端数報告
「たぶん」というのは、つまり言葉そのものはその前からあったんだろうが、広く知られて口にされるようになったのはこの事件の影響がいちばん大きいんじゃないのかなとおれが思うということだが、〈O・J・シンプソン事件〉が起きて世界を騒がせたのは日本で『課長バカ一代』が連載されてた1990年代半ばだった。O・J・シンプソンという人物はO・J・シンプソン事件が起きるまで、会う人みんなに「ユー・ザ・マーン!」「ユー・ザ・マーン!」と、当たり前のことを言われていた。当時に撮られた『スピード』という映画では、サンドラ・ブロック演じるヒロインのアニーが「兄貴ーっ!!」と、当たり前でないことを言われた。
O・J・シンプソン事件のO・J・シンプソンは帝銀事件の平沢のように状況証拠が真っ黒で、誰の眼にも「これは絶対にやっている」と思えるほどであったのだが、帝銀事件の平沢同様決め手となるものがなかった。そこで弁護士がやったのが、
「どうか〈ギルティ〉としないでください! 〈ノット・ギルティ〉としてください! 推定無罪の原則があります! これは絶対のものなのです! O・J・シンプソンは男だ! O・J・シンプソンは男だ! どうしてO・J・シンプソンが、妻を殺したりするでしょう!」
とひたすらわめくという。これが通って〈ノット・ギルティ〉になっちゃったんだよ。今の若い人もどこかで聞いたことあると思うが。
で、2006年の日本。と言えば『魁!クロマティ高校』、いやいや周防正行が『それでもボクは』の撮影をしていた頃だが、この年に、ひとりの男が痴漢で捕まり警察に突き出されていた。
その名前は植草一秀。けれども人は、〈ミラーマン〉と彼を呼んだ。
で、おれは、その事件について書かれた昔の記事を自炊したのを持ってるんだが(雑誌〈新潮45〉08年1月号)、植草キョージュと言っても今の若い人は知らんかなあ。〈ミラーマン〉のあざ名くらいは聞いたことがあるでしょうか。2004年に手鏡使って女の子のスカートを覗いていたのを捕まり裁判にかけられた。かねてより「どうもあいつは痴漢ぽい」との噂が絶えない人物だったにもかかわらず、無実を信じる人々が冤罪運動を盛り上げた。
画像:電子書籍リーダー画面
この記事によると、1998年にも痴漢で捕まっている前歴があり、2004年の逮捕は二度目。それでもこれを書いている横田由美子という人は、無実を信じて擁護記事を書いたという。当時、「逮捕は首相の小泉が植草を陥れるため画策した陰謀だ」とする本が出版されてたりして、この人も本気にして読んだらしい。
アフェリエイト:植草事件の真実(中古本)
これ、読んでみてえなあ。が、06年に三度目の逮捕。
となるともうこの人含めた皆が植草を見放して、それでもしかし、
*
ごく一部の人たちだけが彼を狂信的に支援し、無実を叫び続けている。
*
とこれには書かれている。
その〈ごく一部の人たち〉が叫んだのが、
「推定無罪は絶対だーっ!!」
なんだろう。それしかもう言えることがないからそう叫ぶのだ。痴漢冤罪の支援者が「推定無罪は絶対だ」と吠えるのは、オウム真理教の信者が「信仰の自由は絶対だ」とほざくのと何も変わりありません。〈信仰の自由〉は憲法で確かに認められてはいるが「絶対」とは書いてない。他の宗教を認めず、麻原をあがめる者が、自分ら以外のすべての人をサリンで殺していいことにするため「絶対」と言う。
それとまったく同じなのです。勝手なやつらが勝手なことをほざいてるだけ。植草キョージュを含めたすべての痴漢達を無罪にするため周防正行は「絶対」と叫ぶ。O・J・シンプソンがこれで無罪になったから日本を痴漢の天国にできると信じて「絶対」と叫ぶ。狂信者なのだ。けれどもつまり、イカレポンチがイカレたことをわめいてるだけなんだから加瀬亮演じる〈ボク〉は有罪でよろしい。
というのがおわかりいただけましたでしょうか。遠藤誠みたいな嘘つき弁護士が「絶対」と言うのは勝手だけどね。裁判官が言うことじゃない。もしも言うのがいたらバカだよ。
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てわけで『それでもボクは』の話は、とりあえずこれでおしまいです。次からいよいよ本当に帝銀事件を再開しますが、その前におれが書いた次の作などいかがでしょうか。それではまた。
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