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あれはどうやら実際の痴漢裁判であった話を周防正行がまんま脚本に取り入れたらしいが、しかしどう考えても、支援者だけがラビドリーになる話だよなあ。自分達の実験が無実の証拠を見つけた気になるもんだから「これでどうだ」と吠えたてるけど、アメリカの裁判だったら陪審員みんなが退屈するだけの話。
 
これはそれと同じじゃないかな。オーケンは自分が人権弁護士で、刑事訴訟法のエキスパート。知らない法を知ってるように錯覚させられてしまっているから、棄却されて絶望する。権力の壁にドリルが通らずに折れたことに絶望するのだ。《調書の拇印が偽造》の証拠を自分が見つけて裁判所に突きつけた気にさせられてしまっているから。
 
だがそれこそ空中楼閣的「催眠術」というものだろう。自分の頭でちゃんと理解できないことについて偉そうな口を利くなよ。
 
『疑惑α』という本を読んでおれが驚いたのは、なんとこの著者・佐伯省という人は、平沢の妻だけでなく、関係者を訪ね歩いてたくさんの人に話を聞いてたことだ。それも一市民の立場で! 警官でも作家でもジャーナリストなわけでもないのに! 本当に執念の調査をした人なのだ。後に本を出したけれども本を出すため調べたんじゃない。自分が〈真犯人〉と目した男をただ追いかけて個人で動いた。
 
すげえ。ともかくも尊敬するな。で、中にはもちろんのこと、第三次再審請求をした弁護士とも会ってるのだが、『疑惑α』には、
 
   *
 
 私が姉の手引きで、磯部弁護士と初めて会ったのは、神田の姉の家であった。
 同氏は検事聴取書は検事のデッチ上げたものだ、と盛んに言っていた。したがって読む必要などない、と言ったりするので、私はどうかなあ、と思ったりした。
 
   *
 
と書いてある。これが1959年、第三次再審請求棄却直後らしいのだが、その3年後、
 
   *
 
 昭和三十七年四月頃、私は再び磯部弁護士を訪ねた。彼は相変わらず検事のデッチ上げだと言っていた。
 
   *
 
ということで、その磯部という先生が退屈な人だったのが窺える。
 
《調書の拇印が偽造》の話は、おれからすると退屈としか思えない。佐伯省氏にしてもそうだが、誰だって、検事の調べが拷問まがいだったことは知っていてそれをいいとは思わないのだ。でも《通帳を改竄しての詐欺未遂》や《アッ、スラれた》、《出所不明の大金》の話をちゃんと知る者の眼には事件の脇道で、平沢がやったかどうかと関係がない。
 
そんな話としか思えない。オーケンは平沢が疑われて当然の人間なのを知らぬから、
「○○が○○なのが科学的に証明されている」
「検事側が認めないのは刑事訴訟法第○○条の規定に……」
といった言葉に惑わされてそれを《狂犬が吠えている》ものであるとは感じないのだ。
 
でもまあ、スキャンして見せるか。これがその《調書の拇印が偽造》だが、
 
画像:帝銀事件と平沢貞通氏62-63ページ
 
こうだ。みっつの拇印すべてに白い輪があるって? なるほど怪しいとおれも思うが、しかし、
 
「だからそいつは白紙に指を捺させたんじゃなく、平沢に自白させた後、あらためて書いた調書に指を捺させたってことなんじゃないの?」
 
ともやっぱり思うよな。それに、大阪市立大学の大村博士ってのはやっぱり怪しい。
 
とも思うな。だって……というのも退屈な話なのでやっぱりしたくないのだが、いずれするときがあるかもしれない。とにかく、今日のところはやめておこう。
 
それより、これには平沢は9月24日から10月5日にかけて高木に自白させられ、その後に出射というのが10月8日と9日の日付で調書をデッチ上げたものと書いてある。まあそれはいいとしよう。
 
だが、同時にどういうわけか、27日に自白したと書いてある。それは何かの間違いとしても、平沢の自白は23日だ。ただしその日の自供内容は支離滅裂で、セーチョーの『小説』によれば平沢は、
 
   *
 
(略)帝銀事件なんかちっぽけなものです、私は(二二六事件の)高橋是清と(五一五事件の)犬養毅をやっつけております(略)
 
アフェリエイト:小説帝銀事件
 
などと言ったりしていたという。それがつまり遠藤の言う仏うんねんというやつなのだろうが、当然、この日の自白は証拠とはされていない。おれはこれをもとにして、「たぶん高木は平沢を眠らせなかったんだろう」と以前書いていた。
 
が、セーチョーの『小説』によると、その後はむしろ高木に対し、進んで自白したものらしい。「毒はこうして手に入れた、手口はこうして思いついた」と得意げに語ったらしく、遠藤が言う
《平沢さんが全く自発的に自分の意思で述べたものではなしに、功名にはやる高木検事が、「こうだったろう、ああだったろう」と一つ一つ暗示をかけることにもとづき、平沢さんが次第にそれを真に受けて「作話」しただけのことであって、信憑性はゼロというしろものなのである。》
というのとは話が違う。
 
それが9月24日から10月5日までの自白なのだろうが、しかし例の
《ここの刑務所の看護婦どもはみんなワシに惚れて困ってんですよ。》
と同じで、話すたびに言うことが前と違ったらしいのだ。こんなことでも見栄を張らずにいられぬ性格ということか、自慢タラタラに話してくれるがその内容に信憑性がない。確かに極めてタチの悪い作話症ウイルスの宿主だった。
 
というのがどうやら平沢の場合には真相ではないのかな。その三通がデッチ上げというのは、高木が手を焼いてるために出射というのが待ちきれずデッチ上げたということかもしれない。遠藤が言うように平沢は確かにこの期間だけは素直に「やった」と言っている。だが、これでは使えない、というわけで……
だとして、もちろん、それをいいとおれは思うわけでもないが。
 
   *
 
――とまあ、そんなところだが、やっぱ退屈な話だなあ。テレビを見ても毎日毎日、同じ話でウンザリしますね。今日はコロナの感染者が20人、今日はコロナの感染者が30人と。
 
《感染者が出た》と言ってもその人達、別になんともないんだろうが。エイズみたいに免疫不全となったわけでもないんだろうが。かかったところで肺炎で死ぬのは老人だけなんだろうがと、見ていてつい言いたくなる。
 
いや言ってはいけないことだが、政治家どもが老人票がほしいから老人に死んでほしくないだけじゃないのかと、見ていてつい言いたくなる。
 
選挙が終われば、
「もう安全です。風邪をこじらせて肺炎で死ぬ人間が年に何百人かいるのはそもそも当たり前です。癌で年間百万人も死んでいますし、交通事故で一万人死んでます」
とか言い出さねえだろうな。けれども落選したやつらが、
 
「油断できなーい。致死性を増した第二波がやってくーる! くーる! きっとくーる!」
 
と『リング』劇場版主題歌のフシでわめいたりして。ウイルスのことはよう知らんけど、《致死性を増した第二波》ってのはテレビ局が人々に、おうちでテレビを見続けてほしいだけで言ってるのではないかという気が聞いててするね。
 
「科学的な裏付けが為されている。これを認めないのは……」
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之