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この顔にピンときたらと言いますが


 
これを書いてる私はかつて、警視庁の刑事の訪問を受けたことがございます。
 
まだずいぶん若い頃です。当時は宿無しだったんですが、警察ってのは凄いもんですな。転がり込んでた塒(ねぐら)を見つけられまして、警察手帳を見せられて、「島田信之さんですね。あなたを探してたんだ」と言う。
 
「はあ、なんの御用でしょうか」
 
聞いたら卓に三枚の写真を並べられまして、
 
「この中に、あなたが知ってる顔はありますか」
 
「さあ、別に」
 
と応えました。どれも見覚えなかったんですが、 
 
「わかりませんか? 実は……」
 
「ああ」
 
ヒントを出されてすぐ思い出しました。「この人なら」と指差すと、
 
「よかった。この人と会ってますね。そのときのことを教えてほしいんですが」
 
「いいですけど、この人、何かしたんですか」
 
「これは人を殺してるんです。で、その殺しの後であなたの……」
 
「えーっ!!」
 
てなもんでした。ビックリしたなあ、あんときは。で、もちろん刑事さんに、憶えてる限りのことは話しましたが、どれだけ役に立ったのかな。別にそいつと知り合いなわけでもないからわかりません。
 
――と、この話で何が言いたいかと言えば、探偵仕事で証人となる人間が〈その者〉の顔を見分けられるかどうかを知るにはこのようなやり方をせねばならないということです。おれがやられたように写真を何枚か並べるか、マジックミラーの向こうに何人か並ばせて、「あなたが見た者はこの中にいますか」と訊く。映画で見たことありますよね。
 
そこへ行くと、〈帝銀事件〉の警察の面通しは良くないですね。また『のほほん人間革命』から、こないだはログの話に関係ないから略したところをあらためてここに引用し直しますが、
 
   *
 
大槻「アラ、まぁ」
遠藤「それぐらいいっぱいいるんですよ。で、しかもね、平沢さんが、いちばん最初の段階に警視庁で生き残り証人の面通しをさせられたんですが、その時は十一人(帝銀と後に述べる安田銀行と三菱銀行の行員)中六人が違うって言ったんですよ。残る五人は似てるけれども断定はできない。だれ一人として、こいつが犯人だって言った証人がいなかったんです。警視庁ももう釈放しようかと思ってたら、その直後に例の詐欺事件、あれが発覚したわけだ。で、そのまんま留め置かれてそれから連日連夜、責めたてられたわけですよ、「やったろう、やったろう」と。で、そのうち今度ね、被害者の供述が、微妙に変化してくるんですよ」
大槻「うんうんうん」
遠藤「警察は平沢氏に犯人が着てた服装を着せて、犯人がぶらさげてた鞄ぶらさげさせて、また面通しさせるんですよ。これでどうだと。そうすると、だんだんと、「そっくりですね、この人だったような気がしますね」と供述が変わっていくわけ」
大槻「ほー、そういう風にやられたら、若人アキラでも郷ひろみに見えますからね」
遠藤「見えてきますよ、そりゃそうだよ」
 
アフェリエイト:のほほん人間革命
 
と書いてある。
 
何人かを並ばせず、平沢貞通ただひとりを立たせて顔をあらためさせているのだ。それだったら自信を持って断定できる人間なんていなくてむしろ当然じゃないのか?
 
おれなんかはそう思う。しかもこのとき、セーチョーの『小説』によれば、
 
   *
 
 手錠をかけられ、毛布を頭から達磨のようにかぶせられた平沢貞通が、新聞記者団と弥次馬の包囲の中に、よろよろと上野駅に着いたのは、八月二十三日午前十時四十五分であった。すでに新憲法が発足して、人権問題がやかましく言われた当時である。この護送方法が世間の注意をひいた。
 当時の新聞は、こう書いている。
「帝銀犯人の容疑者として、はるばる小樽から護送された画家の平沢貞通氏も、二十四日夜には大体青天白日となり、二十五日朝釈放される見込みだが、東北線車中、上野駅、警視庁と、真犯人さながらに手錠をはめ、毛布をかぶせるという厳重さ。いざ疑いが晴れるとなると、この護送ぶりが問題で『あんまりひどい、かわいそうに』という街の声がしきり。(略)」
 
アフェリエイト:小説帝銀事件
 
なんて報道がされてたという。北海道は小樽から東京まで二日かかる時代。平沢逮捕の報せは先に届いており、上野駅には「ぶっ殺せ」と怒鳴る者らと、それとは別に、「GHQの実験だからその人は無実」と叫ぶ者達が集まっていた。新聞各社はどこもみなGHQの実験説をもちろん信じ込んでいて、平沢は無実とだから決めつけている(発行停止を喰らうからそうは書かないが)。ゆえにすぐ釈放せよとの論調で紙面が埋め尽くされており、面通しにあたった者らはそれを読んでしまっている。
 
これではよほどの自信がなければ、「こいつだ」と断定するのは難しかろう。『刑事一代』に書いてることを引用してもどうせ嘘だと決めつけられるだけだと思ってこれまで引いてこなかったが、でもそろそろやってみよう。それによるとこの最初の面通しは、八兵衛の語るところでは、
 
   *
 
 生存者の一人で、帝銀椎名町支店の支店長代理をしていた吉田次郎さん(事件当時四十四歳)って人がいてな。面通しで調べ室にはいってきたときだ。この吉田さんが、平沢の顔を正面からだけじゃなく、横からのぞきこむようにしたのさ。すると、平沢はいきなり、「さあ、タテからでもヨコからでも(顔を)見てくれっ」と叫んで、イスから立ち上がった。それで吉田さん部屋から逃げだしちゃったよ。
 
アフェリエイト:刑事一代
 
という具合だったそうで、セーチョーの『小説』によればこの吉田さんも「違う」組。結局、遠藤が言うように最初の面通しは「違う」が6人、「似てるが断定できない」が5人という結果になった。
 
が、遠藤が言うようにその直後に連続詐欺未遂の件が発覚する。それを受けてのやり直しでみんながみんな言うことが変わった。セーチョーの『小説』によると一回目に「違う」と言った6人のひとりは、
 
   *
 
「(略)先日、容疑者が上野駅のホームに降りた際、ハッとして、犯人に間違いないと思いました」
 
   *
 
なんてことまで言い出した。だったらなんでこの前は「違う」と言ったんですかと聞くと、
 
   *
 
「あのときは、容疑者が興奮して固くなっていたからだ」
 
   *
 
と応えたんだとか。八兵衛の言う「さあ、タテからでもヨコからでも」ってのは、どうやら事実と見ていいでしょう。
 
要するに、生き証人のみんながみんな、平沢は絵が8万で売れる画家と聞いて怖じ気づいてしまっていたのが、しかし何万も借金していて詐欺をしてでも10万円手に入れなければ次に8万で売れる絵を描けない男だったと知ったわけである。すると見る眼が変わったというのが実際のところなわけだ。
 
8月23日に5対6だった「似てる」と「違う」は、31日には10対1に変わってしまった。最後まで「違う」と言ったひとりにしても、このブログの最初の回に書いたように、
 
   *
 
「いままで何人も見せられた容疑者のうちでは、平沢という人がいちばん似ている。しかし、なんか感じが出ない、ピンとこないのです」と言い、
作品名:端数報告 作家名:島田信之