北へふたり旅 46話~50話
まず販売店網を運営するためのノウハウを得た。
スクーターを売るための拠点と、エンジン修理のコツを全国へ
ひろげたからだ。
この開拓はつぎにうみだされる軽自動車、乗用車を売っていくための
貴重な土台になった。
スバル360の登場がそれをさらに加速させる。
『中島飛行機が作った車だから売れるだろう』と、モノがないうちから
商社の伊藤忠も乗り出してきた。
もうひとつは会社のイメージが向上したことだ。
前身の中島飛行機は大企業だったが、戦争をささえた軍需産業でもあった。
どこか戦犯的なイメージが漂う。
民主主義の時代に、すこしだけ窮屈で肩身の狭い思いをしていた。
それが一転した。
とくに次の時代をになう子どもたちから、圧倒的な支持を得た。
それがテレビドラマ「少年ジェット」の登場だ。
少年ジェットは1959年から、フジテレビで放映された実写のドラマ。
「少年ジェットが乗っていたのは、スバルのスクーターですか。
白いオートバイにまたがっていたような、そんな記憶がありますが・・・」
「オートバイにまたがって登場したのは、月光仮面だ。
ホンダ ドリーム C70 というバイクさ」
少年ジェットも月光仮面もどちらも、戦争を知らない子どもたちの
ヒーロー。
こどもたちの胸の奥に、大人になったらいつの日か、ヒーローが乗っていた
あのスクーターやオートバイに乗ってみたいと思わせた。
「ちなみに君があの頃乗っていたプリンスのスカイラインだけど、あれは
中島飛行機のエンジン生産グループが作り出したものだ」
「え?。ウソ!。日産よ。スカイラインは日産プリンスでしょう」
「日産プリンスは、日産に吸収合併された後のことだ。
エンジン部門の富士精密工業が、旧立川飛行機のたま自動車と合併する。
そののちプリンス自動車と社名を変更する。
そのとき開発されたのがスポーツカーの名車、プリンススカイラインだ」
「それがどうして、日産になっちゃうの!」
「1年遅かった。
その一年後。
旧中島飛行機の6つの会社が集まって、富士重工をたちあげる。
6つの星が輝くエンブレムは、それを記念してつくられた。
もっと早く再結集が実現していれば、富士精密工業も参加していただろう。
そうなればエンブレムに、7つの星が輝いた」
「それが実現していればあの頃の愛車は、
水平対向エンジンのスカイライン。
乗りたかったですねぇ。低重心のスポーツカーに・・・
残念です。エンブレムが6つのままだったのは」
(49)へつづく
作品名:北へふたり旅 46話~50話 作家名:落合順平