短編集73(過去作品)
私のことが好きだということは、態度は言動からいくら鈍感な私でも予想はつく。私も好感を持っていた。しかし、愛していたかどうかまで疑問が残る。言葉では、
――愛してるよ――
と、何度も囁いたはずである。
もちろんそれまでに彼女の身体を知ってしまっていたのも事実だし、私の中での征服感も満たされていた。しかし、それが気持ちまで全部だったかというと疑問が残る。
――もっと他に素敵な女性が現れるのでは?
と言う気持ちがなかったとは言えないのだ。
それを私は自分の中の「心の余裕」だと思っていた気がする。相手に好かれることだけで満足し、相手を征服したような気持ちになっていたことに違いないと思っている。そんな私を良子はどう感じていたのだろう?
良子と知り合う前に付き合っていた女性とのパターンについて思い出してみる。
最初の数ヶ月は、実にアツァツのカップルだった。しかし、ある日突然、女性の方から別れを告げられることが多かった。
「あなたと一緒にいるのは苦痛なの。あなたが重荷なの」
これが今までの決まったパターンであった。それがなぜなのか絶えず考えているが、結局分からない。そしてそれを教えて欲しくていつも直哉の部屋を訪れていたような気がするのだ。その時には大体納得して帰っていたはずである。ただその時にいつも感じることとして、
――前にも感じたこの感覚――
というものだった。
朝靄の中で感じたことがあるという思いが、今日のことを指していたのではないかと、今まさに感じている。いつもと同じようではあるが、これほど足が重たく感じることはないからだ。
今私は頭の中で、良子の気が変わっていく様子が手に取るように分かる。
――逃げていけば、異常なほどに相手に執着する性格――
これが私なのだと、今さらながらに思い知らされている。
きっとそれは直哉の部屋から帰る時にいつも感じる結論なのだろう。
一体部屋には何があるというのだ。何を一体私は求めているのだろう。
――相手を思うことと思われることが永遠に交わることがないのだろうか?
私は自分に言い聞かせる。
もしそれができたとすれば、こんなに足が重たくなったりはしないだろう。
部屋の中で言い争いをする二人の男女、私の執拗な思いを必死に断ち切ろうと抵抗する良子を見て、私の頭は破裂しかけになっている。それを冷静に見ているのは、今の私かも知れない。
「あ、危ない」
とっさにそう感じた時、良子はすでに真っ赤な血の海に身体を投げ出していた。どう見ても絶命している。そんなショッキングな光景が生々しく頭の中で繰り広げられているのだ。
――ああ、私は一人の女性をあやめてしまった――
後悔の念が激しくなる。しかし、逆に呪縛がとれたかのごとく、今度は身体は宙に浮いて、一気に部屋へと舞い戻っていた。
――まるで自分の身体ではないかのようだ――
空気のごとく部屋へとなだれ込む。
入った瞬間おびただしい異臭とともに、自分に何が待っているかということを、一瞬にして悟ってしまった。直哉の部屋からずっと続くこの気持ちは、ここで見たものすべてに繋がっていたのだ。
そこで見たものは、真っ赤な血の海に泳ぐように倒れている良子に、覆いかぶさって白くなって重なっている私の姿だった……。
( 完 )
作品名:短編集73(過去作品) 作家名:森本晃次