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8万円で売れる絵を描くのに10万円が必要な男


 
またオーケンの『のほほん人間革命』です。
 
アフェリエイト:のほほん人間革命
 
これで初めて知ったんですが、平沢貞通という人は若い頃にモテたそうです。引用すると、
 
   *
 
大槻「でも、本当に昔は女性にはもてたそうですね」
遠藤「そうです。しかも超一流の画家ときてるから」
大槻「(略)ところで、そういう高名な画家でありながら、帝銀事件のちょっと前に、そのー、軽い詐欺事件みたいのを起こしていたと……」
遠藤「そう、そう、そう。ありました。三菱銀行丸ビル支店事件ね。銀行の他のお客の持ってた札を、地ベタに落ちてたんで、それを拾って、「何番さ〜ん」って呼ばれた時に「は〜い」って言って、人の通帳とハンコと金一万円をもらっちゃって」
大槻「じゃ、変わった人ではあったんですね」
遠藤「……ですね。それは言えます。だから、道徳的に見て、どうかと思われる面はありましたね。だから、百パーセント素晴らしい人格の持ち主でなかったことは確かです」
 
   *
 
とあって、これに遠藤みずからのことこまかな解説として、
 
   *
 
【三菱銀行丸ビル支店事件】帝銀事件が起こる前の一九四七年十二月二十五日、三菱銀行丸ビル支店で、平沢貞通氏が、店内に落ちていた他の客の番号札を拾い、それで現金一万円と長谷川慶二郎名義の普通預金通帳と長谷川のハンコを受け取った事件。
 
   *
 
というのがついている。ただし、「十二月」とあるのは間違い。正しくは11月25日。
 
だがなるほど。《事件の少し前に平沢氏は、詐欺と言えないような詐欺をほんの小さな間違いから犯してしまっていた。それはほとんど過失と言えるものであったにもかかわらず、その件だけを理由に犯人と名指しされた》なんて話があることは、おれも何度か読んで知ってた。しかしいつも、
 
《事件の少し前に平沢氏は、詐欺と言えないような詐欺をほんの小さな間違いから犯してしまっていた。それはほとんど過失と言えるものであったにもかかわらず、その件だけを理由に犯人と名指しされた》
 
という書き方なので、どんなことをやったんだか全然わからずいたのだが、これがそうなんですか。これで初めて具体的なことを知りました。
 
けど、この当時の一万円? 百円札が百枚だろ? 落ちてた番号札を拾って「は〜い」と言うところまではおれでもやるかもしれないとして、そしたらドカンと百万の束が出てきたのと同じだろ?
 
顔色変えずにそれを持って出て行った。それは確かに、百パーセント素晴らしい人格の持ち主じゃないなあ。おれだったらギョッとして、「違う! これは、おれのカネじゃありません!」と叫んじゃいそうな気がする。
 
わからんけどね。しかしその程度のことなら、最初からはっきり詳しく教えてくれたらいいことやないかい。でなきゃほんとに無実だと信じていいかわからんやないかい。なんでなんでいつもいつも、
 
《事件の少し前に平沢氏は、詐欺と言えないような詐欺をほんの小さな間違いから犯してしまっていた。それはほとんど過失と言えるものであったにもかかわらず、その件だけを理由に犯人と名指しされた》
 
という書き方をしなきゃならんのや、まったく。
 
小さな疑問を覚えるが、それとは別にもう少しちょっと大きな疑問も感じる。平沢は超一流の画家だった? で、女にモテただって?
 
無実かどうかなんてことより、そこだ。女にモテる一流の画家。それはどういうことなのか知りたい!
 
このオーケンの本を読むまで、おれは帝銀事件と言えば、
 
《再鑑定で警察は、毒が青酸カリでなく青酸○○○○と掴んでいた。犯人は〈七三一〉の元隊員で、GHQの人体実験だったのだ》
 
なんて話か、
 
《事件の少し前に平沢氏は、詐欺と言えないような詐欺をほんの小さな間違いから犯してしまっていた。それはほとんど過失と言えるものであったにもかかわらず、その件だけを理由に犯人と名指しされた》
 
なんていう話以外、それまでひとつも読んだことがなかった。しかし、そんなもんよりもっと、気になる話が出てきたのである。それはどういうことなのだ!
 
って、でもそう言えば、前々から気になってたぞ。平沢はテンペラ画の大家(たいか)なんだといっていった。それを読むたび気になっていた。テンペラ画って一体なんだ。絵をてんぷらに揚げるのか。
 
てんぷら画の大家だと超一流の画家になるのか。ゴッホと違って生きながらに売れてたんだな。ゆえに百枚の札束も、はした金になるわけなのか。「は〜い」と言って軽く持っていけちゃうくらいの。
 
それはとても羨ましい。てんぷら画の大家だと女の子にモテるのか。
 
それはとても羨ましい。しかしてんぷら画とはなんだ。
 
セーチョーの『小説帝銀事件』に書いてあった。ここで話は前々回の続きになる。
 
古志田(居木井)警部補が北海道は小樽まで行き、そのときは会って話を聞かねばならない人間のひとりでしかなかった平沢に会うと、平沢は、
 
   *
 
「私も早く東京へ帰りたいのだが、父が明日にもポックリ死にそうで、六月ごろがいちばん危いということだから、最後の孝養をつくしたい(おれ註:この日は6月3日)」
 これは、血色もよく、元気そうな父親を前にしての話である。何の必要あってそのようなことを言うのか、警部補には判らなかった。そのうち、話はテンペラ画の話に移ると、彼は自分の描いた皇太子への献上画「春遠からじ」と題をつけた風景画の写真の出た新聞の切抜きを見せた。
「これは、昔チベットに起った技法がイタリアで発達し、ヒスイやメノウを粉にしたものを卵で練って絵具に使う、これをイタリア語で、スッテンペラリーというので、略してテンペラというのです」
 と画伯は自慢そうに言った。警部補は絵画には素人である。そんな高価なものを使って絵を描き続けることはできまいと彼はこの講釈を信用できなかった。そこで、帝銀事件当日のことに触れようと思って、まず、
「帝銀事件をどういう機会にはじめて知りましたか」
 と訊ねた。平沢画伯は、眼を輝かし、一月二十六日は特に印象が深い、と元気に言った。
「三越で開かれた日米交歓展で、後援者の一人に会う約束で、朝から会場でその人を待っていました。事件は翌日ラジオで知りましたが、なにも人を殺さなくてもと思いました。展覧会は二十一日から二十八日までで、時間も朝九時ごろ家を出て、午後四時まで会場にいました」
 画伯は喋った。これも、聞きようによっては、自分からアリバイを強調しているようにもとれた。
 
アフェリエイト:小説帝銀事件
 
皇太子への献上画! それはなんともゴリッパな。しかし、翡翠に瑪瑙の粉? それを紙だかに塗ったくんのか?
 
さて居木井が調べてみると、三越は事件当日、休業していた。平沢はニチベーコーカンカイとか言えば相手は恐れ入って、裏を取らないと思ったんだろう。現場から一時間のところにいる親戚と半時間前に会っていたとか言い出すのは後のことである。
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之