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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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川の流れの果て(5)

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ぴゅうぴゅうと風が吹く夜の真ん中の月の下を、ある男が歩いていた。そこは数々の商家の大店が立ち並ぶ町らしく、土蔵の土壁と、大きな商家の塀が交互に続いている。日本橋であろうか。

男は、真夜中だというのに手元に提灯も無く、着物は薄い木綿に半纏を羽織り、道に残って凍った雪の上を歩くのに、裸足に雪駄履きという出で立ちであった。しかし寒そうな様子も見せておらず、あまり急いでもいないような足運びである。

時折、道の両端にぽつりぽつりと掛けられた提灯の前を男が通り過ぎると、その顔がぼんやりと照らされ、自分の爪先が動くのが見えるくらいに項垂れて目を伏せている姿は、何やら考え込んでいるように見えた。

男の他には往来は誰も通らず、しかし男が歩いている少し先に、女が一人立っているようだった。遠くに見えるその影は提灯に少し照らされて女と分かる程度で、こちらからはよく見えない。暗い中で、男はそれに気付かずに下を向いて、女の前を通り過ぎようとした。しかし男が傍を通ろうとすると、女は急に飛びかかるようにして男の袖へ縋りついた。

「お待ちください!」
急なことだったはずが、自分の袖へ掴みかかってひしと放さない女を不審がる様子も無く、男は一歩遅れたような、気の抜けたような声で、「なんだでなぁ」と女に返した。

その女は、歳の頃ならもう三十を過ぎているように見え、恐ろしく痩せていた。近くの提灯に照らされた顔には、険しく悲しそうな皺が幾筋も刻まれている。凍り付いた夜にくたびれた木綿の着物一枚でいるからか、がたがたと震えながら男の顔をじっと見つめて、女はこう喋り出した。

「お願いでございます。亭主に先立たれて子供があり、わたくしの手内職などで頂くお金だけでは、あの子を育てていくことが出来ないのでございます。だからこうして、ここをお通りになるお方のお袖へお縋りして、なんとか暮らしている者でございます。どうぞお願いでございます、いくらでも構わないのでございます。お恵み頂きますれば…」

女は引き千切るような涙声でそこまでを言って、提灯に照らされているぼうっとした男の顔を見ていた。するとその男は悲し気に眉を寄せて口の端を垂らし、何度か頷いた。そして懐に手を入れて財布を取り出す。

「ああ!ありがとうございます!ありがとうございます!」
女は、男が財布から金を取り出して、同じく懐から出した半紙に包んでいるのを見て、涙を流して頭を下げ、男の前で手を合わせた。
「礼なんていいだ。早く帰らねえと、子供がさびしがるし、おかみさんは風邪を引くでよ、もう今日は帰るとええだ」
「そう致します、そう致します!ああ、ありがたいことでございます!あなた様のことをお祈り申したいので、どうぞお名前をお教え下さい!」
「いやいや、通りすがりの者だで、それに、そんなに大したことでねえ、早くお帰りなせえ」
「…そうですか…とにかく、本当にありがとうございました、このご恩は決して忘れは致しません、ありがとうございます」
「体に気を付けるだよ」

女は半紙に包まれた金を受け取り、深々と頭を下げて男を見送っていた。男が見えなくなってしまうと、ふと近くの提灯の灯りが手元に差している事に気付いたので、もう一度目の前で手を合わせてから、半紙を開いて中身を見てみた。すると、なんと二分銀ばかりざらざらと出てきて、女は仰天して叫び声を上げた。
「まあ!まあ!こんなに!…もし!もし、あなた!」
女は男が歩いて行った方へ走って行ったが、やがて肩を落として提灯の前にもう一度戻ってきて、泣きながら「ありがとうございます、ありがとうございます」とつぶやくように繰り返していた。