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瀬戸朝香が言うから信じてしまうだけ


 
さて前回はお話がずいぶん長くなりましたが、新自由主義の話だっけ。2007年だか8年に、ホリエモンこと堀江なんとかいう人物が、なんとか法違反で捕まり裁判にかけられた。で、無罪を主張して、「やった。やったが何が悪い」……違った、痴漢の話でしたね。
 
アフェリエイト:それでもボクはやってない
 
この映画が描いてることは全部嘘だという話の第二弾であります。
 
前回は、傍聴席は立ち見禁止が当たり前という話をしたいだけだったのにえらく長くなっちゃった。今回はすぐ本題に入りますが、実験シーンがあるんだね。満員電車を再現して、鈴木蘭々を真ん中に立たせ、それを男が取り囲む。加瀬亮演じる〈ボク〉が「やれ」と言われて彼女のスカートに手を突っ込もうとするけれど、そこで瀬戸朝香演じる正義の熱血弁護士助手が、
 
「実験してみるものねえ。カバンが邪魔で〈ボク〉さんにはスカートに手を入れられないんだわ!」
 
なんて言ってそれをビデオに撮ったものを、完全無欠の証拠として法廷に提出するわけだ。小日向文世演じる判事が、
 
「うむむむうっ」
 
となんだかまるで、『水戸黄門』の悪代官が悪事の証拠を突きつけられて、「もはやこれまで。者ども、出あえいッ!」と叫ぶ直前みたいな顔してその再生画像を見る。
 
というシーンがあるんですわ。あの映画を見てない人に説明するとね。
 
しかし小日向文世判事は、裁判所の警備員を大勢呼んで役所広司達を指差し、「こやつらを叩っ斬れい!」と言うでもなくて次のシーンで、ビデオなんか見なかったような顔に変わって加瀬亮演じる〈ボク〉に、
 
「キミという人間は、一度自白しておきながらまだやったと認めないのか」
 
だとか言う。加瀬が、
 
「やってねーものはやってねーんだよ!」
 
とわめき、支援者達は傍聴席で恐怖の顔を見合わせる。この完璧な証拠を見て、彼の無実がハッキリわかった顔しておきながら平然と脇に押しのけてしまうのか。そこにアキレる。見下げ果てるゥ。これが日本の司法制度の実態なのか……という。
 
『水戸黄門』じゃないんですな。時代劇なら役所広司がここで「許せん」と言いまして、小日向文世をブッタ斬りにいくところです。「ひとつ人の世の生き血をすすり、ふたつ不埒な浮き世の鬼を、退治てくれん!」
 
とか言っちゃって、これは『桃太郎侍』だった。いや違った。《カバンが邪魔でさわれない》は、つまり犯行は物理的に不可能だということだ。だから〈ボク〉さんは無実なのだ。それを実験で証明し、ビデオに撮って見せてやった! 時代劇なら『遠山の金さん』の、桜吹雪のように一目瞭然の証拠!
 
のはずではないか。それを見ながら認めないなんて人間がいるというのか!
 
許せん! やっぱりこんなのを、退治てくれる人はどこかにいないのか!
 
なんつっちゃって周防正行のこの嘘を真に受けちゃって、
「オレが『デスノート(同じ頃に実写映画化)』の夜神ライトなら、こういう判事の顔と名前を調べてみんな書いてやる」
だとか思った人が昔にたくさんいたことでしょう。おれはテレビ放映を、
 
「はっ、こんなもん、ダメで当たり前だろが」
 
としか思わず見てたんですが。
 
《カバンが邪魔でさわれない》なんて言ったら《物理的に不可能》となってそれは《無実の絶対の証拠》と普通の人は思うかもしれない。けれどもおれは、そうは思わなかったんですね。まったく逆で、《そんなもんどうにでも言える》と思った。瀬戸朝香の「実験してみるものねえ」というセリフ自体が、
 
「消防署の方から来た」
 
と言ってるようにしか耳に聞こえなかった。
 
《このセリフにはトリックがある》と感じたわけです。カバンが邪魔でさわれない? どうにでも言えんじゃねえのかそんなもん。若い頃におれは楽器をいくつかやって、どれも全然弾けるようにならなかったがだからと言って、そのいずれも《すべての人に物理的に演奏不能な楽器》ということにならんよな。たんにおれに楽器を弾く才能がまるでないというだけのことでさ。
 
ピアノだってなんだって、弾ける人にはちゃんと弾ける。そして凄い演奏テクを持ってる人がいるものだ。
 
世の中には普通の人にはとてもできないようなことが、できる人がいるものだ。人間には物理的に不可能としか思えぬ技を使える人がいるものだ。加瀬亮演じる〈ボク〉がスーパー痴漢テクニックの持ち主ならば、普通の人にはカバンが邪魔な女の子のスカートに見事に手を突っ込めてそんなに不思議なこともあるまい。
 
としか思わなかったんです。《カバンが邪魔でさわれない》は《だから絶対に犯行は不可能》とはっきり言うことができるほどに確かな話なのかどうか。
 
怪しいもんだ、と言われたときに、あなたは答えられますか。痴漢でなくてスリの話ならばどうです。
「満員電車を再現して実験したけど誰ひとり財布をスることができなかった。だから被告人Aさんにも、スリは物理的に不可能だったと断言できます」
なんて裁判があったとして、その言い分を認めるべきと思いますか。
 
いーや、おれはそんなもん、認めないのが当然で、もし認めたらその方が、ずっとおかしいと思います。裁判官はそんなもの、「なんの証拠にもならない」とひとこと言って済ませてそれでいいのであり、それが正しい裁判です。だからビデオの再生画像を小日向文世判事が見て、
 
「うむむむうっ」
 
って顔をするのも、「有り得ねえよ」としかおれは見て思わなかった。
 
実験自体が実験になっていないというのもあるけど、それ以上にそんなのが証拠になどなるわけがない。『それでもボクはやってない』の円盤か、テレビ放映を録画したのをお持ちの方がいらしたら、ちょっと問題のその場面を再生して見てくれませんか。
 
役所広司演じる正義の熱血弁護士が、「どうだ」と言って悪代官判事に見せる証拠のビデオ。いかがでしょう。あなたの眼に、それは加瀬亮演じる〈ボク〉の無実が一目瞭然のものとしてハッキリわかるものでしょうか。
 
どうでしょう。それどころか、何が写っているのかさえもわからないんじゃありませんか? 何人かの人間が身を寄せ合っておしくらまんじゅうしてるようなの、横から撮っているだけのもの。ただそれだけの映像ですよね? おまけに、ほんの一秒しかない。
 
映画はそのビデオ画像を一秒しか画面に出さず、すぐ小日向文世判事の、
 
「うむむむうっ」
 
にカットを切り替えている。なぜ一秒しかないのでしょう。周防正行はどうしてそれを、2時間20分の映画の中で一秒だけしか見せないのでしょう。役所広司が、
 
「どうですか裁判長!」
 
「うむむむうっ」
 
「さらにこの角度でどうです!」
 
「うむむむむむうっ!」
 
「そしてこの角度でも!」
 
「うむむむうむむむうむむむうっ!!」
 
とタップリ見せてくれていいではないか。プロの映画監督が商業映画として作るものなのだから、〈ボク〉にはカバンが邪魔だから痴漢が絶対に不可能なのがハッキリわかる映像を作ってくれて良さそうなもんだ。『遠山の金さん』ならば桜吹雪の一秒でパッと一目瞭然ですが、この映画の一秒のビデオはパッと一目瞭然ですか。
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之