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都の衛生課から来た男


 
前回はカードの話だったのにカードの話をしませんでした。配られた93枚のカードのうち、92枚が真っ白で、一枚だけがスペードのエース。
 
だから本来、GHQの実験説が崩れたならばその時点で、平沢貞通を有罪・死刑にしていいはずなのが帝銀事件だとおれは思うんだけど、こう言っても事件を詳しく知らない人は納得できないことでしょうね。てわけで前回の続きです。何しろまだカードの話をしていませんし。
 
帝銀事件の3ヵ月前によく似た事件があったけれども未遂に終わっている、というのが前回のお話でした。GHQの実験だということにしたい者らはそれを〈予行〉と言ってるが、そんな話はバカらしい、というのがおれの考えという話。
 
その根拠は、そこで巡査を呼ばれることになってんなら本番はやらんだろうというものでしたが、実はもうひとつありまして、今回はそれについて書いていきたいと思います。
 
帝銀事件の同一犯による事前の未遂と見られる事件は前年10月の〈安田銀行荏原支店〉の他にもうひとつある。けれどもやはりおれがかいつまんで説明するのではなくて、セーチョーの『小説』からしっかり引用するべきでしょう。さあトクと読め!
 
   *
 
(略)帝銀椎名町支店の事件から一週間前の、一月十九日午後三時五分頃、新宿区下落合四の二○八○三菱銀行中井(なかい)支店に、五十歳前後の品のいい紳士風の男が訪れ、支店長の小川泰三に、厚生省技官医学博士山口二郎、東京都防疫官と印刷した名刺を出し、都の衛生課から来たが、ここの御得意さんから、七名ほどの集団赤痢が発生したので、進駐軍が車で消毒にきたが、その会社の一人が、今日この銀行に預金に来たことがわかった。それで、銀行の人も、現金、帳簿も各室全部消毒しなければならない。今日は現送はあったか、と訊いた。支店長が、現送は無いことを答え、預金に来た者の会社の名前を聞くと赤痢が出たのは、新宿区下落合の四の二一三○、井華(せいか)鉱業落合寮で、そこの責任者の大谷という人がここに来た筈だ、と山口と名乗る防疫官は、言った。支店長は、井華鉱業とは取引はないのだがと否定したが、念のため行員に調べさせると、取引先の大谷某が、六十五円預金したことがわかった。支店長は、この間違いではないか、と男に見せた。男はそうかも知れない、いま自動車でそこを消毒しているが、五、六分でここに来ることになっているから、と言って、折から、行員が小為替類をまとめて、本店に運ぼうとしているのを止めた。支店長は言った。
「一枚のことでそんなことをされては困ります。その為替を消毒するだけにしてもらいたいのですが」
 男は抗議を認めた。
「私もそう思います。では、一応、これを消毒して置きましょう」
 彼は、肩に掛けていたズックの鞄の中から、小さな瓶を取出し、その瓶に入っていた、無色透明の液体を、その小為替の、裏表全体にふりかけた後、それを戻した。
「これでいいと思いますが、MPがやかましく言ったらまたあとできます。もし、来なかったらば済んだものと思って結構です」
 要領のいい、落ちついた言葉だった。彼は帰った。
 
アフェリエイト:小説帝銀事件
 
というものだ。なんだか変な話だ。
 
前年10月の安田銀行荏原支店でも、現れた男は「この銀行のオール・メンバー、オール・ルーム、オール・キャッシュ、またはオール・マネーを消毒しなければならない。金も帳簿もそのままにしておくように」なんてことを言ったとされる。年恰好からも同一人物なのは疑いのないところであるという。けれどもこのときは、まったく誰にも薬を飲まそうとしていない。
 
ゆえに同一犯による未遂と見られながらにこの件は、あまり語られることがない。セーチョーの『小説』の中でもなんの考察もない。おそらく帝銀事件について書かれたほとんどの本がそうだろう。この一件は《取るに足らない話》として片付けるべきである、というわけだ。
 
 
が、おれが考えるに、それは間違いだと思う。話が奇妙であるからこそ、よく見て考えるべきではないか。話が奇妙であるからこそ、この出来事に事件全体の謎を解く鍵があるかもしれぬと思うべきでは?
 
奇妙な話に説明が付けられ、奇妙が奇妙でなくなったとき、すべての謎は解き明かされてあらゆるパーツがカッチリと組み合わされすらするのじゃないか――おれはそう思うわけである。
 
 
もしもすべてがGHQの実験として、10月の件は〈予行〉という言葉で説明がつくかもしれない。だがこの本番一週間前の話はどう説明するのか。
 
セーチョーは説明できないために、なんで毒を飲ませなかったか考えようともしていない。本番の一週間前に起きた出来事なのに! いやいや、ちゃんとよく見て考えるべきじゃねえのかよ。本番の一週間前に起きた出来事なんだったらよ。
 
 
そう思いませんか、皆さん。というわけでおれはこの件を重視します。三件の中でこのときだけ、毒を飲まそうとしなかったのはなぜだ。
 
おれが思うに、平沢は、できることなら人を殺さずカネを奪いたかったのではあるまいか。そう考えればこの〈二度目〉の奇妙な話に説明をつけられるのじゃあるまいか。
 
 
セーチョーの『小説』によれば、10月の〈一度目〉と本番の〈三度目〉では使われた薬が違うという。引用すると、
 
   *
 
 また、荏原と帝銀とでは薬が違う。帝銀事件のときは、第一薬は無色で、下のほうが白濁していたというが、荏原では、醤油を薄めたような、茶褐色の液だったと、全員が証言している。量の点でも、帝銀では第一薬は一人に五ccずつだが、荏原では、一ccから一・五ccらいである。
 
   *
 
とある。ゆえにセーチョーは荏原の件を本番の予行とするのだが、それは中間の件を無視するから言えることだ。だがどうして、なんでまた、二度目では券一枚濡らしただけで立ち去った?
 
 
《飲ませなかった》のではない。《できることなら毒など飲ませずカネを奪い取りたかった》のだと考えられないだろうか? そうしてみれば荏原の件も、セーチョーとは別の見方ができるのじゃないか。
 
 
帝銀とは液の色が違うのは、それは毒ではなかったからだ。毒は毒でも致死性でない。猫イラズか何かを飲ませて、皆が苦しみのたうってる間にカネを持ってく算段だった。10万円手に入れられれば平沢には充分だった。
 
だがうまくいかなかった。10分間待ってみても何も起こらず、あの巡査が引き返してくるかもしれない――いや、来るに違いない。だからこのときは現場を去った。
 
そしていよいよカネに困る。12月末、3件の詐欺未遂を起こしたときの平沢は完全に困窮していた。セーチョーの『小説』には、
 
   *
 
(略)とくに二十二年の暮れころには、方方に金を借りに行き、同じ日のうちに妻のマサと平沢が一軒の知り合いの家で、別々に五百円、千円と金を借りたり、二千五百円のベビー箪笥の代金が一時に払えないで、三回に分けて払ったりしていたことなども探り出されて、事件の前はそうとう金に困っていたことが裏づけられた。
 
   *
 
とある。
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之