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「この産む機械どもが! さわられたら、さわられたままでいろてんだ減るもんじゃなし!! 絶対に腕を掴んで『痴漢です』なんて言うな!!!」
 
と言いたくて映画を作ったわけなのだから。『それでもボクはやってない』はそんな周防正行の社会に対する絶叫なのが、ちょっと見ただけでわからなきゃいけない。
 
それが男だ。そうだろう。周防正行なんて野郎は、おれに言わせれば男じゃない。男たるべき心得を持たない〈不心得者〉なのであり、『課長バカ一代』の八神和彦以下だ。
 
そうだろう。なんだけれども、そんなことが言いたいんじゃなく、〈推定無罪の原則〉だ。これが今回の本題である。周防正行は嘘をついている。こんな決まりはどこにもない。日本の憲法にも刑法にも、そんな条文は存在しない。ありもしないルールをかざして、「絶対」などとフカシやがって、よくもよくも……。
 
「見る観客のほとんどはどうせ何も知らんのだからバレるわけないと考えやがって、この嘘つきのナメクジ野郎が。てめーなんかなあ、『課長バカ一代』の八神和彦以下なんだよ!」
 
というわけで、周防正行は『課長バカ一代』の八神和彦以下というのが結局おれの言いたいことなのだが、しかし、〈楽天コボ〉で『基本六法』をダウンロードし、「無罪」と打って検索すると、
 
《13件見つかりました》
 
と出てくる。便利な時代だね。試してほしいが、その13のどれにも「推定無罪の原則は絶対」なんて書かれていない。
 
そんな決まりはなんと存在しないのである。「えっ、そんな」と思うかもだが、しかしちょっと考えてほしい。この言葉はなんだかそもそも、どこか変ではないだろうか。
 
たとえば、オウム信者が、
 
「麻原尊師の教えは絶対だ」
 
と言ったとして、彼にとってはそりゃ絶対かもしれないが、どこか変ではないだろうか。なんだかそれと同じくらい、
 
「推定無罪の原則は絶対だ」
 
という言葉はどこか変ではないだろうか。
 
「それとこれとは違う」って? いやいや、何が違うんですか。何が絶対で何が絶対でないということはない。ワタシが絶対であり、ワタシがお茶漬けを食べればそれも絶対だ。周防正行にとって絶対なものだから、推定無罪が絶対なだけ。しかし全然絶対でないものだから絶対と言ってる、のではないかという気がしてきませんか。
 
おれが「周防正行なんか男じゃない」と言うのは彼が男だからです。「お前なんか男じゃない」という言葉は男に使われる。女に使われることはない。「推定無罪は絶対」というのは、なんだかそれと似ている気がしてきませんか。
 
女に向かって「君って人は絶対男だ」と言ってるみたいな気がしてきませんか。あるいは、
 
   *
 
ファイト・クラブのルールその1:ファイト・クラブのことは外に漏らすな
 
ファイト・クラブのルールその2:ファイト・クラブのことは絶対に外に漏らすな
 
アフェリエイト:ファイト・クラブ(ブルーレイ)
 
なんてルールをどこかの集団のリーダーが作って皆に言ったとしましょう。けれども、これもなんだか変なルールですね。「絶対に」とか言う割に大切なものが欠けていないか。
 
罰則が。このルールにはそれがない。ではルールになりません。ファイト・クラブのことを話しても別に咎められないのなら、ファイト・クラブのことを話しても別に咎められないのだから、みんながみんなファイト・クラブのことを話してファイト・クラブは広まってしまう。
 
だったらルールの意味がねえじゃん!
というのがルールの意味がないルールです。「推定無罪は絶対だ」はなんだかこれと似ていませんか。
 
推定無罪の原則その1:被告人を有罪と見るな。
推定無罪の原則その2:被告人を絶対に有罪と見るな。
結構。しかしアメリカの裁判で、黒人を黒人だというだけの理由で有罪と見て、どんな咎めを受けるのか。「絶対」とまで言うからには、それなりのモンが何かあるのか。
 
なければ、それはルールの意味がないルールです。課長じゃないのに課長のフリして時に部長より偉いみたいな顔してる『課長バカ一代』の八神和彦みたいな言葉。
 
それが「推定無罪は絶対だ」という言葉の正体です。よーく考えよう、アフラック、人権は大事だよ。だから、推定無罪だよ。それはもちろん大事だけれど、どんなふうに大事なのか。
 
ちゃんとよく考えたら、押尾学なんて男は、人間のクズとわかるはずです。それと同じで、〈推定無罪の原則〉も、鉄則でないとわかるはずです。鉄則じゃないってことは絶対じゃない。
 
推定無罪は原則であって鉄則でない。鉄則ならばそれは絶対のものですが、鉄則じゃないのに絶対のフリして鉄則よりも偉いみたいな顔してるのがただのたんなる原則に過ぎない推定無罪という言葉。
 
そういうモンとわかるでしょう。原則とは言わば〈心得〉。鉄則の〈補佐代理心得〉とでも言うべきもの。八神和彦が課長でなくてただの心得に過ぎないように、よく考えたら、それがすなわち、〈裁判官の心得みたいなモン〉であるのがわかるはずです、アフラック。それはたんに被告人を、
《告発されているからといって、初めから有罪と決めつけて見るな》
というだけのもの。裁判官の心得だけど、国が陪審員制度とか裁判員制度を採れば、これに選ばれた人間も従うことが要求される。
 
そういうモンとわかるでしょう。けれどもしかし、裁判が始まってみると弁護士が、
 
「いやあ実験してみるもんでしたよ。このビデオを見てください。被告人には物理的に犯行は不能だったとわかるでしょう」
 
なんて言ってもそれがあまりにインチキくさいものだったり、検事が出した証拠品を、
 
「そ、それは友達にもらって……」
 
なんて言うけどバレてる嘘をまたついたとわかったり、何よりそいつが捕まったのがこれが初めてのことでなく過去に何度も同じ罪を犯した容疑で調べられてるとわかったりしたら、そのときは、
 
「こりゃ絶対にやってるよ」
 
と考えて構わない。それが12人全員になれば、アメリカの陪審員裁判ならば〈ギルティ〉となる。後は、
 
「きみに電気椅子を用意しておく。正式には〈kachou hosa dairi kokoroe〉というんだがね、まあ‥‥日本語で〈電気椅子〉だから」
 
というのが実際のところなわけだね、アフラック。推定無罪は鉄則でないから絶対のモンじゃありません。なのにどうして絶対みたいに人に思われてしまっているかと言うと、たぶんそいつは〈O・J・シンプソン事件〉のせいじゃねえかな。
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之