小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

呪縛からの時効

INDEX|1ページ/28ページ|

次のページ
 
 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。

               研究者

 森のような緑はあるのだが、どこか無造作に建物に絡みついているのを感じる。建物が中途半端に古いことが、無造作に見える要因なのかも知れないが、そんなことを意識して歩いている人がどれほどいるというのか。ただ、今まで当たっていたと思っていた日差しが当たらなくなった時、急に吹いてくる風に肌寒さを感じる時期になってくると、どこか寂しさを感じないわけにはいかない。
 建物に寄り掛かるような緑の蔦は、日が暮れると淀んだような緑色に見えて、あまり綺麗なものではないが、いつもその光景を気にしながら歩いている人もいた。
 この場所は大学のキャンパスであり、中央部分に位置していることから、昔からある古い建物であるのは、仕方のないことではないだろうか。
 数年後には主要な校舎も老朽化するということで立て直しが計画されているらしいことから、この光景を見れるのも今しかない。そういう意味では貴重な時期と言えるのではないだろうか。
 木枯らしが気になり始めてはいるが、まだまだ暖かい時期があったりもする。
「三寒四温」
 と呼ばれる時期なのだろうが、学校も大学祭が終わり、賑やかだった分いいから一変して、特に夕方は寂しさが忍び寄っていた。
 大学祭の前は、模擬店の開催のため、学校のいたるところでトンテンカンカンと釘を打ち付けるような音が響いていて、いやが上にも賑やかさが滲み出ていた。雨も降らない乾燥した時期に入っていたので、その音は狭い建物の間で響いていた。大学祭に参加しない学生も、その音を気にすることもなく、普段通りに通り過ぎるだけだった。あまり音がしない、会話が響いているだけのキャンパスが普通だったのに、建築の音が鳴り響いている状態に違和感がないというのは、元々、こういう音に街中で慣れてしまっているのか、それとも人間が感じる許容範囲の音なのかも知れない。
 学園祭の前に響いていた釘を打ち付けるような音が気にならないのは、学生よりも教授たち、大人の方ではないだろうか。
 四十歳代や五十歳代の教授たちには、自分たちが子供の頃の高度成長時代が懐かしいのかも知れない。あの頃はどこを歩いていても工事の音が聞こえてくるのが当たり前で、マンションやビル建設が佳境だった時期でもある。
 今、似たような光景として、街も一新しかかっているが、そもそもその頃に築かれた建築物が、今になって老朽化してきたことで、ほぼ同時期に一気に建て替えが必要になってくる。
「時代は巡る」
 というのは、まさしくこのことなのかも知れない。
 昔のことを思い出していた教授陣も多かったのだろうが、歴史学の教授である阿久津教授は特に昔のことを思い出していた。
 阿久津教授は、都会の下町で生まれた。高度成長時代を迎えたのは小学生の頃だったのかハッキリとはしないが、少なくとも小学生の低学年の頃は、あちらこちらから工事現場の音が聞こえてきていて、公害などが社会問題となっていた時代だったのは、間違いないことである。
 家から学校までは歩いて三十分以上かかったが、途中に川が流れていて、その河原の向こう側が工場になっていた。何の工場なのか覚えていないが、いくつかの似たような台形の建物の向こう側から、大きくはないが、煙突が生えていたのを覚えている。
 煙突からの煙を見て、
「今日は風があるんだな」
 と思っていたが、それも途中までで、いつの間にかそんなことも考えないようになり、靡いている煙を見ながら、ただボーっとしている時が多くなっていった。
 考えてみれば、まったく靡いていない煙などあるわけもなく、微妙に左右に揺れがあるのが煙だった。
 一度だけ、まったく靡くことのない煙を見たことがあったが、本当にまっすぐ上を向いた煙の線が、煙突の数だけ交わらない平行線を描いていて、芸術的に見えていたのを思い出した。
 あの景色を忘れることはないだろう。立ち上った煙はある程度まで上がると、スーッと空に染まってしまうかのように消えてなくなった。それぞれの煙突の煙は図ったように同じ高さで消えていた。これも、考えてみれば不思議な光景であった。
 その光景を思い出すには、まったくの妄想でしかなかった。何しろあの時のような工場が存在するわけではなく、工場が見える河原も今では駐車場やスポーツのできる施設になっていたりする。
 大学のキャンパス、しかも夕方の薄暗くなりかかった寂しい光景とは、似ても似つかない雰囲気であるが、自分が子供の頃とさほど大学のキャンパスの中でも変わっていないと思われるこの場所が、阿久津教授には違和感がなくいられる場所でもあった。
  阿久津教授は、この時間の大学キャンパスが好きだった。学生の姿もまばらで、毎日の終わりを感じさせるその場所は、何年も変わらずに同じ光景を写し出していたに違いない。
 しかし、その間に学生は確実に入れ替わっている。そんな当たり前のことを違和感もなく意識もしていないというのは、やはり慣れでしかないのだろうか。今までに何度この光景を見てきたのか想像を絶するが、
「何度この光景を見たのだろう?」
 と考えたことが果たしてどれほどだっただろう?
 本人が考えているよりも、かなり少ないのではないかと思うが、その数を想像することはやはりできなかった。
 建物の老朽化が気になり始めたのはいつ頃からだっただろう? ひょっとすると、教授になった頃だったかも知れない。それまでは建物になど興味を持つこともなかったのに、教授になったとたん、急にまわりが見えてきた気がした。
――気持ちに余裕が出てきたから?
 と思ったが、実際にはそうではなかった、
 教授になったからと言って別に気持ちに余裕が出る理由があるわけでもない。却って目に見えないプレッシャーが大きくなったというのに気付いたのは、少し後になってからだったが、今から思えば、教授になりたての頃から、覚悟のようなものはあったような気がしてならなかった。
 老朽化が気になるようになってから、建物に絡まった蔦も一緒に気になるようになった。それまでも蔦があることは目に見えるのだから分かっていたことではあったが、目に見えているだけに、意識しなければ、そのままスルーしてしまうという意識からか、気になっているようで気にしていたとしても、それは無意識でしかなかったのではないかと思えたんもだった。
 そんな阿久津教授は、大学内ではあまり目立つことのない人で、雰囲気的には、
「いかにも教授タイプ」
 と言われるような雰囲気で、適度に白くなりかかった髪の毛も、黒縁の眼鏡も、昔から、
「この人は教授だ」
 と言われてるであろういでたちをしていた。
 それだけに大学内で目立つことはない。
 広義の時間も出席を取るわけではないので、あんまり学生がいるわけでもない。取り立てて面白い話をするわけでもないので、講義室はいつも閑古鳥が鳴いていた。
 ただゼミ学生は結構いて、教授としては学生から人気があるようで、なぜそんなに人気があるのか、ゼミ生の中でも不思議に思われていた。
作品名:呪縛からの時効 作家名:森本晃次