北へふたり旅 41話~45話
「繭と生糸は日本いち。と上毛かるたによまれている。
カイコのことを、お蚕様、と呼ぶ人もいる。
繭は貴重な現金収入だからな。
おれも死ぬほど働いた。
来る日も来る日も桑の枝を切り、ひたすらカイコに食わせたもんだ」
昭和33年。県内農家の2/3が養蚕農家を記録する。
戦後最大の戸数を記録したこの年以降、養蚕は衰退の道をたどっていく。
「4月に入ると休日を利用して、一家総出で大掃除する。
カイコを受け入れるためだ。
暮れの大掃除では手を付けないがこの時期はとくに、二階を
念入りにおこなう。
カイコが2階で繭をつくるからだ。
道具はきれいに埃を払う。
場合によって、家の前を流れる川で水洗いした」
蚕の卵は小ぶりの浅い木枠の箱に入ってやってくる。
卵の重量で、掃きたてる量(繭になる量)が決まる。
蚕座紙と呼ぶ無菌の紙の上へ、羽帚でたまごを掃き落とす。これが掃き立て。
芽が出たばっかりの柔らかい桑の葉っぱを刻み、与える。
このころの蚕は、第一齢。
蚕は脱皮をくりかえしながら大きくなる。
掃きたてのころは2mm。
10時間もすると桑を食べなくなり、動かなくなる。
さいしょの脱皮に入る。
脱皮が終わると第二齢。まだ毛が少し残っている小さな虫だ。
食べる桑の量も少ない。
2~3日するとまた動かなくなる。3度目の脱皮の準備。
最初はこんな調子がつづく。こんな飼い方でじゅうぶん間に合う。
しかし。蚕の飼育はこんなものではない。
まもなく、息をつくひまもない忙しさがやってくる。
(43)へつづく
作品名:北へふたり旅 41話~45話 作家名:落合順平