小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

川の流れの果て(5)

INDEX|2ページ/5ページ|

次のページ前のページ
 


又吉はしばらく「柳屋」へは来なかった。その内に冬も深くなって雪が江戸に積もり、江戸の人々は雪かきをし、趣向を凝らした雪だるまを作ったりした。そうして遊び心を忘れないながらも仕事をし、それが終われば家で炬燵に入って、温かい鍋などをつついた。

弥一郎の店ではその日、店の者全員で大川に行って雪見をしようと、手に手にむしろや酒を持ってわいわい騒ぎながら、道に広がって歩いていた。

ある者は外の寒さに堪えかねて手に持った酒瓶にすでに口をつけ、またある者は途中で寄った屋台見世で買った天ぷらを頬張り、袂にしまい込んだ温石などを布越しに撫でさすって寒い寒いと愚痴をこぼす者、道の途中で見える商家の看板にケチをつけてみる者、芝居の噂を始める者と、やかましい一行は大川の土手へ出て、同じく雪見を楽しみに来た先客達の中に紛れ込んで陣取った。


目に飛び込んできたのは、白と青であった。大川の流れは群青色に染め上げられた絹がゆったりとたなびくようで、川岸に繋いだ舟達は、その中でこっくりこっくり揉まれながら、一様に頭に雪帽子をかぶっていた。そこから見えるどの屋根も土もすべてまっさらの白い雪に覆われていて、それが青い空の色を仄かに返して銀色に光る。

一枚の絵のような光景に声を上げる間もなく、昼ごろに止んだと思った雪が、またちらちらと降り出した。一人の職人がまずそれに気づき、「あっ!どうも寒いと思ったんだ俺ぁ!また降ってきたぜ!」と叫んで、それを聞いた近くの雪見客も、皆、一緒になって空を見上げる。

音もなく風に乗って降りて来る雪達を見上げると、自分が雪へ向かって吸い込まれていきそうな、反対にすべての雪が自らへ向かうような、不思議な気持ちがした。川の流れへ目を落とすと、落ちてきた雪が何事もなかったように水の中に吸い込まれていくのを見て、それもまたわけもなく目を奪われ、快いのであった。

「はあー。綺麗なもんだよなぁ」
「そうだなぁ」
「空ぁ晴れてるし、これぁ風花だろう。座って見るがいいぜ」
弥一郎がそう言うと、そうかそうかと一同はむしろを広げて座り込み、早速酒を飲み始めた。すると、職人の癖で皆酒に夢中になり、弥一郎が用意した酒を口々に褒めた。

「うん!こりゃあ上等の酒ですぜ親方!」
「うひひ、ありがてえ、ありがてえ!」
そこへ誂え物を持っておかみのおそのと数人の職人が追いつくと、待ってましたとおその達に礼を言って、まずむしろの上に出された寿司桶に、我も我もと急いで手を伸ばした。
「おい!その小鰭ぁ、俺が先に手ぇ出したんでぃ!」
「なーに言ってんでぃ、てめえの目当ては横っちょの玉子だろうがよ」
「なんだとぉ!」
「まあまあお前さんたち、こんな時に喧嘩なんてしないどくれよ。ほれ、ここに蒲焼きもあるんだからね」
いくつもの寿司桶があっという間に空になり小競り合いが起きると、おそのはすかさずほとんど焼き上がったばかりの蒲焼きの包みを広げ、職人達に勧める。
「へえ!こりゃありがてえ!」
「一串ずつだよ、あとは私が焼いたもので悪いけど、田楽もあるし、今日はたんと上がっておくれ」
おそのはそう言ってにこりと笑った。
「ありがとうごぜえます」
「ありがとうごぜえますおかみさん」

食い物は、他に握り飯と甘辛く煮た芋が出て、酒を飲みながら皆はそれらをたらふく食べた。

止み始めた風花が盃に落ちた途端消えたのを見つけては酒を飲み、青空の下で食う飯の旨さを心ゆくまで堪能して、職人達は雪見を楽しんだ。

おそのが支度は万端整えて、弥一郎は職人達の様子を見ていた。当の職人は飲めや歌えの大騒ぎで、しこたま飲んでは蒲焼きにかぶりつき、それが無くなってしまうと味噌焼きの大根の串に持ち替えて、もう片方の手には酒瓶や湯飲みの酒を放さなかった。

そのうちに目の据わってくる者、言い合いを始める者が出て来る時分に、「店に帰って飲み直そう」と親方がそれをなだめ、「寒いから、帰って炬燵にでもお入りよ」とおそのが言い添えて、みんなで引き上げることにした。

「はあー食った食った。もう入らねえや」
留五郎は満足そうにそう言いながら、皆が使った湯飲みを風呂敷に包んで結んでいた。立ち上がろうと風呂敷を持って顔を上げると、橋の上に誰かが居るのが目に入り、何気なくそちらを見る。

永代橋の欄干へ寄りかかって下を向いている男があった。すぐには分からなかったが留五郎は急にびっくりした声で、「あれ、あんなところに又吉がいやがるぜ」と、後ろに居た与助を振り返った。
「なんだって?」
与助もすぐに又吉らしき人物を橋の真ん中へ見つけ、何やらぐったりと欄干に腕をもたれて水面を見ているらしい又吉を見て、首を捻った。
「はぁー…ありゃ又吉だ…あんなとこで何してんだぁ」
二人は又吉を見ていたが、遠く橋の上に居る又吉がどんな顔をしているかまではよく見えず、雪見を楽しんでいるのか、疲れて欄干に寄りかかっているのか判然としないので、ちょっとの間黙って見ていた。すると、二人の後ろから弥一郎が顔を出す。
「何してんでぃおめえたちよ。もう帰るぞ」
「あ、親方。あすこに俺達の知り合いが居たもんで…」
「どこだい。橋の上か?」
「ええ、あすこに…あれえ?」
与助と留五郎が親方に振り返り、又吉を指さそうとしている内に、又吉の姿はなくなっていた。
「もういねえのかい。ま、橋の上も往来だ。行っちまったんだろう。ここは寒いし、早く帰らねえと風邪を引くぜ」
「へ、へえ。そうですねぇ…」