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寵愛〜隻眼の王の華嫁は二度、恋をする〜

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 あっさりと謝られ、キョンボクは怒りの持って行き場を失った。数歩あるき、ムミョンの歩みが止まった。振り向かず呟くように言った。
「俺はああいう眼に―敵意をむき出しにした視線にずっとさらされてきた。先刻、お前の眼を見ていたら、思い出したくもない過去を思い出した、ただそれだけだ」
 言うだけ言うと室を出てゆこうとするのを、キョンボクは鋭く制止した。
「待て」
「まだ何かあるのか?」
 今度はムミョンも振り返った。キョンボクはムミョンに鋭い視線を注いだまま、早口に言った。
「セリョンには近づくな。あの娘を泣かせたら、許さない」
「―惚れてるのか」
 直裁に問われ、キョンボクが絶句した。
「なっ」
「惚れた女がいるなら、お前も判るはずだ。惚れた女を泣かせたいと思う男などいない。そうじゃないのか、キョンボク」
 キョンボクは茫然とするあまり、ムミョンが出ていったことにも気づかなかった。彼の動揺はセリョンへの思慕を指摘されたからではない。
―惚れた女を泣かせたいと思う男などいない。そうじゃないのか。
 あの科白は、あまりに意味深だ。
「もしかして」
 キョンボクはハッとしてムミョンが消えた方を見たが、当然ながら、彼がそこにいるはずもなかった。
 
 数日後のことだ。セリョンは都の目抜き通りを歩いていた。今日も漢陽の大路には所狭しと露店が並んでいる。声高に呼ばわる露天商の声に生きたまま売られているけたたましい鶏の声が混じり、騒がしいことこの上ない。
 露店は様々で、みずみずしい野菜を売っている店もあれば、若い娘たちが歓びそうな華やかなノリゲを売る小間物屋、靴屋などもある。セリョンは一つ一つ店先を眺めては、ゆっくりと歩いていた。
 パク・テスがムミョンに負かされて一時、正体不明になった件は、ファオルの機転で事なきを得た。ムミョンに恐れをなしたのか、テスはあの日に起こった悶着については一切口を噤んでいたのだ。多分、迂闊に父親に泣きついたりしようものなら、後でムミョンにどんな恐ろしい報復をされるか知れたものではないと思ったのだろう。
 ファオルは女将にはテスが飲み過ぎて厠で気分が悪くなっていたのだと言い繕い、騒ぎの一切を黙っていてくれた。
 今日、セリョンは翠翠楼が普段から取引している布屋に行ってきた帰りである。その店は布だけでなく、選んだ布を使って仕立てもしてくれる。翠翠楼の女たちは皆、その店で美々しい衣装を作っていた。
 ひと月前に布屋を妓生たちが訪れて、それぞれ布を選んで新しい衣装を新調した。今日は衣装が出来上がったとの連絡を受け、セリョンが受け取りにいったのである。ゆえに、セリョンは大きな風呂敷包みを背負っていた。
 そのため、大勢の人々が行き交う大路では、つい対向から来た通行人と背負った荷物がぶつかりそうになって気が抜けない。それでも、二月のよく晴れた空は気持ち良く、陽の光も心なしか少し春めいてきているような気がして、セリョンは賑やかな町の喧噪に包まれて、心が浮き立った。
「おい」
 ふいに背負った荷物を後ろからむんずと掴まれ、セリョンはギョッとした。
―もしや、新手のスリとか?
