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短編集73(過去作品)

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 そういえば、三年前にここでお湯に浸かっていた時、誰かがいたような気がしていたのを思い出した。同じように影が揺れ水しぶきが聞こえた。しかし私が近づいて影がいたであろう位置まで来ると、そこには誰もおらず、やはり同じような距離に影を見つけることができた。
 水しぶきが聞こえてきたわけでも、波を感じたわけではない。人の気配を感じるのに、一向に距離だけが縮まらない。その時は錯覚として片付けたが、そのことをちょうど思い出した。
――本当は錯覚ではなかったのかも――
 今となっては分からない。あの時は結局風呂を出る時にも会わなかったし、疑問が残ったまま私の胸だけに収めてきた。そして時とともに忘れていた記憶が今よみがえってきたのである。
――ここにもう一度来たいと思ったのは、そのことがあったからかも知れない――
 そういえば時々夢で見ることがあった。
 根拠はないがお湯の中のシルエットが女性で、その人との一晩の甘い時間、私のことをすべて把握していて、決して逆らわない純情な女性。自分が待ち望んでいる女性なのかも知れないという思いである。
 三年前も同じく混浴で、影になっている人を、絶対女性だと疑わなかった私のその根拠は、いったいどこから出てきたのだろう? 自然と緩む顔の筋肉を意識しながら逆上せないよう努力をしたのを思い出す。
 意識はしっかりしていた。相手も私の存在に気付いていたはずである。それでも驚いた様子もなく、ただ聞こえてくるかすかな息遣いが次第に大きく感じられるようになっていた。
 同じく私も湯の中で、自分の心臓の鼓動をはっきりと聞くことができる。逆上せないようにと思いながらでも身体は正直で、上気した顔から流れ出る汗が温泉の効能だけではないことは分かっていた。
 なるべく相手を刺激しないよう、悟られないよう近づこうという努力をしている。目だけはしっかりと相手の顔のあるあたりを、見えないだけで捉えていたはずだ。じっと見つめていれば輪郭もはっきりしてきて、何となく浮かんでくる雰囲気に顔のイメージが張り付いてくる。
――大体こんなイメージだ――
 自分の中で彼女のイメージが増幅していった。
 間違いないという気持ちが次第に大きくなっていく。
 それは小学校時代好きだった女の子が大きくなったらと想像した顔であって、それがそのまま自分の理想の女性として定着したのだった。
「洋子ちゃん」
 逆上せてしまったのだろうか? 思わず声が出てしまった。
 何となく波を感じたが、ピクリと動いただけだろう。私の声に驚いたのか、それとも名前に反応したのか、私には分からなかった。
 動いてはいけない。
 頭の中で分かってはいるのだが、勝手に動く身体をどうすることもできない。動いたというよりも「反応」したのだ。
 湯気が次第に濃くなってくる。相手の影を確認しようとしても、目の前に揺らめく影に気を取られて集中できない。
 それから先どうなったか、自分でも覚えていないのが、三年前の出来事であった。
 夢のようだった三年前、その時に感じた思いを再度来た今回味わおうとは……。まるで三年前の再現だ。違うのは今回、前の時の意識を頭に持っているということである。
 前の経験を生かせるだろうか?
 ひょっとしたらまた同じことを繰り返すかも知れない……。
 それが今の私の思いであり、なるべく同じ気持ちにならないよう心掛けるつもりだ。
 少し逆上せかけている自分を感じていた。湯気の中で揺らめく影が少しずつ大きくなっていくのを感じた。
 あれ? こちらに近づいてくるのかな?
 そう感じた私は、一瞬たじろいで後ろに下がろうとしている。もちろん自分の意志が働いてのことではない。身体が勝手に反応しているのだ。
 落ち着いていたのか、それとも偶然か、私は下を向きお湯の波を確認していた。目に見える波もなく、身体に感じる波もない。そう思うと後ろへ下がることをやめていた。
 今度は逆に前のめりになろうとしている。その時にお湯を押しているのを感じ、自分が波を起こしているのが分かった。波は前だけではなく横にも広がり、いかにも波紋が私の身体を中心に広がっていく。湯気の中であってもそれだけは確認できるらしく、首を回して見ている自分に気がついた。
「洋子?」
 三年前と同じように、小声で語りかけたが、反応はない。今度は意識して声にしたのだが、想像したとおり相手から何の応えも返ってこない。
 急に気分が悪くなってきた。温泉の効能か、イオウに似た匂いが強くなり、耐えられなくなっていたのだ。元々イオウの匂いは好きではないが、今までこれほど気持ち悪くなったことはない。そういえば、三年前逆上せた時に感じた匂いを再度思い出し、耐えられなくなった。もしその時の記憶が頭にこびりついていなければ、今もそれほどキツくはならなかったかも知れない。因果なものだった。
 やはり幻だったのだろう。
 自分なりに勝手に納得していた。それにしても逃がした魚は大きいというが、どう想像しても自分のタイプの女性だという気がして仕方がない。脱衣場で着替えをするころにはすっかり気分もよくなっていて、空腹感がやたらと襲ってきた。
 思ったとおり部屋に戻ると食事の用意がされていた。用意もちょうど終わるとこだったらしい。
「いいお湯でしたか?」
「ええ、やっぱり露天風呂はいいですね」
「それはようございました。腰の病気に効くと言いますし、鉄分を含んでいるらしく、貧血の方とかにはいいらしいですよ」
「そうですか、さすがにあの匂いだけでも、いかにも効用がありそうですものね」
「匂いですか?」
「ええ、イオウのような匂いが急にする時がありますね」
「え? ここは匂わないことで有名ですから」
 先ほど私は確かにお湯の中で誰かと会話をした。
 しかしイオウの匂いを思い出すと、影しか浮かんでこない。私の理想の女性が入っていたと思ったのは錯覚だったのか、それとも昨夜の夢と混同しているのか自分でも分からない。
 確かに女性の声は耳に残っている。だが姿は、影だけであった。
「今日は他にも泊り客は多いんでしょうね」
「ええ、何組かいらっしゃいますが、それ以外にも男性の方が一人と女性の方が一人、それぞれお泊りですよ」
「私以外に男性一人という方がおられるんですか?」
「ええ、珍しいですよ。それぞれ一人で来られる方が三人もおられるなど」
 この宿は元々子宝が授かるということがどこからか噂になり、流行り出したところだった。本当は閉鎖的な街なので、噂事態は迷惑だったに違いない。しかし、かといって噂になってお客さんが増えてきた以上、今度はそう簡単にやめられなくなってしまった。街の人たちだけで、のんびりとやっていた街だったのである。
 私がちょうどこの街に取材でやってきた時のことを思い出していた。
 あの時の私はまだ若く、記者としての経験もまだ浅かった。それだけではなく、女性経験も浅かったといって過言ではない。
作品名:短編集73(過去作品) 作家名:森本晃次