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犬も歩けば狂犬病とジステンバーのウイルスに当たる


 
〈ラビドリードッグ〉と言えば上坂すみれも大好きという『装甲騎兵ボトムズ』で主人公キリコが乗る最後のATの名前だが、その意味は《狂犬病にかかった犬》。大槻ケンヂが遠藤誠の、
 
画像:帝銀事件と平沢貞通氏表紙
 
この本を読んで、最初に「うん!?」とまず思い始めたのが、
 
   *
 
大槻「(略)最初に「うん!?」とまず思い始めたのが、この平沢さんという人は、大正十四年に狂犬病の予防注射のためにコルサコフ症候群という病気になっちゃったんですね」
遠藤「なっちゃったんですよ」
 
アフェリエイト:のほほん人間革命
 
というところであるという。遠藤の本からそのページをスキャンして見せると、
 
画像:帝銀事件と平沢貞通氏28-29ページ
 
こうだ。なるほど、『愛犬ポチが狂犬病にかかって処分された。』と書いてあるのがわかる。
 
《処分された》という書き方だと処分されたように読めるが、これはどうやら平沢が棒で殴り殺したらしい。なんでそれがわかるかと言うと、
 
画像:疑惑α表紙
 
こっちの一緒に借りてきた本に書いてあったのだ。著者の佐伯省という人が平沢の妻を訪ねて話を聞くと、
 
   *
 
「平沢は、あるいは詐欺ぐらいはするかもしれないが、殺人など出来ない人です。一面、仏心もある人で、よくお経などもあげていました。飼っていた犬が狂犬になって、思わず棒で殴り殺してしまった時、青くなって卒倒しそうになったんです。気の弱いところがありました」
 
   *
 
と言われたんだそうである。狂犬病ねえ。おれの手元に『[図解]感染恐怖マニュアル』という本があり、見ると狂犬病のページにウイルス性の疾患で決定的な治療法はなく、かかると脳神経マヒでほぼ確実に死ぬとある。でもって、
 
   *
 
(略)たしかにこの四○年(おれ註:この本の出版は2001年)日本では発生していないが、世界各地で狂犬病は依然猛威をふるっている。インドでは毎年数万の人間が死んでいるし、アメリカでだって、九四年は三人の死者を出した。
 哺乳動物のほとんどがかかり、(略)
 
画像:感染恐怖マニュアル表紙
 
などと書いてある。コロナより怖いんじゃないか?
 
まあ空気感染などはしないらしいから、人間はラビドリードッグに咬まれぬ限り大丈夫として(インドの場合はたぶん吸血コウモリでも咬まれるんだろう)、でももしかかるとほとんどゾンビみたいになって、他人に咬みつきその相手もゾンビ化しちゃってどんどん……というわけでも別にないらしいけど、同じウイルス性の病気でもコロナとはだいぶ性格が違うようだ。コロナはたとえかかっても死ぬのはほぼ高齢者らしいが、狂犬病はそうはいかない。若くてもダメ。
 
〈ワクチン〉とは弱毒化したウイルスを人の体に注射して同じ類の猛毒種への抵抗力をつけさすものであるという。つまり、平沢の場合には、弱毒化が充分でないウイルスをわざわざ射って狂犬病になっちまったということだろうか。でもって死にかけ、奇跡的に助かった、と。
 
だろうな。ポチの怨念だろう。それが『リング』って小説みたいにワクチンに取り憑いて、あのシリーズの〈貞子ウイルス〉みたいなもんに変えて平沢を殺そうとしたのだ。そうに違いない。
 
そのとき死ねばよかったのに。
 
アフェリエイト:リング(電子書籍)
 
というわけで帝銀事件だが、見せたページの後半部。平沢の「自白」は「作話」であって信憑性はループ、じゃなくてゼロというやつ。
 
ま、それについてはね、おれも反論する気はない。元祖高木ブー伝説は無能検事だったろうと思うし、取り調べが拷問まがいのものだったのは問題だ。そして今でもそういうもんが横行してるらしいというのも、どうにかすべきとは思います。
 
が、退屈な話だなあ。退屈だからしたくないねん、この話は。退屈な話をするとおれという人間が、退屈なやつと思われるでしょう。それを避けたい。だからしたくない。オーケンが、
 
   *
 
大槻「証明されてるのに、検事側は認めようとしてないわけでしょ」
遠藤「そのとおり、そのとおり」
大槻「いや、これ読んでちょっとゾーッとしましたよ」
 
   *
 
と言ってる《第三次再審請求とその棄却》だが、オーケンが読んでゾーッとしたというページをスキャンして見せると、
 
画像:帝銀事件と平沢貞通氏66-67ページ
 
こうだが、論考したくねえなあ。退屈なやつと見られたくないから。
 
けどオーケンは、読んでゾーッとしたんだろうな。《軽い詐欺事件みたいの》や《ナゾの名刺事件》、《GHQの捜査中止命令》の話を読んで鵜呑みにした者が、《調書の拇印が偽造》の話をラビドリー(狂犬のよう)になって読むと、このページでゾーッとする。脳神経がマヒするのだ。眼から入った遠藤誠ウイルスが、頭の中で大増殖して人を〈ラビドリードッグ〉に乗ったキリコ・キュービーに変えてしまう。
 
このページを読む人間の頭にはラビドリーな交響曲の悲愴なサビがジャカジャジャーン!と鳴り響く。確かにそういうものとわかるが、なんでオーケンに刑事訴訟法や刑法の細かな規定がわかるのか。
 
帝銀事件全記録の謄写請求をしてハネのけられたなんて言うけど、それ、どんだけの量があるねん。おれがこの本スキャンするのだって結構大変だぞ。どのページがどのぺージかも後でわかんなくなっちゃってもう。
 
誰がどうやってコピーを取ってどうやって返すのか、考えて請求した話なのか。違うのならば役所がそういう返答をしても当然とならないか。
 
実際、古い記録の複写なんていうものは手袋をした技術者が台に載せてそっとページをめくりながら上からカメラで撮るもんだろう。遠藤が言うのが《コピー機にかける》ということなら、許されなくて当たり前……。
 
と、ああけどしかし、こんな話は退屈だ。おれ、読んで思い出したよ。『それでもボクはやってない』でさ、加瀬亮演じる〈ボク〉が刑事や検事に取り調べで、
「服の裾が電車のドアにはさまったのをなんでそんなに引っ張った」
と聞かれてそのたびに「わかりません、憶えてません」と言っていた。それが、
「実験で思い出した」
と言ってあのときああだのこうだの、こうだのああだのと説明し、それに対して小日向文世があざ笑いながらなんだの応え、役所広司が、
「許せない! ○○の○○に反している。○○の○○にも反している。これが公正な裁判と言えるか。うんぬんかんぬん、かんぬんうんぬん……」
 
言うところがあるでしょう。おれはあれを思い出したよ。いや、なんと言ってたか、全然細かく思い出せるわけじゃないけど。
 
おれはあそこは心底どうでもいい気で見てたもんだからさ。でも劇場で見た人には、あのパートがあの映画でいちばんラビドリーになるとこなのかな。加瀬のセリフと小日向のセリフ、役所のセリフをよく覚えてて、今でも言えちゃう人がいるのか。すげえ。友達になりたくねえ。そんな退屈な人。
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之