた。
「この牛、あんたに譲るよ」
「はあ?」
 男が素っ頓狂な声を上げるのに、ムミョンは気前よく牛の手綱を彼に握らせた。
「おかみさん、今が大切なときなんだろう。せいぜい滋養のつくものを食べさせてやりなよ」
 茫然と突っ立っている家族連れを尻目に、ムミョンは勢いよく歩き出した。
「行くぞ」
「良いの? あんなに簡単にあげちゃって」
 セリョンは慌てて走り、彼の横に並んだ。
「かといって、あれを連れて帰るわけにもゆかんだろう」
 至極当然のように言われ、セリョンは黙った。
「まもなく赤児が生まれるというのに、女房は痩せていた。あれでは出産に耐えられないかもしれない。牛を売れば幾ばくかは金が入るから、あの男も女房に精の付くものを買える」
 ムミョンは淡々と言った。セリョンは愕いた。ムミョンは他人に何の関心もないようでいて、やはり注意深く見て、彼なりの優しさを示そうとしている。
「ムミョンは優しいのね」
 心から言うと、ムミョンがぶっきらぼうに言った。
「俺は優しくなんかない」
 そっと見上げれば、ムミョンの陽に灼けた頬が心なしか染まっている。照れているのだ。年上の男に対して妙な言い方かもしれないが、可愛いと思った。その時、ふと訊ねたい衝動が起きた。翳りがあるから大人びて見えるが、ムミョンはまだ思ったより若いのかもしれない。
「ムミョンは幾つなの」
 沈黙があった、やはり応えたくないのかと思った頃、やっと応えが返ってきた。
「―二十歳」
「若いのね」
「何だ、俺はそんなに年寄りじゃないぞ。一体、人を幾つだと思ってたんだ」
 少し心外そうに口を尖らせる様も言われてみれば確かに年相応の若々しさだ。
 セリョンは笑った。
「だって、いつもむっつりしてるし。二十代後半か三十手前かと思った」
「何だよ、それ。むっつりって、助平爺じゃあるまいし」
 ムミョンは不満そうに言った。
「ところで、この前は済まん」
「え?」
 いきなりの謝罪に、今度はセリョンが面食らう番である。
「何か謝って貰うようなことがあった?」
 謝るどころか、礼を言うのはセリョンの方ではないか。数日前、パク・テスに乱暴されそうになっていたセリョンをムミョンが助けてくれたことをもちろん忘れたわけではない。自分の方こそ、まだきちんとお礼も伝えていなかったと今更ながらに気づく。
 だが、ムミョンはまったく別のことを考えていたらしい。照れくさそうな表情をセリョンに向けた。
「この前、俺とキョンボクが打ち合いをしたときだ。そなたに酷いことを言ってしまった」
 そのひと言で、セリョンにも合点がいった。
 用心棒の採用試験も兼ねたキョンボクとの闘いがあった日のことだ。確かにムミョンは言った。
―判ったようなことを言うな。俺らしさって、一体、何だ? お前は俺の何を知っているからと、そんなことを言う?