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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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川の流れの果て(5)

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冬になり、江戸には酷い北風が吹き荒れた。
方々から毎日のように火の手が上がりお上は頭を悩ませていたが、町奉行大岡忠相は、とうとう奉行所を頭とする大々的な「町火消し」を作り直すことに決めたらしいと、江戸の人々は知らされる。

各町内でそれぞれに火消の仕事を賄っていた頃と違い、奉行所が手当など一切を引き受けて、身軽で力のある鳶の者達を中心に据え、町ごとに名前を「い組」、「ろ組」などと呼び、「いろは四十八組」が生まれた。

組の要には、並外れて度胸の据わった男達が彫り物を全身に纏って勢ぞろいをし、どんなに高く燃え上がる炎へも屋根伝いに飛ぶように向かっていった。
勇猛果敢なその姿は江戸の者を沸かせ、それ故の乱暴な気性は江戸の者にさえ恐れられた。


江戸の町が変わっていく中でも、人々はいつも通りに亥の日の祝いをすると、火鉢や炬燵を出して、褞袍を重ね着した上から布団を掛けたりして、隙間風の吹き込む寒さに堪えていた。

凍るように冷たい隅田の流れと、川を渡る風に体もしばれる永代橋を脇に見る吉兵衛の店でも、風よけの囲いで店全体を覆い、ありったけの行火や火鉢を出して客を呼んだ。


「お花、あの人が気になるのかい」
その日、店を閉めた後で吉兵衛とお花は後片付けの洗い物や店の掃除をしていた。
吉兵衛は床を箒で掃き、お花はハトバの前に屈み込んで、丸めた藁に灰を付けては、流れる水で皿を濯いでいる。その時に、吉兵衛がお花にそう聞いたのだ。

お花は、父が自分の心をいつも見抜いていることを知っていた。だから又吉への気持ちも全部見透かされているのを承知で、努めてそんな素振りを見せないよう振舞った。それを今、ついに父から切り出されたのだ。

お花はすぐに、奥ゆかしい娘らしく頬を染めただけで、顔を隠すために横を向いた。そして必死に洗い物に向き合っている振りで唇を少し尖らせ、「何さ、何もないよおとっつぁん」と返した。

吉兵衛はその様子を見て、お花が娘として恥じらいを知るという間違いのない育ち方をしてくれたと満足に微笑み、「又吉さんのことさ」と、ずばりと言ってのけた。お花は驚いて、急に父が口にした名前に戸惑って真っ赤になり、父を見詰めた。

「又吉さんは国へ帰って商売をする。そこへお前もついていきたいんだろう」
「おとっつぁん…」

お花が吉兵衛を見た目には、期待と不安があった。又吉と一緒になりたいという気持ちをどうにかして父に分かってもらえないかという、必死の期待。それから、江戸で代々続けてきたこの店を捨てるわけにはいかない父は、自分を説き伏せにかかるのだとほとんど決め込んでいることへの不安。
そして、親に尽くしたいという気持ちから、お花自身が自分に「諦めろ」と言って何度も説得してきたことによる悲しみがその二つを包んで、いっぱいに見開かれたお花の両目に潤んでいる。それを見た吉兵衛は一つため息を吐いて、頭に巻いたねじり鉢巻きの結び目を解いた。

「広い江戸だ。この店を継げる腕のある奴はいくらも居る。ただ、お花、お前の幸せは一つところにしかないんだろう」
「おとっつぁん!それじゃあうちの店が!」

お花は、義理堅く仕事の手を抜かない父の背中を、ずっと見てきた。気が弱くても分別があるお花は、「いつか腕のいい料理人を婿にして、自分がおかみとしてこの店を切り盛りしていかなければ」という気持ちが、もしかしたらそこらの飯屋の娘よりずっと強かったに違いない。
吉兵衛が「自分のために生きろ」と言ったところで、すぐに諸手を挙げて言う通りにする気が起こるはずも無かった。

「いいや、考えてもみろお花。お前が大事に思って惚れた男を諦めて、気に入りもしない亭主と一緒になってこの店を継いだ先で、この店はどうなる。ちょっと考えれば分かるだろう。そんなくらいなら、俺は店を畳む。それで我が子の幸せが手に入るなら、安いもんだ」
吉兵衛はお花の左肩に手を置き、一度だけ少し強く握った。それでお花も父の心を悟ったのか、途中からはらはらと流していた涙を拭いもせず、父の胸に飛び込んだのだった。