端数報告
違いますよね。そしておれに言わせれば、それが当然。かつて写真を趣味にして、パチパチ撮って歩いた経験から言わせてもらいますけれど、そんな映像をカメラで撮ることはできません。カメラは万能な機械ではなく、できることとできないことがありまして、《カバンが邪魔でさわれない》という画は決して作れません。
映画やテレビドラマの中で人を殴るシーンがあっても、ほんとに殴ってませんよね。殴ってるよう見せて撮っているだけです。同じところを別の角度から撮った映像がもしあれば、殴ってないのがわかります。
同じことがこの実験で言えますが、どこにどうカメラを置いてどう撮れば《カバンが邪魔でさわれないから〈ボク〉には犯行は不可能》なんていうものが一目瞭然にわかる画を作ることができるというのか。同じところを別のどんな角度から撮ってもやっぱりそういうものになるなんてことがあるというのか。
いや、そんなもの作れぬし、有り得ないことと言うしかないね。それどころか、そんなのどう頑張っても、何が写っているのかさえもわからない画しか撮れないと思うね。何人かが身を寄せ合って何かガサゴソやっているのをただ写したものしか撮れない。『それでもボクはやってない』の中の一秒しか見れないビデオがそんなものでしかないように。
おわかりでしょう。周防正行がそのビデオを一秒しか見せないのは、一秒しか見せられぬものであるからです。二秒見せたら誰にでも、「これは証拠にならない」と気づかれてしまうからなのです。だから一秒見せたらすぐに、小日向文世の悪代官顔に切り替える。そうしてこれは絶対の証拠を見せられながらそれを認めぬ《醜い浮き世の鬼》であるかのように錯覚させる。
というテクニックを、『それでもボクはやってない』という映画は使ってるわけ。思い出してみてください。『のほほん人間革命』のオーケンと遠藤誠の対談における、
*
大槻「そして、また何か、調書の指紋が、実は検事側が……」
遠藤「偽造」
大槻「……偽造したインチキ指紋だったわけですね」
遠藤「そう」
大槻「それは、もう、科学的にも……」
遠藤「証明されてんの」
大槻「証明されてるのに、検事側は認めようとしてないわけでしょ」
遠藤「そのとおり、そのとおり」
大槻「いや、これ読んでちょっとゾーッとしましたよ」
遠藤「そうなんですよぉー。ほんっとに、そうなんだもん。(略)」
アフェリエイト:のほほん人間革命
というのを。《カバンが邪魔でさわれない》はこれとまったく同じなのです。
《科学的に証明されてる》と聞いてオーケンは信じているが、しかしおかしなとこだらけ。インチキなのは鑑定の方だとおれにはわかる話でした。『それでもボクはやってない』も、
「実験してみるものねえ。カバンが邪魔で〈ボク〉さんにはスカートに手を入れられないんだわ!」
と言うのが瀬戸朝香だから観客は、《物理的に犯行は不可能》と思い込まされてしまうだけです。一見、これほど確かな話はないように見えて実は違う。どうにでも言える話に過ぎない。
裁判で通用しないのが当たり前です。役所広司が法廷で、
「実験してみるものでしたよ。カバンが邪魔で〈ボク〉さんにはスカートに手を入れられなかったんです」
と言ってビデオを流しても、信じて見るのはよっぽど頭のおかしいやつだけ。普通のマトモな人間ならば、
「どうだかわかったもんじゃない。そんなカバン、ちょっとズラせば横から手が入れられたりするんじゃねえのか」
だとか思っておしまいじゃねえかな。そんなビデオしか出来ないと思うよ。そして、
「こんなインチキ実験をするってことがこの野郎が痴漢だという何よりの証拠だ」
と思われてしまうだけではないのかしらんと思うのだけど、おれは変なこと言ってますかね。
――と、さて、おわかりと存じますがこの『それでもボクは』の話は、帝銀事件の犯人は平沢だという話と根っこは同じです。おれはそれが言いたくてこれを引き合いに出してるわけです。帝銀事件でも弁護団は平沢貞通のアリバイについて、
「実験してみるものだなあ」
なんてのをやってる話があるんですが、それについてはまたいずれ。今回はこれでお別れといたしましょう。カメラで何を写せるか、なんていうのでおもしろい話が何かないものかと感じた方がありましたら、おれが書いた次のものなどいかがでしょうか。それではまた。
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