北へふたり旅 31話~35話
収穫されたコンテナを、軽トラックの荷台へ3段に積む。
1段目は腰の高さ。置くだけならシルバでも持ち上がる。
しかし2段目や3段目になると、シルバーには持ち上がらない。
「おい、かわりに積み上げてくれ」
お安い御用ですとベトナムが、ひょいとコンテナを持ち上げる。
降ろすときはもっと凄い。
3段に重ねたままのコンテナをスタスタ、作業部屋へ運びこむ。
「3段のまま運んでるぜ。40キロを超すコンテナだ。
なんとも凄まじいね、ベトナム実習生のパワーは」
「若さだ。
おれだって若い頃は、米俵を軽々と担いだものだ」
(今じゃとうてい無理だ)と、Sさんが口をゆがめる。
「米俵を軽々と担いだ?。
むかしの米俵は60キロでしょう。ホントですか?」
「なんだその疑惑の目は?。
もしかして俺を疑っているのか!」
「いくらSさんの若い頃でも、米俵は無理でしょう」
「こらこら。百姓をなめるな。
明治の頃の山形には、米俵5俵を担ぐ女たちがいたんだぞ」
「女の人が300キロ・・・嘘でしょう!」
「山形と言えば日本の米どころ。
そういう人種がいてもちっとも不思議じゃない」
「信じられません・・・」
「証拠の写真がのこっているぞ。昭和14年の写真だ。
女性の運搬屋・女丁持(おんなちょうもち)が、1個60キロの米俵を
5つ背負っている写真だ。
もっともこいつはコンテストの時の写真で、通常はひとつづつ担いでいた。
山形じゃおんなたちが、あたりまえに米俵を運んでいた。
群馬の男が負けている場合じゃないだろう。
知ってるか。
重労働が当たり前の時代、成人なら男女問わず誰でも持ち運べる
重さとして、一俵が、60キロと決められた」
「それは、いつごろのことですか?」
「明治の頃だ。そのころは重労働があたりまえだった。
それから150年かけて文明がすすみ、機械が進化した。
その結果、重労働が姿を消した。
楽になったぶん、日本人の身体は弱くなった。
60キロは運べねぇ。
だからいまは30キロの紙袋で、流通するようになったのさ。
日本のコメは」
(32)へつづく
作品名:北へふたり旅 31話~35話 作家名:落合順平