芽
作品を書き終えた後に残る謎の自信とは、綿毛のように軽く柔く、何の役にも立たない自伝を綴ったところで何にも得られないのは分かっていても、それも私を包んでくれる。非常に不快だ。
それなりには読める内容でしかない、私の拙い文章で整列された話など、文学が崩壊しない限り認められることは無いと思う。確信を持てず、思う、で済ませてしまうから変な期待をしているのであろう。
もしかしたら、可能性が、そんな言葉が頭を渦巻く。通り過ぎては、ダメだ、無理だ、いやしかし、その三拍子揃って仲良く歩いてきやがる。追い越し車線は犯罪だろうに。死に晒せ。プライドを捨てろ。殺せ。己は醜いアヒルの子に出ている何にでもない虫だ。才能が開花する夢を見た、何度も見た。夢物語に過ぎない。悲観がまた私を呼んでいる。今度は脳に直接送り込んでくる、間者のように。
いかにして、どうしても、私は抗い続けるのだろうか。折れても気にしない雑草になれたら良かった。それでも根強く、心強くなれたら。ただ悪戯に作品を死なせ、愛せず、自慰紛いのものにしか成り下がらない。2人揃ってのものだと言うのに、ただ絵にも出来ず、作品にならず、苦痛が故に眠らされているのであるならばいっその事苦から解放されるべきなのだろうか。自問自答を繰り広げたところで、それが何になるというのだ。ただ、作品を死なせ、またこの話か、飽き飽きだ。