苦界に降る雨
好いた男なら何人かはいた。
しかし、かよはそんな男に身は任せても、心まで任せる事は出来なかった。
言い寄って来た男もいた。
しかし、かよはそんな男の言葉を信じるほど初心ではいられなかった。
少し頭がはっきりしている時、あと何日もしないうちに自分もしづ姐さんのようにむしろに包まれて寺に投げ込まれるのだろうと思う。
だが、もうどうでも良い、吉原〈ここ〉から出られるのは死んだ時、そんなことはもう何年も前からわかっていたから……。
うつらうつらしていると、脳裏に浮かんでくるのはふるさとの景色……自分がそこにいることを許してはくれなかったふるさとだが、やっぱり自分の居場所はあそこしかなかったのだと思う、吉原〈ここ〉で過ごした日々の方がずっと長いが、ついぞ自分の居場所とは思えなかった、吉原の方で手放してはくれなかっただけ……。
そして浮かんでは消える両親〈ふたおや〉の顔……。
自分をこの楼〈うち〉に売ったのは両親、それを赦せるはずもない……しかし、女衒〈ぜげん〉に引っ立てられるように連れ出される時に自分にすがって泣いた母親の姿、下を向き唇をかみしめて座り込んでいた父親の姿……ここに来て何年か後には、両親はそうするしかなかったのだと自分に言い聞かせて自分を納得させることはできた。
しづ姐さんはいくつものふるさとを語った、その中に本当のふるさとがあったのかどうかはわからない、あったにせよ、なかったにせよ、しづはふるさとを、両親を赦すことなく死んで行ったのだろう……それを思えば、自分はまだましな方かも知れない……。
意識が薄れて行く中で、かよは幼い娘に戻ってふるさとの野山を歩いていた。
雨上がりで濃くなった緑の匂いが懐かしい。
そして、家が近くなると両親のやさしい笑顔……。
かよは家に向かって駆け出した。
「おとっつぁん、おっかさん、かよは今戻って来たよ」
そう言いながら真っ白な光の中に溶け込んで行った……。
(終)