北へふたり旅 41話~45話
「このとき活躍するのが、回転まぶし。
効率よく繭をつくらせるため考案された、すぐれものだ。
カイコは上へ行く習性がある。そいつを利用する。
カイコがのぼっていくと重心がかわり、くるりと回転する。
じぶんのスペースへたどり着いたカイコたちが、下へさがるかたちになる。
また上が空く。
そこをめざしてカイコがまた上へのぼっていく。
こうしてまぶし全体へカイコが勝手に散らばっていく。
すごいアイディアだろ」
カイコは2週間ほどで蛾にかわる。まゆを破り出てくる。
そのため10日後くらいで収繭(しゅうけん)作業をおこなう。
回転まぶしからまゆを外す。
まゆかき用の箱枠へセットする。まゆかき棒で繭を押し出す。
ごそりと繭が押し出されるが、まだ回転まぶしとつながったままだ。
繭をおおう毛羽が、まぶしにからんでいる。
遠慮はいらない。
片手でビャーっと繭をかき落とす。
毛羽は繭を作るとき、最初の足掛かりになった糸。
毛羽がついたままのもしゃもしゃ繭では売り物にならない。
回転式の羽毛取り器のうえで繭を転がす。
表面の毛羽が取れる。
純白にかかがやく、きれいな繭ができあがる。
「仕事に慣れてきたころ日本の養蚕は、ピークを過ぎた。
絹の靴下は、ナイロンのストッキングに負けた。
中国や東南アジアの安い絹にも負けた。
そうなればつぎの売れる商品を探すしかない
農家も自由競争の、個人経営者だからな」
日本の繭は1930年(昭和5年)の、40万トンがピーク。
昭和40年代にすこし持ち直しの傾向が見られたが、
2014年(平成26年)147トン。
衰退の背景に、安い労働力に支えられた海外の安い繭の流入がある。
若者の農業離れ。後継者不足による構造の変化もある。
日本人の生活が和装から、洋装へ変化したことなどもあげられる。
「カイコのあとは、野菜をつくることにした。
関東平野には、日本の人口の3分の一が住んでいる。
畑から桑を引き抜いた。そのあとにパイプのビニールハウスをたてた。
最初に取り組んだのは、有機栽培のキュウリ」
農業は都市から遠い農村で行われているイメージがある。
しかし。都市の近くで農産物を作れば消費地が近いため、鮮度を保ったまま
短時間で野菜を届けることができる。
「都市近郊農業スタイルに、つぎの活路を期待した。
その手始めがキュウリだ」
日本の夏の食卓に、欠かせない胡瓜(きゅうり)。
インドのヒマラヤ山麓が原産地。いまから1500年前、中国から伝来した。
平安時代から栽培された長い歴史を持つ。
そんな胡瓜だが、苦みが強すぎたため、水戸の黄門様こと徳川光圀公は、
「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」
とさんざんにこきおろしている。
(44)へつづく
作品名:北へふたり旅 41話~45話 作家名:落合順平