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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Husky

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「お父さん、今日は夜遅くなるのかな?」
「いや、いつも通りよ多分。八時ぐらいかな?」
 自分の部屋でベッドの上に転がると、自然と居間に飾ってある絵が頭に浮かんだ。二〇一六年のテーマは、『スポーツマンシップ』。オリンピックの年だったから、関係するテーマになるのは、なんとなく予想していた。絵のイメージは浮かぶけど、そこに至るまでの過程は思い出せない。ただ、描き足したり消したい線は無数にある。絵というのは、描けたと思って手を離した瞬間から、未完成になっていく。だから、描いた絵を額に入れられるのは、本当は好きじゃない。しばらく目を休めた後、トイレに行って戻る途中で、お母さんが言った。
「そうだ、優美。お父さんラジオが調子悪いって」
 機械音痴のお父さんでも使える、ピエロの鼻みたいに大きなダイヤルがついたラジオ。ダイヤルの軸が空回りして、針が思ったように動かないと言っていた。家族が誰もできないなら、私が。そう思って、色々と勉強してきた。修理するより買う方が早いのは分かっているけど、いざ詳しくなると、壊れている箇所が知りたくなる。私は台所にラジオを持ってくると、外装を外して真っ二つに割り、基盤から突っ立っている軸の根元にある、ヒビの入った軸受けを瞬間接着剤で固定した。
「まだ使えそう?」
「同じとこが割れただけだよ。この部品だけあればいいんだけど。新品とかないのかな」
「機械音痴夫婦だから、助かるわ」
 お母さんは、サイドテーブルに置いてあるノートパソコンの電源を落とすと、味噌汁の味見をしながら笑った。私は言った。
「亜里沙もバイトを探すんだって」
「言ってた。前は居酒屋? お客さん入らないもんね」
「何するのかな」
 私が言うと、お母さんは首を傾げた。
「奥さんとも話したけど、お客さんも元通りの数は入れられないみたいね」
 亜里沙は、居酒屋チェーンでバイトをしていた。誘われたけど、あの慌ただしい雰囲気は私には合わないと思って、断った。距離感がとにかく近くて、客として利用しているときも、店員さんの動きを見ていると、注文しているこっちが追いつけていないんじゃないかって、不安になるぐらいだ。
 居間に飾られた絵。額に閉じ込められた現状に、すっかり慣れてしまっている。亜里沙の絵も同じだろうか? テーマは、スポーツマンシップ。二〇一六年度の金賞は、本堂亜里沙が獲った。マンションのエレベーターで一緒になったときにその話で盛り上がって、付き合いが復活した。絵に対する情熱は変わっていなくて、コンクールの金賞と銀賞が、同じマンションで隣り合わせに住む二人なんて奇跡だと言って、亜里沙は笑っていた。しばらくして、自転車置き場で交わした会話は、一字一句覚えている。
『飾るでしょ』
 亜里沙は恥ずかしそうに首を傾げた。
『いやあ、どうだろ。常に目に触れるのは恥ずかしいよ』
『飾りなよー。記念だし。プレゼント、勝手に決めちゃったんだ』
 電飾付きの額。そこだけが美術館になったように、LED照明が柔らかく照らすようになっている。宝物のように両手で抱えた亜里沙が六〇六号室へ帰っていくのを見届けて、本当に使うかどうかは、正直分からないなと思った。電気を使うし、本当に綺麗に設置するなら、配線を隠さなければならない。本堂家のお父さんなら、難なくこなすだろうけど。当時は、色んな考えが巡った。
 夜八時、お父さんが帰ってきて、サラダの盛り付けを中断して廊下に顔を出した私に笑顔を見せると、自分が脱ぎ捨てたサンダルに顔をしかめながら上がって、手を洗いながらお母さんに言った。
「本堂んとこ、車がなかったな。どこか行ったのか?」
 本堂家で車を運転するのは、お父さんだけだ。お母さんはフライパンと睨めっこしながら、サラダの装飾に戻った私と目を合わせながら言った。
「あら、そうなの?」
 お父さんは、ご飯の様子をちらりと見ると、台所に置いてある自分のラジオを見て、目を丸くした。
「優美、直してくれたのか?」
「うん、軸受けがまた割れてた。すごい力で回したでしょ?」
「そんなことない。ありがとな」
 お父さんは苦笑いを浮かべた。ジャージ姿に着替えて戻ってくると、ダイニングテーブルを拭きながら言った。
「最終日はどうだった?」
「普通だったよ。お別れ会とかも、今はできないから。オンラインで何かやるかもって言ってたけど」
「オンラインね。インターネットってやつか?」
「まあ、そんな感じ」
 ご飯が始まってからしばらくは、どんなバイトを探すにせよ、私は店員をすべきじゃないというお父さんのひとり語りが続いた。お母さんは相槌を打つだけだったけど、言いたいことがあってしょうがない様子で、会話を切り替えるタイミングを伺っていた。その前に、私からも言いたいことがあった。お父さんは、本堂さん家の車がないと言っていた。
「玄関、安全靴が出てた」
 それを聞いたお父さんは、口元に運んでいたビールグラスを置いた。
「見たのか?」
「今日、本堂さんのお母さんと一緒になったとき、玄関がちらっと見えたんだ」
 私が言うと、お父さんの顔がみるみる笑顔に変わるのが分かった。お母さんが、泡だけが縋り付いたように残るお父さんのグラスへ、ビールを注ぎ足した。
「最近、どうも様子が怪しいと思ってたんだ。車にやたら仕事関係の道具を置いてたからな」
「お父さん、よく見てるねほんと」
 お母さんが呆れたように笑った。
「夜勤か。あいつ、また現場に出てるな」
 仕事が相当厳しい状態なのか、単に管理職の人間も駆り出されるぐらいに忙しいのかは分からない。それでも、何かが起きているのは確かだ。
「木登りに逆戻りか」
 電柱工事のことを言っているのだろう。その露骨に馬鹿にした口調は、昔から変わらない。私は言った。
「現場から離れて長いし、心配だね」
 お母さんが笑った。勢いに乗せるように、言った。
「今日は、面白い会話が聞けたの」
「おー、ほんとか。聞こう」
 お父さんが一本締めをするように、手を合わせた。お母さんは、居間からノートパソコンを持ってくると、電源を入れた。
「ほんとに、たまたまだったのよ。さっきご飯作りながら、ちょっと気になって開いてみたら」
 お母さんがパソコンを慣れない手つきで操作していると、声が流れた。
『お父さんには言わないし、止めないけど。私も反対だからね』
『うん、つなぎだから』
 お父さんが、私とお母さんの顔を代わる代わる見ながら言った。
「これって……、いわゆる夜の店ってやつか?」
「そうだろうね」
 お母さんが笑った。私はその声に聞き入った。スニーカーを履かなくなったのは、環境が変わったからだ。亜里沙は客商売に向いている。明るくてはきはきと話すし、変な人間の相手も難なくこなす。昔からそうだった。私の相手ができるんだから、その才能は本物だろう。あの電飾付きの額縁。プレゼントしたとき、飾るかどうか分からないなと、本当に思っていた。本人も、『恥ずかしい』と言っていたし。私としては是非、部屋のど真ん中に飾ってほしかった。何故なら、中に盗聴器が入っているから。機械音痴のままではいけないと思って勉強したことが、こんな形で役に立つとは、思ってもいなかった。
作品名:Husky 作家名:オオサカタロウ