黄昏クラブ
彼女の髪がはらりとなびき、夕日に金色に照り映える。
「私たちはちゃんと生きていて、今ここにいる。それ以外に何か問題があるのかしら?」
そう言いながら、彼女は元の席に腰を下ろした。
しばらく、沈黙が続く。
「あなたは、学園祭には参加しないの?」
静けさに耐えかねて、私は訊ねた。いつもなら聞こえているはずの運動部の練習のざわめきさえも聞こえてこない。
彼女は、かぶりを振った。
「やっぱり、お留守番だから?」
「そう」
「どうせ誰も来ないんなら、お留守番の意味なんてないんじゃないの?」
「意味があることだけが全てじゃないわよ」
「それって、答えになってないわ」
「そうかしら」
「そうよ。みんな、学園祭を楽しみにしてる。そりゃあ、中には面倒くさいって思ってるのもいるけど、それでも一応はお祭りだもん」
「それでも、私には関係ないわ」
「……」
「ね、何か勘違いしてない?」
「勘違い?」
「そう。私は、誰かに強制されてここにいるのではないのよ」
「……」
「もちろん、頼まれたわけでもない。私は、好きでここにいるの。ただ、それだけよ」
「それだけって……」
「理由として、不足かしら」
「好きでやってるなら、何も言うことないけど」
「けど?」
「あなたは、それで楽しいの?」
「べつに」
「だったら――」
「あなたは、楽しいから毎日学校に来てるの? 楽しいから、部活やってるの?」
「いや、それとこれは――」
「同じことよ。私がここにいるのは、そういうこと」
そして、彼女は私の方に向いて意味ありげに首を傾げる。「いまは、そればかりでもないけれど」
私は、彼女の顔を見つめて言う。
「何となく?」
「そう」
「前に、確かそう言ってた」
「そうだったかしら」
「そうよ」
「だったら、その通りよ。私たちはいつも、ただ何となく生きてる。何となく学校に来て、何となく勉強して、何となくおしゃべりして」
彼女の表情が翳るのが判った。「何となく、頑張ってみる」
「頑張るのも、何となくなの?」
「おかしいと思う?」
私は頷く。
「じゃあ、あなたは何のために頑張るの?」
「そりゃあ――」
言いかけて、言葉に詰まる。
「試験でいい点を取るため、誰かに認めてもらうため、いい結果を出すため。でも、それは何のために?」
「……」
「誰も当座の目標や結果のために頑張ってみているだけで、そんな自分に酔っているだけなんじゃない?」
「そんなこと、ないと思う」
「そう言い切れる?」
「運動部だって県大会に出たくて頑張ってるとこもあるし、文化系も……」
「文化系も?」
「それなりに、目標をもってやってるところもあると、思う」
「それは、あるでしょうね」
「でしょ?」
「でも、それが何になるの? そんな努力って結局は自己満足以外の何ものでもなくなってしまうんじゃない?」
「そんな……」
「ごめんなさい。言い方が、きつかったわね」
彼女が謝る。「私はね、本当に何のために頑張ってるのか分かってやってるのかって言いたかったのよ」
「それって、同じことじゃないの?」
彼女がかぶりを振る。
「全然違うわ」
「どう違うのよ。何かのために頑張ることに、違うとか正しいとか、そんなことってあるの?」
「何かに優勝するとか、部活で何かするとか、それはいいけれど、その先は? 優勝だって何かの達成だって、所詮は自己満足なんじゃないの?」
「そんなこと……」
私は反論する。「そんなこと言ってたら、きりがないじゃない」
「じゃあ、逆に訊くわね」
彼女が真剣な眼差しで私を見据える。「その優勝は、その達成は、誰のため?」
「……」
「誰のため?」
「それは――」
「あなたの言葉で言って」
「自分の……、自分たちのため……」
「その功績は、誰かのためになるもの?」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「何?」
「それって、誰かのためとか、そういうことじゃないと思う」
「じゃあ、何のためなの?」
「……」
「ね? 結局は自己満足なのよ」
「それは、やっぱり違うと思う」
「どう違うの?」
「みんなで協力して、頑張ってやるからこそ、いいんだと思う」
ふっと、彼女が息を漏らす。
「あなたも、先生と同じことを言うのね」
「私、そんなつもりじゃ……」
「いい?」
彼女が言う。「あなたは、みんなで協力してって言った。でも、あなたの部活はどう? 協力できているの?」
「それは……」
「少し、意地悪な言い方だったわね」
彼女が、表情を和らげる。「あなたの場合は、責任感よね」
「……」
「私はね、思うのよ。確かに何か目標を持って達成することはと尊いんだろうなって。でも、それが責任ばかりになってしまって楽しみから逸れてしまったら、本末転倒なんじゃないかって」
「……」
「分からない?」
黙ったままの私に、彼女が訊く。私は微妙な表情のまま頷きもしなかった。何故なら、分かるような気もするし、それでいてその意味を解りたくないような複雑な気分だったからだ。
「みんな好きで部活やってるはずなのに、いつのまにか義務とか責任ばかりが大きくなってない? 勘違いしないでね。確かに、誰もが好きなことを好きなようにやってしまえば、何にも成り立たなくなってしまう。これは物事の表と裏なの。好きで部活をやってるのに責任や義務ばかりが増えてしんどくなるのは間違ってる。だからと言って、誰か一人だけが張り切り過ぎたりメンバーがてんで好きに動き回っていいということでもない」
私は頷く。それは、確かにその通りだったからだ。
「一人のヒーローを生み出すためには、数知れない無名の選手が必要なの」
その言葉に、私ははっとした。
「分かった?」
私は頷く。
「誰もがヒーローを気取っているチームからは、ヒーローは生まれない。演劇に例えてみたら明らかなことよね。誰もが主役の演劇なんて、あり得ないでしょ?」
「それは分かるけど。なんだか……」
「混乱してる?」
彼女が微かに肩を竦める。「仕方ないわね。簡単に言うとね、役どころをわきまえて楽しめばいいということよ」
「役どころ?」
「そう。主役には主役の、脇役には脇役のね。映画だって、名脇役っているでしょ?」
「う、うん」
「はっきり言っちゃったら、主役なんて誰にでもできるの。でも、脇役は誰にでも演じられるものじゃない」
「かも、知れないわね……」
「でしょ? 万年脇役でも、それでも俳優をやめない理由は何だと思う?」
「その、仕事が好きだから?」
「その通りよ。俳優にとって、目標は演じ切ること。脇役でも、脇役を極めること。何故なら、それが好きだから」
「うん……」
「じゃあ、私がここにひとりでいることも、分かるでしょう?」
「好きだから? ここにいるのが」
「そうよ」
彼女が微笑む。「お留守番という理由でここにいても、私はここでは自由なのよ」
「何もしていなくても?」
「それが、いいんじゃない。みんな、何かしなくちゃって焦ってる。そんなことから解放されて自由でいられるのが、ここなのよ」
窓の外は黄昏て、金色(こんじき)の夕光が木立を照らしている。濃緑の木々の葉は濃いオレンジ色との対比で黒々と影を投げ、鮮やかなコントラストをなしていた。