 もっとも、こんな大荷物を盗ったとしても、この人混みでは自分が泥棒ですと公言しているようなものだから、まずないだろうけれど。
「おいったら」
 セリョンは覚悟して振り向いた。相手が悪いヤツなら、ファオルがテスにしたように蹴飛ばして即、逃げるに限る。恐る恐る振り向いた眼前には、ムミョンが突っ立っていた。
「ムミョン!」
「何で呼んでるのに、無視するんだ?」
「だって、掏摸か何かと思ったんだもの」
「俺が掏摸だって」
 ムミョンはいささか傷ついたような表情で憮然と言った。
「貸せよ、俺が持ってやる。こんな人通りの多い中、そんな大荷物を担いでヨタヨタと歩かれたら、危なっかしくて他の連中も迷惑だ」
 ムミョンが言うので、セリョンは素直に荷物を降ろして彼に渡した。口はこの上なく悪いが、彼なりに気遣ってくれているのだ。
 セリョンが見るに、ムミョンは不器用な男のようだ。本当は見かけほど無愛想でもなくて優しい人なのだろうが、感情表現が下手なのだ。もっとも、翠翠楼の妓生たちには、その無愛想さが?また苦み走った男前で堪らない?と受けているようではあるが。
 セリョンが苦労して背負ってきた大荷物も、ムミョンにかかると軽々と片手に収まっている。彼のお陰で、セリョンは漸く露店や町の賑わいを心置きなく見物することができるようになった。
「こんな大荷物、一体どこから調達してきたんだ?」
 訊ねられ、セリョンは笑った。
「布屋さん。町外れに大きな商団があるでしょ。あそことうちの見世はもう長い取引があるの。お姐さんたちの衣装は皆、あそこで仕立てて貰ってるから」
「じゃあ、この中身は全部、女たちの衣装か?」
 ムミョンが愕いたとも呆れたとも知れないといったように、くるりと眼を回す。
 セリョンは頷いた。
「妓生は人の言葉を話す花といわれてきたわ。姐さんたちの仕事は日々、美しく装い翠翠楼に来たお客さんたちに夢を見せてあげることだもの。仕事着は大切なものよ」
「まあ、そうだな」
 ムミョンは納得したように頷き、セリョンを意味ありげに見た。
「この中にそなたの衣装は入ってないのか?」
「ええ」
 セリョンは当然のように言う。ムミョンが首を傾げた。
「何で?」
「何でって言っても、応えに困るわ。私には仕事着は必要ないもの」
 セリョンは改めて今の自分の装いを見る。きなりのチョゴリに淡い紅色のチマは絹でさえない、妓房の娘というよりは八百屋の娘といった方が良さそうな質素なものだ。
「女将がそんな恰好をさせるのか?」
 ムミョンの問いに、セリョンは真顔で首を振った。
「おっかさんは私に普段から、もっと華やかな恰好をしなさいと言うわ。でも、私がそういうのは好きではないの」
「何故? 普通、そのくらいの年の娘だったら、華やかな装いをしたがるだろうのに」
「私は変わり者なのかもしれないわよ」
 セリョンが笑うと、ムミョンは呆れたように鼻を鳴らした。
 そのときだった。間近に迫った四つ辻から盛大な銅鑼の音が鳴り響いた。
「何かしら」
 眼を輝かせたセリョンは小走りに音のする方へ向かう。
「おい、セリョン」
 ムミョンが慌てて後を追いかけた。
「さあさあ、皆さん。これから懸賞相撲をやるよ。闘いを勝ち抜いて栄えある勝利を勝ち取った勇者には賞金が出る! 我こそはと思う猛者はどんどん挑戦してくれ」
 小柄な初老の男が唾を飛ばしながら喧伝している。どうやら、四つ辻ではこれから相撲が始まるようである。懸賞相撲というからには、優勝者には賞金が出るのだ。
「よっしゃ、俺が出よう」
「俺もやるぜ」
「いんや、賞金は俺ンものだ」
 口々に剛の者たちが名乗りを上げている。なるほど、どの男たちも逞しい身体をしていて、見るからに強そうだ。
 と、傍らから勢いよく声が上がった。
「俺も入れてくれ」
「ちょっ、ムミョン」
 セリョンは慌てて彼の袖を引っ張った。ムミョンは翠翠楼では、薄鼠色の衣服を着ている。用心棒たちに支給されるお仕着せだ。
 ムミョンが振り返った。