黄昏クラブ
稲枝が、私の視線を真っすぐに捉える。「文芸部は、ヌシがいたから保てたんだよ。俺じゃ無理だった」
「そんな……。私は――」
「一つ、ヌシがいなければ、文芸部は開店休業状態だった」
「……」
「一つ、ヌシがいなければ、俺は文芸部には入らなかった」
「え……?」
「早乙女?」
「……」
「おい!」
「え?」
「え?って」
「私が、どうかした?」
「い、いや」
稲枝が怪しげな視線で私を見る。
「な、……何かあるの?」
「べつに、なにもないよ」
稲枝が視線を逸らせて、再度パソコンに向かう。「それより、さっき渡した原稿読んどけよ」
「あ、うん」
私は机の上に投げ出された原稿を、改めて手に取った。
私は、稲枝から渡された原稿を読み、彼はパソコンで既に寄せられた原稿をチェックしている。本来ならこれこそが部活としてありうべき姿なのだろうが、文芸部としては非常事態に近いものがあった。
稲枝は真剣な目つきでディスプレイを凝視しているし、私は何か締め出されてしまったような気持だった。
何もせずに稲枝を見ていても仕方がないので、私は赤ペンを手にして渡された原稿を読む。だが全てを読み終えるよりも早く、稲枝がパソコンから顔を上げた。
「ふむ」
「え? もう終わったの?」
「ああ」
「早っ!」
「まあね」
「どんな感じ?」
「そうだな」
稲枝はパソコンの画面をちらりと見て言った。「毎度のことながら、急ごしらえにしては上出来だなって」
そう言われては、苦笑するよりない。
「普段の活動も、これくらいやってくれると雰囲気変わるんだろうけどな」
「私は、今のままでもいいけど」
「そうか。あまり活発になると、ヌシの読書タイムも削られるか」
「削られるも何も、もう長くもないし」
「だな」
稲枝が立ち上がる。「じゃ、俺は行くわ」
「もう?」
「何だ? いて欲しいのか?」
「いや、そんなんじゃなくって」
「さすがのヌシでも、たまには人恋しくなるってか?」
「うるさい。さっさと出て行け!」
「はいはい。ま、何かあったら呼んでくれよ。いつでも手伝うから」
そう言って、稲枝は部室から出て行った。
改めてパソコンの前に陣取った私は、新たな原稿の入力作業に取りかかる。ブラインドタッチが出来ない私は、適度に手元を確かめつつ入力しなければならないので時間がかかる。全ての入力が終わらないうちに、見回りの先生が来てしまった。
「早乙女さん、相変わらずね」
今日の見回りは三富先生だった。
「すみません。すぐ片付けますから」
私は原稿に手を伸ばそうとする。
「もう少しくらいは、いいわよ。それ、学園祭のでしょう?」
「はい」
「一人で大変ね」
「いえ、副部長も手伝ってくれてますから」
「そうなの。それならよかった。何もかも一人でなんて、無理だしね」
「はい」
「実はね、写真部も現像のために、まだ残ってるのよ。途中でやめたらフィルムがダメになるとかって」
「そうなんですか」
「でも、暗くなる前には帰りなさいね」
「はい。ありがとうございます」
先生が行った後も作業を続け、全ての入力が終わった時には六時近くになっていた。パソコンの電源を落とし、急いで帰り支度をする。
遅いにも関わらず、つい癖で隣の扉に手をかけると、案の定というか開いた。
「あら、今日は遅いのね」
彼女が振り向いて言う。
「うん、ちょっと居残り」
「学園祭のことで?」
「そう」
時間も時間なので、私は掛けるかどうか迷っていた。
「疲れてるみたいね」
「まあ……ね」
ずっとパソコンの画面を見ていたのだから仕方ない。
「まだ明るいわ。少しくらいなら、ゆっくりできるでしょう」
それで私は、ようやく椅子に腰を落ち着けた。
「あなたも、相変わらず遅いわね」
私は言う。
「私? そうかしら」
「だって、もう六時よ」
「そう」
「そうって……」
「そんなこと、どうでもいいことだから」
「あなたは、ひょっとしたら、私を待ってたの?」
「……」
彼女が私に視線を投げかけてくる。だがその眼の色は何ものをも語っていないように見えた。
「そんなふうに、見える?」
私はその表情を読み取れず、「さあ」とだけ答えた。
「私は、誰をも待っていないし、誰にも待ってもらえない」
「……」
「って、言ったら、どうする?」
「どうするって……」
「いきなり、こんなことを言われても、困るわよね」
「……」
「冗談よ」
彼女が微笑む。「あなたが、あんまりしょんぼりしてるから、からかってみただけ」
「ひ、酷い……」
「どう? 少しはしゃきっとした?」
「う、うん」
私は頷く。「でも、あなたが言うと、冗談に聞こえないよ」
「私、そんなに真面目くさって見えるのかしら」
「そうでもないけど……」
「べつにいいけどね」
しばらく、沈黙が続く。
「ねえ」
静けさに耐えかねて、私は口を開いた。「さっきのこと、本当に冗談なの?」
「さっきのこと?」
「いや、まあ――」
必要もないことを蒸し返すのも気が引けて、言葉を濁す。
「いいのよ、言いたいことは言って。遠慮することはないわ」
そう言われて、ずけずけとした物言いができるほど、私も神経が太くない。
「……」
「そうね、あなたは真面目なのね」
「ううん、私、真面目なんかなじゃい」
うふふ、と彼女が笑う。
「どうして笑うのよ」
「そんなに必死な顔をして、真面目じゃないなんて言われてもね」
「私、そんなに必死な顔してる?」
「してるわよ」
「そ……そうなんだ……」
「あなたって、すぐに顔に出るのね」
彼女が言う。
「うん。よく言われる」
それは、認めざるを得なかった。
「だからなのかな……」
「だからって?」
「あなたは、嘘をつくのがすごく下手なんじゃない?」
「う、うん……」
「みんな、顔で笑ってても心は隠してる。言葉と本心も全く別。でも、あなたはそうじゃないのよね」
「……」
「あなたはきっと、真面目な上に、馬鹿正直なんだわ」
「私、正直でもなんでもない」
彼女がかぶりを振る。
「だって、あなたは嘘をつけないもの」
「私だって、嘘をつくことはあるわ」
「でしょうね」
彼女が微かに微笑む。「嘘をつかない人なんて、いないものね」
「だったら、どうして私は嘘をつけないなんて言うの?」
「平然と嘘をつく人もいるわ。それがたとえどれだけ人を傷つけようと、そんなことはお構いなしに。でも、あなたは違うでしょ? あなたが幾ら嘘をついていても、その後ろめたさが顔や動作にに出てしまうのよ」
「私って、そんなに分かり易い……?」
「そうね」
彼女が肩を竦める。
「そっか……」
私は息をつく。「私ね、彩夏って何考えてるのか分からないって言われることが、よくあるんだ」
「そうなの?」
「でも、あなたは分かり易いって言ってくれる。……本当の私ってどうなんだろ?」
「あなたを分からないと言った人はね」
彼女が改まった表情で私を見る。「あなたに対して、しっかりと向き合っていないからだと思うわ」
「しっかりと、向き合う?」
「そうよ。だってあなたは、そんなにもあからさまなのに、それを分からないなんて、理解できない」
「うーん」