小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

北へふたり旅 46話~50話

INDEX|5ページ/10ページ|

次のページ前のページ
 


 北へふたり旅(48) 北へ行こう④

 オートバイが登場すると急速に廃れてしまったが、スクーターは
敗戦直後の日本で、爆発的に広まった。
昭和20年代から30年代前半まで、日本中を走りまわっていた
その先頭を走ったのが富士産業が生産したラビットスクーター。

 1947年、ラビットが市場に出た。
1958年にホンダのオートバイ、スーパーカブが出るまでのベストセラーだった。
販売が終了する1968年までで、50万台を売った。
いまも修理しながら、乗っているファンがいる。

 開発のきっかけは、中島飛行機の大泉工場跡へ進駐してきたアメリカ軍。
兵士が乗っていたパウエル製スクーターを見て、「なんだあれは?」
「恰好いいじゃないか」と騒ぎになった。
技術屋たちが、「エンジンに椅子と尾輪を付ければいいんだ」と考えた。
倉庫に残っていた航空機の尾輪と、買い付けてきた資材で、
スクーターをつくりあげた。
こうして誰もが気軽に乗れる、手軽な乗り物が誕生した。

 「こいつは売れるぞ」
女優の高峰秀子、北原三枝、白川由美らを起用して大々的に
宣伝をたちあげた。
その効果もあり、ラビットは時代を象徴する乗り物にのしあがる。
しかしオートバイの台頭で時代が変わっていく。

 ラビットスクーターは戦後最初の看板商品として、役割をおえたが、
ふたつの点において、その後の富士重工の発展の基礎をつくった。